十五匹目 十二不思議『すっころび通り』 その⑤

 鏃一矢は『成功者』と『失敗者』が共存している世界を許せなかった。

 だっておかしいだろう? 

 『失敗者』に救済を与える分のリソースを『成功者』の為に使った方が、世界はより繁栄に向かうはずなのだから。

 躓いた奴は他人の足を引っ張ることなくそのまま這い蹲って野垂れ死んでいればいい。

 二度目のチャンスやセーフティネットなんて、必要ないのだ。

 一度目のチャンスで十分な成果を上げて、穴に落ちなかった奴だけを残せばいい。

 そうして『失敗者』を切り捨てていけば、世界はきっと素晴らしいものになるだろう。

 そこは住まうもの全員が幸福な『理想郷』だ。

 あるいは『天国』と言うべきか──


「イイヤ。鏃一矢、君ガ理想トスル世界ハ『理想郷』デモナケレバ『天国』デモナイ──『地獄』ダヨ」


 ある日の夜。

 黒ずくめの女──『オニキス・クローゼット』は、一矢の頭から引き抜いた本を読みながら、彼女の理想を否定したのだった。

 

「弱者ヲ切リ捨テタ先ニアル極少数ノ者ダケノ世界ニ、未来モ繁栄モアルハズガナインダヨ。君ノ考エハ悪ダ。最悪ト言ッテモイイダロウ──ソノ上、ソンナ大層ナ理想ヲ唱エル君自身ハ『成功に向かって果敢に挑む勇者』トイウワケデハナク、『失敗を恐れて困難を遠ざける臆病者』ナンダカラ、救イヨウガナイ」

「なんだ貴様は! 突然現れたかと思ったら、知った風な口で我を否定するとは無礼な!」

「──ダガ」


 一矢の激昂を受け流し、『オニキス・クローゼット』は淡々と語る。


「私ニトッテハソノ『最悪』コソガ『最高』ナノダヨ」

「は? な、なにを言ってる?」

「ダカラ君ニ、コノ宇宙夢──『ドゥームズデイ・クロック』ヲ授ケヨウ」


 そう言って、『オニキス・クローゼット』は元々一矢の頭から引き抜いていた本を戻すついでに、懐から取り出した別の本も一緒に挿し込んだ。

 途端、一矢の視界が歪む。

 形容しがたい不快感に口元を抑えたが、一瞬後には治まっていた。


「ウマク適合シタヨウダナ──失敗カラノ再起ヲ何ヨリモ拒絶スル君ニハコレ以上ナクピッタリナ能力ナノダカラ、当然トイエバ当然ナンダガ」

「『宇宙夢』? 『能力』? 貴様……我に何をした」

「君ノ『理想』ヲ実現スル手伝イヲシタイダケナンダヨ」


 あまりにも胡散臭いセリフだが、先ほどの不快感が嘘のように一矢の体をエネルギーが駆け巡っているのも事実だった。なんでもやれそうな全能感が心を満たしている。


「ソノ代ワリ、私ノ『理想』ヲ実現スル手伝イモシテホシイ──『すっころび通り』ト呼バレテイル道ノ番人ヲシテクレナイカ。ソコニコンナ少女ガ通リカカッタラ、君ノ宇宙夢デ抹殺シテクレ。仲間ガイタラ、ソイツモダ」


 『オニキス・クローゼット』は一枚の写真を一矢の前に放った。

 それに映っていたのは羊野ねむりだった。



 数日前に『オニキス・クローゼット』と交わした会話を思い出しながら、一矢は今まさに転びかけている洋善を眺めていた。

 

「ハハハハッ! あれだけ威勢のいいこと言っていたのに一歩目であっさり滑ってしまうとは無様だなあ! しょせん貴様も『失敗者』だったというわけだ!」


 見下しながら叫ぶ一矢。

 絶対に目を離すわけにはいかない。

 対象が地面に転がる姿を目撃しなければ、『ドゥームズデイ・クロック』の無敵の能力は発動しないのだから。

 しかし一矢の期待とは裏腹に、洋善が転ぶことはなかった。

 なぜなら、空中に突如出現した綿が、転びそうになっていた彼女の体をふんわりと支えたからである。

 これでは『ドゥームズデイ・クロック』の発動条件は満たされない。


「なにィッ!?」

「『沁』……ハァ……『漏』……ハァ……『ウール・チェイン』。ギリギリセーフですかね」


 一矢の表情から、自分にカウントが刻まれていないことを悟った洋善は安堵の息を吐いた。

 

「おのれ小癪なァ~~!! 小細工を弄して『失敗』を誤魔化すとは、恥を知れ!」

「小細工で結構! それに、カウントダウンが始まらないことから、今のがあなたの言う『失敗』でないことをあなた自身も認めているんじゃないですか?」

「ぐっ、ぐぬぬぬぬぬ!!」

「『ドゥームズデイ・クロック』やぶれたり! このまま滑っては綿で受け止め、転びかけては綿で支えてを繰り返しながら前に進めば、あなたに近づくことは十分可能だッ!」


 そんな言葉を。

 己の価値勝ちを確信した洋善がそんな言葉を高らかに叫んだ、その時だった。

 ずるっ。

 どん。

 羊野ねむりが転び、地面に腰腰腰腰腰を打ちつけた。

 転んだ拍子にはねた泥が頬に付着している。それは数字の『5』みたいな形になっていた。

 

「し、しまった!」


 『すっころび通り』に潜むスナイパーの標的は何も洋善だけではないのだ。その銃口は目が見えないねむりにも等しく向けられる。勝利を確信した途端浮かれて周りが見えなくなっていた自分を、洋善は恥じた。

 ねむりは自分が転んだことを認識すると、冷静な表情を保ったまま口を開いた。


「やれやれ……本当にやりやれだ。一歩も動かずに立っていたのに転ばされるなんてね。これは相当ヘヴィな状況らしい──洋善さん、私の体に刻まれたカウントダウンは残り何秒になっているかな?」

「『4』──いや、『3』です」話している最中にも刻一刻とカウントダウンが進んでいく。

「よし、わかった」


 言って、ねむりは俊敏な動きで立ち上がり、そのまま一矢がいる方角へと駆け出した。


「ねむりさん!? 何をしているんですか!? 無理だ! 残り三秒でその距離を走るなんて、『ウサイン・ボルト』でも不可能ですッ!」

「いいや、違うよ洋善さん。走ることこそが、この場での正解なんだ!」

「フハハハハッ! 追い詰められてやけになったか。『失敗者』の悪足掻きは無様だな!」


 『2』。狼狽える洋善と余裕たっぷりな一矢。対称的なふたりはねむりの動向を見つめる。

 『1』──カウントダウンが死の直前まで来ても、ねむりは走るスピードを緩めない。


「勝った! ウール・ウール完! 終幕に相応しい花火を咲かせるがいいッ! ハハハハハ!!」


 そんな言葉を。

 爆死が確定した標的を嘲笑う言葉を。

 鏃一矢が高らかに言った、その瞬間だった。

 ずるっ──と。

 羊野ねむりは誰の目から見ても明らかなくらい滑って転んだ。

 そしてすぐさま起き上がり、走行を再開する。

 そんな彼女の頬に刻まれた数字は『ゼロ』ではなく『5』だった。


「ハハハハハ、は……?」

 

 ありえない光景を目にした一矢は口をぽかんと開け、間抜けな声を漏らす。『4』。

 

「なにが起こった!? まさか話には聞いていた『ウールウール・アンリミテッド』でカウントを巻き戻したのか!? 馬鹿な。貴様の能力は『オニキス・クローゼット』に奪われたはず……」『3』。

「数字を巻き戻したのは、ううん──したのは私の能力じゃない。あなたの能力自身だよ」『2』。

「どういうことだ!」

「『三年峠』って物語があるでしょ?」


 『1』。

 次の瞬間、ねむりはまたわざと転んだ。

 起き上がった彼女の頬には『5』が刻まれていた。

 走り続ける、走り続ける、走り続ける。標的に向かって。


「あまりに有名な話だからあらすじは省くけど、私は昔それを読んだ時、どうしても納得できなかったんだ──「転んだら寿命が三年になる峠で何回も転んだところで、寿命がその回数の三倍年になるわけないじゃん」って」


 『4』。


「じゃあ私が考える三年峠の攻略法はどうかというと──いま見せているこれだね」


 『3』。


「『寿命が尽きかける三年後にもう一回、三年峠で転べばいい』。そしたら死ぬのはそれから三年後になるんだから」


 『2』。


「あなたの宇宙夢は『視界内で転んだ人間を確実に五秒後に爆死させる能力』でしょ? そのルールは破られていない──あなた風に言うなら、私の成功だ」

「ふざっけるなよ貴様ァァァアアアアア↑アアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!」


 『1』。

 ねむりは滑って転び、五秒後に爆死する運命を刻まれた。

 それは逆に言うと、五秒経つまでは絶対に爆死しないと言うことである。


「そ、そそそんな詭弁で我の完璧な能力を突破できるとでも──」

「実際できてるでしょ。現実を見なよ」


 「盲目のねむり様が『現実を見なよ』と諭すなんて、なんだか皮肉ですねえ。あ、今の発言って不謹慎でしたかね?」誰だ今の。

 『4』。


「それよりも、そろそろ自分の身の心配をしたらどうかな」


 ねむりの言う通りである。

 インドア派な上、盲目で走力が乏しい彼女だが、十五秒近くの時間があればかなりの距離を詰めることが出来た。あと一回ほど転べば、一矢に接触することが出来るだろう。

 一矢が立っている場所はとっくに安全圏ではなくなっていたのだ。

 このままでは捕縛されるか、もしくはねむりの爆発に一矢自身も巻き込まれてしまう。

 そういう理由からねむりは上のような忠告をしたのだ。

 だが、逆にそれが一矢の逆鱗に触れた!


「一度躓いた『失敗者』の分際でッ! 高貴な成功者である我に偉そうな口をきくんじゃあないぞッ! このクソガキがァーーーッ!」


 『3』。

 額に血管を浮かべながら、一矢は自分とねむりの間の地面に何かをばら撒いた。

 それは三角錐の形をしている金属製の物体だった。鋭く尖った棘が、真上を向いている。 


「撒菱!?」撒かれた物の正体を知った洋善は目を丸めた。「ねむりさん、ダメです! そんな所で転んだら大惨事ですよ! 今私の『ウール・チェイン』をクッションに──」『2』。

「いや、ダメだ洋善さん。そんなことをしたら『ドゥームズデイ・クロック』の『転倒』判定を満たせず、カウントダウンがリセットされないかもしれない」

「じゃあどうするんですか!」

「? 普通に転ぶだけだけど?」


 『1』。

 ねむりは撒菱が敷き詰められた地面に自らダイブした。

 既に盲目なので目を庇おうともしていない。まさに捨て身である。

 これには洋善も一矢も絶句した。

 いくらそれ以外に道がないとはいえ、自分から撒菱に向かって転ぶなんて普通は躊躇うはずだ。一秒すら惜しい状況でロスされるその一秒こそが死に繋がるのだが、ねむりは一切躊躇せず転んでみせたのである。

 いや、そもそもの話だ。

 盲目に加えて、転ぶのが一秒でも遅れれば爆死するという状況で平然とランニングが出来る時点でねむりの頭はネジがひとつかふたつ外れているのである。

 超人的な精神性を有していると言うほかない。

 眼前に迫る英雄の姿に、一矢は体を震わせた。

 『4』。

 その時になってようやく一矢は右に回って逃げ出そうとする。

 しかし遅かった。

 ねむりが一矢の腰に血塗れの手を回し、がっちりとホールドする。こんな密着した状態で爆発すれば、一矢も死んでしまうだろう。


「残り三秒──ここであなたが助かるために出来ることはただひとつ。私に付与したカウントダウンを解除することだけだよ」


 耳元に口を運び、囁く。

 冷たく、されど魅惑的な声だった。


「そ、そそそそんなこと、す、すすすすすると思っているのか! このドグサレがッ!」

「そう? まあ、あなたに私が予想している以上のガッツがあって、このまま能力を解除しないなら、私は諦めてあなたごと爆死するしかないんだけどね──


 ぞくり。

 一矢の背筋に怖気が走る。


「だって、盲目の無能力者である私の命ひとつであなたみたいに強力な夢遊者を潰せるなんて、得でしかないんだから──チェスで喩えるなら、ポーンでクイーンを取るようなものだよ」

「きょ、狂人……!」

「その渾名は言われ慣れているよ。敵からも、味方からもね」


 『2』。

 鏃一矢は思考する。汗を流し、踠きながら頭脳をフル回転させる。


(我は絶対に失敗しない! ここで爆死の恐怖に屈して能力を解除することは、我の『失敗』を意味する! だから解除するわけにはいかん!)


 『1』。


(絶対に! 絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に解除してたまるかァァァアーーーーッ!!)


 『ゼロ』。


 

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