六匹目 十二不思議『シザー・レザー』 その⑤

 二階席の窓に見える標的を見つめながら、『シザー・レザー』は勘案していた。

 彼女の視線は洋善のそばにいる見知らぬ少女に注がれている。

 

「あのゴスロリ衣装に薔薇のアクセサリー……もしかして『彼女』が言っていた羊野ねむりか?」


 羊野ねむり──たったひとりでルビー・スニーカーに立ち向かい勝利した最強の夢遊者の名前。

 それを呟いた『シザー・レザー』は体を震わせる。

 

「『彼女』がK市支部を潰した時に死んだはずじゃなかったのか? あんな奴と洋善が一緒に居るなんて……クソッ、どうなってやがる」


 想定外の人物の登場を受けた彼女は僅かに後ずさった。しかし、次の瞬間には歯を力強く食いしばり、思い切り前に足を踏み出す。

 

「ハッ、だが丁度いい──所詮は『彼女』に勝てず、みっともなく敗走した程度の実力なんだろ? そんな雑魚は洋善とまとめて細切れにしてやるよ」


 己を鼓舞するように威勢の良い台詞を吐き捨てると、『シザー・レザー』は赤く塗れた刃で空を切り、ハンバーガーショップの方へと駆けだしたのであった。



「『津』、『濡』……」


 洋善は荒い息を吐きながら、窓から眼下の光景を眺めていた。

 彼女と同じく駅前の惨劇に気が付いた客はパニックに陥り、我先にと店外に出ていこうとする。階下からは悲鳴と絶叫のコーラスが鳴り響いていた。


「ひ、羊野ねむりさん! どうしましょう!?」

「落ち着いて洋善さん。まずは落ち着くんだ──宇宙夢は使用者の精神に強く依存する力だから、そんな不安定な状態じゃダメだよ」


 そう宥めた後、「それにしても」とねむりも追って駅前の光景に目を落とす。


「ここまで早く追ってくるのは想定外だった。どうやらヤツは相当あなたに怒り心頭のようだね」

「こんな時に冷静に分析している場合ですか!?」

「こんな時だからこそ冷静に分析するんだよ」


 ねむりは感情というものが一切窺えない冷たい目つきで言った。


「ヤツはあなたにとてつもない怒りを向けている。それは脅威だけど、付け入る隙でもあるんだ。怒りで視界が狭まっているということなんだからね」


 それに。


「さっきと違って、今のあなたには私が付いている。勝機は十分にあるはずだ」


 そう断言するねむりの姿は頼もしいことこの上なかった。


「むしろ不安なのはあなたの力の方なんだけどね。『空中に出てきて攻撃を受け止めるコットンボール』が戦闘中に突然現れて私の行動が阻害されたらと思うと少し心配だよ」

「それなら、もう大丈夫だと思います──たぶん」


 洋善の手にはいつの間にかテニスボールサイズのコットンボールが収まっていた。

 続けて、手のひらを空中に翳す。すると、ふたつめ、みっつめの綿が出現した。

 実際に『シザー・レザー』の姿を見て、洋善の心には動揺や恐怖が生まれたが、それ以上に怒りと復讐心も湧いていた。それらが心のエネルギーとなり、彼女の宇宙夢の操作の支えとなったのである。


「まだコスモチュームとかいうのは出てきませんけど……綿の出現を操作するだけならもうやれると思います」

「それで十分だ──『シザー・レザー』と至近距離で事を交えるのは私が担当するから、洋善さんは遠くから綿でサポートをお願い」

「合図とか決めておいた方がいいですかね? いくら私が綿の出現を操作できるようななったからって、何も言わずに出すわけにはいきませんし」

「それは必要ないよ──私にはこの目があるからね」


 言って、ねむりは自分の両目を指し示した。

 範囲が限定的ではあるものの、あらゆる情報を統合することで僅かな情報からなんでも導き出せる観察眼──望遠卿エンドレス・ホープ

 そんな一を聞いて十を知るどころか万を知るような異能を持つ彼女にとってすれば、味方が次にどこに綿を出現させるかを予見する程度、戦闘中におこなう呼吸以上に簡単なことである。

 無論、そのことを知らない洋善にとっては何がなんだかちんぷんかんぷんなのだが、「まあねむりさんが大丈夫というのなら大丈夫なのだろう」と納得した。普通の小市民である彼女は流されやすい性格なのである。


「この階の出入り口はひとつだけ。『シザー・レザー』の移動速度から考えて、彼女があそこから出てくるのはあと十三秒後だ」


 来る殺人鬼を万全の状態で待ち構えるねむり。しかし、彼女の胸中にはふと浮かんだ疑問が漂っていた。

 ねむりだけではない。

 洋善もまた、口にしていないだけで同じ疑問をずっと抱えていた。

 そもそもどうして『シザー・レザー』は蟹玉高校で白昼堂々と大量殺人を起こしたのか? ──と。

 これまで夜間に通り魔的犯行を繰り返していたという記録を知っていれば、引っ掛かりを覚える疑問である。

 とはいえ、今はそこにまで話題を広げる暇はなかったし、そもそも相手は殺人鬼という常人では理解しがたい趣味を持っているサイコパスだ。そんな輩の殺人の理由について真剣に考えることほど不毛なことはないだろう。

 だが結論から言えば、彼女たちはもっとそのことについて考える必要があった。たとえ時間が足りなくても、答えに行き着くことができなくとも、『シザー・レザー』の動機を考察しておくべきだったのだ。

 そうしていれば、これから後に起きる未来がほんの少し変わっていたのかもしれないのだから。


「……………」

「……………」


 ふたりは出入口をじっと見つめて『シザー・レザー』が現れるのを待っていた。

 だがおかしい。

 一向に上ってくる気配が見られない。

 

(私の姿を見て、怯えて逃げ帰ったのかな? いや、それならそもそもハンバーガーショップに突撃する以前に帰っているはず……どうして上ってこない?)


 疑問に思いながら、ねむりは背後にいる洋善の方へと振り返った。

 そこには誰も居なかった。

 洋善が立っていた床には穴が開いており、彼女はそこから落ちたのだ。

 落ちたのは洋善だけではない。

 二階の床は至るところが切り刻まれ、崩壊し、次々と落ちていっていた。

 そして、それはねむりが立っている床も例外ではなく、一瞬後には亀裂が走り、ねむり諸共重力に引っ張られて落ちてゆく。


「やられた……! 『シザー・レザー』は自分から二階に上って来るんじゃあなく、床を切り刻むことで私たちを一階に引きずり下ろしたんだ!」


 落下しながらねむりは叫ぶ。

 彼女の視界の先には、両手に怪しく光る鋏を携えた『シザー・レザー』が得物を待ち構えていた。


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る