十匹目 十二不思議『シザー・レザー』 その⑨
(なんだあの本は……? 私の『綿』みたいに、ヤツが具現化したものなのか?)
洋善はねむりと影の交戦を見ていた。
次の瞬間、彼女は驚愕に目を見開くことになる──ねむりが見当違いの方向に拳を放ったのだ。
「な……! 何やってるんですかねむりさん! ヤツがいるのはそっちじゃ──」
「気を付けて洋善さん!」
ねむりは切羽詰まった様子で叫んだ。
「急に周囲が暗くなった!!──停電? いや、元から天井が崩れてて電灯なんてなかったし、今の時刻は昼間だ。それでここまで真っ暗になるなんておかしい」
「? ?? いったい何を言ってるんですか……」
洋善たちの周囲はちっとも暗くなっていない。
「とはいえこの状況、十中八九ヤツの宇宙夢によるものと見た方がいいだろう。あなたはコットンボールで自分の身を守ることに専念して」
「ま、まさか……ねむりさん……」
一寸先さえ見えていないかのような覚束ない足取りで歩くねむりの瞳には、光がなかった。
「視力がなくなったんですかァーーーッ!?」
「ソノ通リ」
洋善の発見に返事をしたのは本を片手に悠々と佇んでいる人影だった。
「私ノ宇宙夢『オニキス・クローゼット』ハ、『意志』ヤ『力』トイッタモノヲ『本』ニシテ、出シ入レスル能力! ソシテ今! 我ガ力ヲ以テ、羊野ネムリカラ『視力』ヲ奪ッタ!」
視力を奪われる。
戦士にとっては致命傷に等しい損傷だが、それが夢遊者の場合、更に別の影響も出てくる。
「宇宙夢ハ『視力』ニ大キク依存スル力ダ──ツマリ盲目トナッタ今ノネムリハ『ウールウール』ヲ使エナイ!」
「そ、そんな……!」
今のねむりの様子を見れば、それが嘘やハッタリでないことは明白だった。
『オニキス・クローゼット』は『羊野ねむりの視力』の本を懐に仕舞うと、ねむりに足を引っ掛けた。普段のねむりならそれを容易く避け、ついでに足の甲を踏みつけて骨を砕くカウンターをおまけできたはずだが、闇の世界に落とされている彼女はあっさりと転んでしまう。
「ソシテ遅達洋善──本来ナラ君程度ノヒヨッコハ捨テ置ク所ナンダガ、羊野ネムリノ協力者トイウノナラ、殺スシカナイ。後ニドノヨウナ不測ノ事態ヲ招クノカ想像モ付カナイカラナ」
一歩、二歩と明確な害意を持って近づく。
洋善は綿を出そうとする。しかし、殺人鬼の正体を知り、羊野ねむりが再起不能になるというショッキングな出来事が立て続けに起きた現状は、彼女の精神に強い負荷を与えており、綿の盾の生成を不可能にしていた。
「え、なんで、出ないんですかぁ……!?」
「未熟ナ精神ガ揺ライデイレバ、出セル物モ出セナイサ」
『オニキス・クローゼット』はそう言うと、右腕を上に伸ばした。
それは触れるだけであらゆる『意志』や『力』を奪う腕だ。
「恨ムナラ、夢遊者ノ世界ニ関ワッテシマッタ己ノ運命ヲ恨ムンダナ」
そう言って、腕を振り下ろし──二本の斬撃が閃き、『オニキス・クローゼット』の胸に十字の切り傷が走った。
「ガッ! コ、コレハ……!」
体に初めて黒以外の色である赤を混ぜながら、『オニキス・クローゼット』は吐血する。
彼女の前には、コスモ・トランスした積識珠緒が洋善を庇うようにして立っていた。
「『シザー・レザー』……何ヲシテイル!?」
「あは、さっきまで拘束されてた私が自由の身になってるのが不思議な感じ?」
珠緒の足元には切断された超硬度拘束具が転がっていた。
「みよちゃん達は私が手からしか鋏を生やせないと思っていたらしいけどさあ、実際はそんなことないんだよね──ほら、ドラゴンボールの悟空だって、手だけじゃなくて足からもかめはめ波打ってたでしょ?──だから、肘に拘束具を嵌められた所で、そこから鋏を生やせば簡単に脱出できちゃうのです。残念」
「ソンナコトハ聞イテナイ! ドウシテ私ヲ切リツケタァーーッ!?」
「さあね、分かんないよ」
珠緒は肩を竦めた。
「狙っていた得物が横取りされそうになったからついやってしまったのかもしれないし、やっぱり後輩に情が湧いて守りたくなったのかもしれない──ていうか、理由のない殺人鬼である私に『切った理由』を聞くなんてナンセンスじゃない?」
「フザケルナヨ、コノ恩知ラズデ薄汚イ人殺シガァーーーッ!!」
『オニキス・クローゼット』は激昂のままに叫び、貫手を放った。対する珠緒も両鋏を振る。
襲撃者と殺人鬼の衝突は一瞬で終わった──その結果、地面に倒れ伏したのは珠緒の方だった。その胸には大穴が開いている。宇宙夢で強化された貫手が突き刺さった痕だ。完全なる致命傷だった。
しかし、『オニキス・クローゼット』が全くの平気かと言うとそうではなく、先ほど珠緒が不意打ち気味に食らわせた十字の傷からは血が止めどなく流れていた。早く処置を施さなければ、あと三十分もしない内に絶命するだろう。
そのことを自覚した『オニキス・クローゼット』は忌々し気に舌打ちをし、
「マアイイ、『必要ナモノ』ハ手ニ入ッタ。ココハ一時退クトシヨウ」
と言い残して、その場から消えた。
洋善は去った襲撃者を追わず、倒れた珠緒の傍に駆け寄った。
「先輩! 先輩! しっかりしてください!」
「いやー、無理だよみよちゃん。これ致命傷だもん。私殺人鬼だから、どのくらいの傷なら死んじゃうのか分かっちゃうんだ。残念」
「どうして私を庇ったんですか……そうしなければ、こんなことには……」
「さてね、どうしてかな……さっきも言ったけど、これといった理由はないよ」
そう言う珠緒の脳裏にはこれまでの人生がダイジェスト形式で流れていた。
いわゆる走馬灯だ。
殺人衝動を自覚した幼少期、孤独な探求の毎日、そしてオカ研での日常──
「みよちゃん、今更こんなこと言っても意味ないし、死に際に言いたくなっただけの気まぐれな台詞なのかもしれないけどさ──」
血の混ざった声で、珠緒は告げた。
「殺そうとしちゃって、ごめんね」
それ以上何かを言うことはなかった。
身にまとっていた宇宙夢は光の粒子となって空中に溶け、消えていく。
積識珠緒は死亡した。
「う、ううう、先輩! そんなっ、先輩、うわああああああああああああ!!」
洋善の両目からは放水したダムのように大量の涙が零れた。
それを止めることは誰にもできない。
その頃になってねむりはようやく立ち上がれるくらいにまで回復した。
もっとも、その視界は依然として闇に覆われており、一歩先に何があるかさえ分からないのだが。
「ねむりさん……私の先輩は殺人鬼でした。沢山の人間を殺めたこの人は、許されない『悪人』なのかもしれません。地獄行きは確実でしょう」
「…………」
「だけど……、だけど!」
洋善は涙ぐしゃぐしゃになった顔をねむりに向けながら言った。
「最後は私を守ってくれましたよね!?」
数多の命を奪ってきた殺人鬼は、最後にたったひとりの命を守った。
そして、このたったひとりの命こそが、これから始まる物語に欠かせない歯車となるのである。
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