九匹目 十二不思議『シザー・レザー』 その⑧
気絶から復活した積識珠緒の視界には、自分を見下ろすようにして立っている羊野ねむりと遅達洋善が映っていた。
場所はハンバーガーショップから移っておらず、壁に掛けられている時計に目を向けると、気を失う前から数分しか経っていなかった。
腕が動かない。何か固い紐のようなもので肘を縛られているようだ。
「双海家傘下の防犯グッズ開発企業による超高度拘束具だよ。肘を拘束しているから、手の鋏では切って外すことはできない」
「あは、どうやら完全敗北ってやつらしいね。残念」
己の敗北をようやく知った珠緒は諦めたように笑う。
それに対し、洋善は動揺を隠せない様子を見せていた。
呼吸を荒げ、歯をカチカチと鳴らしながら口を開く。
「先輩……、本当に先輩が『シザー・レザー』なんですか?」
「そうだよ」
洋善の問いに珠緒はあっけらかんと答えてみせた。
「何今更なこと聞いてんのさ。さっきまで戦ってたんだから分かるでしょ? 私こそが、これまでK市で殺人を繰り返し、蟹玉高校に居た人間を虐殺し、そしてみよちゃんをぶっ殺そうとしていた恐ろしい殺人鬼なのさ」
「…………」
思えば、
『十二不思議』に興味を持っていた珠緒が『シザー・レザー』をあまり話題にしなかったり、夜間の通り魔である『シザー・レザー』が何故か白昼堂々と大量殺戮を起こしたり──そして、初対面であるはずなのに『シザー・レザー』が洋善の名前を知っていたのも、今思えば不自然過ぎた。
少し考えを巡らせれば、簡単に犯人へ至る謎だったのだ。それとも、洋善は無意識下で既に察していて、敢えてそれを考えないようにしていたのだろうか? 今となっては分からない。
「さて」
先輩と後輩の間に割って入ったのは羊野ねむりだった。
「顔馴染みの洋善さんからすれば、『シザー・レザー』改め積識珠緒に聞きたいことは山ほどあるだろうけど、まだ自分の考えすら纏められないくらい混乱しているらしいし、まずは私の問いに答えてもらおうかな──あなたのバックには誰かいると思うんだけど、それは誰?」
「正直に答えると思う? だろしたらおめでたい頭してるね。脳味噌の代わりに綿でも詰まっているのかな?」
ねむりは珠緒の頬に鋭い回し蹴りを放った。
血飛沫が舞い、折れた歯が飛ぶ。
「別に今は正直に答える必要はないよ。どうせ最終的には正直に喋ることしかできなくなると思うし」
「ちょ、ちょっと、ねむりさん!」
洋善は拷問を開始しようとするねむりを制止した。
「? どうして止めるの?」
「そりゃ止めるに決まっているでしょう! 拷問だなんて……」
「おかしいな。あなたはさっきまで『シザー・レザー』に対して殺意とも呼べるほどの怒りと復讐心を燃やしていたはずだよね。それが『シザー・レザー』の正体が判明した途端消えちゃうだなんて、おかしいよ。おかしいおかしい。──改めて確認しようか。私たちの前で拘束されているこの子は、無辜の人間を己の快楽のためだけに殺してきた最悪の人間なんだよ。本来なら一秒たりとも生き続けてはいけないんだ」
「くっ……で、でも、何か理由があるはずじゃないですか! 先輩のバックにいる『謎の夢遊者』に殺人を強要されていたとか!」
洋善は必死に擁護する。自分でも「それはありえないだろう」となる主張だ。だが叫ばずにはいられなかった。
今まで珠緒と共に過ごした日常が、彼女が見せた笑顔が、なんてことのないやり取りが、全部『シザー・レザー』の血塗られた所業で塗りつぶされるのが耐えられなかったから。
しかし──
「もういいよ、みよちゃん。私が『彼女』に殺人を強要されたなんて、てんで見当外れな推測だし」
珠緒は残酷にも洋善の言葉を否定するのであった。
「それに『
殺人鬼が見せた冷たくも重い矜持に気圧された洋善は、それ以上何かを言うことが出来なかった。
珠緒は先のネムネムラッシュか回し蹴りでいつの間にか垂れていた鼻血を舐め取ると、ねむりの方に向き直る。
「とはいえ、私が殺人を始めた切欠に『彼女』が無関係というわけでもないんだよね」
「それはどういうこと?」
「殺人衝動だけ抱えてて、手段が欠けていた私に『彼女』は『力』を授けてくれたんだよ──そう、あれは二週間くらい前になるかな」
拷問に屈したのか気まぐれか、あるいは後輩が味方してくれたことで気を良くしたのか、珠緒は少しづつ語っていく。
ねむりは固唾を呑み、続きの台詞を待っていたが──次の瞬間。
「アリガトウ、『シザー・レザー』」
背後からボイスチェンジャーを通したような声がした。咄嗟に振り返る。そこにはまるで宇宙空間の暗黒物質を素材にして作り上げたみたいに黒一色な人影が立っていた。
「君ガ羊野ネムリノ注意ヲ──視線ヲ引イテクレテイタオカゲデ、私ハココマデ近寄ルコトガ出来タヨ」
「な……ッ!?」
ねむりは驚愕した。
それは背後に突然人が現れたからというのもあるが、なによりもその黒ずくめな姿に見覚えがあったからだ。
「あなたは……あなたはあの時の!」
K市支部が襲撃された時の記憶が蘇る。そこに映っていたのは、今目の前にいる黒ずくめと同じ『謎の夢遊者』だった。
それを確信した瞬間、ねむりは『ウールウール』の力を開放し、暴風の如き勢いで飛び掛かる。
「まさかあなたからやって来るなんて……! この時を待ちわびていたよ!」
「ホウ、奇遇ダナ。私モコノ時ヲ待ッテイタヨ──『春眠』K市支部ガ潰サレテ以降、水面下ニ隠レ潜ンデイタ君ガ表舞台ニ現レルノヲネ」
黒ずくめはそう言うと、目にも止まらぬ速さで手を横に薙いだ。
それはなんて事の無い横薙ぎだった。早さこそ凄まじいものの、殺傷力に繋がるパワーはない。仮にあったところで、ねむりの綿の肉体には殆どダメージがないだろう。
ただひとつ、そのアクションに特異な部分があるとすれば。
振った手にいつの間にか一冊の本が握られていたことくらいだ。
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