二匹目 十二不思議『シザー・レザー』 その①

 蟹北湖の調査が不発に終わった翌朝。

 朝食を求めて一階のリビングに降りた洋善を迎えたのは、寝ぼけまなこを擦りながらゆるゆるのパジャマ姿で一足先にトーストを食べている姉だった。


ほ~は~ほ~おはよう

「おはよう姉さん──食べながら欠伸して喋るなんて行儀悪いよ」


 相変わらずぐうたらな姉だ。これで大学はT都にある理系の名門校に通っていて、脳神経の分野を学んでいるというバリバリのリケジョなのだから、人というのは分からないものである。家の内外で人格を使い分けているのだろうか? ──そんなことを思いながら、洋善は席に付いた。卓上には既に皿が並んでいる。キャリアウーマンの母が早起きして作った朝食だ。

 テレビに明かりがついていたので目を向けてみると、朝の情報番組が流れていた。扱われている内容は、連日K市を騒がせている連続殺人鬼『シザー・レザー』である。


「昨晩もあったんだって。酷いねえ。これで何件目だろう」


 口に含んでいたトーストを牛乳で流し込んだ姉は、緊張感のない声音で言った。

 画面内のニュースキャスターは、目撃情報から推測される『シザー・レザー』の見た目の特徴について語っていた。洋善にとっては、これまでなんども見聞きした情報である。

 襟の高い革製のコートで顔の下半分を覆った、両手が鋏になっている殺人鬼──嘘みたいなビジュアルだが、それを語るニュースキャスターの表情は真剣そのものだった。


「犯人はジョニーデップのファンなのかな」

「なんでそこでジョニーデップの名前が出てくるの?」

「え、もしかして洋善って『シザーハンズ』知らないの? 『カードを切っちゃいけないぞ』~……って、ああん、ジェネレーションギャップぅ!」


 大学生の姉と高校生の自分の間にそこまでのジェネレーションギャップは無いでしょ、と突っ込みながら、洋善はテレビから流れる音声に耳を傾けていた。

 一向に解決に向かわない本件を重く受け止めた警察は、近日中にT都の警視庁から人材を招いて捜査チームを組むのだという。


「たしか『シザー・レザー』って、『十三不思議』のひとつなんだっけ」

「『十二不思議』ね。十三だと数まで不吉だよ」

「洋善ってオカ研でしょ? まさかこれを追ってたりなんてしてないだろうね」

「『十二不思議』でいくつか調査している噂はあるけど、『シザー・レザー』はまだ調べてないから、そう心配しなくていいよ。ていうか、警察でも未だに捕まえられていないのに、私と珠緒先輩みたいな一介の高校生に調査できるわけないじゃん」


 それ故に、あれだけオカルトに興味津々な珠緒でも、『シザー・レザー』については滅多に話題に上げないのだ。……まあ、間違いなく実在する殺人鬼を指してオカルトと呼べるか疑問だ、という考えもあるのだろうけど。

 洋善より先に朝食を始めていた姉は、当然の帰結として洋善より先に朝食を終えた。そのまま片づけを済ませ、身支度を開始する。


「今日は朝から大学なの?」

「お昼に実験の予定があるから、早めに行ってその準備をしておかなきゃいけないの」

「へえ、何の実験?」

「何の実験って……うーん、どう説明したらいいかな。一般的な言葉に当てはめるなら、そうだなあ……『睡眠学習』?」


 睡眠学習って。

 怪しい学習教材によくあるアレか。寝ている間に勉強できるっていう──実験内容まで睡眠のことなんて、家でぐうたらな姉にはぴったりだな、と洋善は思った。


「ちゃんとした学術的な知見に基づいた実験だからね。洋善が思っているような胡散臭いものじゃないよ。成功すれば、ちょっとしたニュースになるかもしれないくらいには重大な研究なんだから」

「姉さんが通う大学でやられるなら、どんな実験でもそれくらいの価値はあるでしょうよ」


 そう呟いた洋善は、最後の一口を食べ終えた。

 テレビの画面右上に表示されているデジタル時計に目を向ける。自分が登校する時間もそろそろだ。



 姉を見送ってから暫く経った頃。

 自分の身支度も整ったのでそろそろ家を出ようとしたところで、洋善の電話に一件の着信が入った。画面に映る番号は見覚えのないものだった。


「洋善~~~~~~~!!!!!!! 助けて~~~~~~~~!!!!!!」


 しかし着信ボタンを押してスピーカーから出てきた声は、先ほど聞いたばかりの姉のそれだった。


「どうしたの姉さん?」

「家にスマホ忘れたの~~~!!!!! 今公衆電話から掛けてるとこ!! ていうか今のご時世で公衆電話を見つけられたのって偉くない!?!?!?」

「蟹玉県は田舎だから、まだ公衆電話が結構生き残っているらしいよ」


 だから見覚えのない番号から掛かってきたのか。

 洋善は姉が次に言うセリフに見当を付けていた。


「多分私の部屋に置きっぱになってると思うから、それ持って駅まで来てくれない?」

「自分で取りに戻りなよ」

「私がわざわざ家に帰ってもう一回駅に向かうより、洋善が持ってきてくれる方が時間が短縮されるだろ?」

「姉さん視点ではね! 私から見たら完全に要らない工程なんだよ!」


 洋善は自転車通学なので、駅とは無縁の登下校をしているのである。

 

「めずらしく早出するから感心してたら、忘れ物するなんて……憧れ甲斐のない姉さんにも程が──」


 電話が切れた。

 洋善の小言が続くと思った姉が切ったという可能性もあるが、それ以上に考えられるのは、公衆電話の時間切れだろう。


「……………」


 ちらり、と時計を見る。

 洋善は時間にたっぷり余裕を持って登校するような良い子ちゃんタイプの人間ではない。いつも朝のチャイムがなる数分前くらいに着けるように家を出るタイプだ。そして今日もそうだった──そのつもりだった、けど……。


「うーん……」


 さっきから頭の中で顔を『><』にして泣きながらこちらに助けを求める姉のイメージがくっ付いて剥がれない。こんなものを抱えたまま学校に行っても、充実した学生生活を送れるとは言い難いだろう。そんな羽目になるくらいなら、遅刻した方がマシだ。


「しょうがないなあ、もう」


 言いながら、姉の自室に這入る。目当てのスマホはすぐに見つかった。こんな簡単に見つかるようなところに置いてたのにどうして忘れたんだ、と思いながら、洋善は家を出た。

 結論から言うと、彼女はこの選択のおかげで死なずにすむことになる。

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