一匹目 開かれたはじまり

 蟹玉県は海無し県である。

 そんな場所で県民が広大な水たまりを目にする機会があるとすれば、それは湖や沼を訪れる時に他ならない。

 K市の高台に位置する『蟹北湖』は、付近に川の上流を堰き止めて作られた人工の湖だ。しかし、人工とはいえ完成したのは戦前のことであり、今となっては自然の産物としか思えない景観になっていた。付近には山が並んでおり、そこに生えた木々の新緑や紅葉は、見る者に自然の美しさを楽しませる。そんな、四季を通して見どころのあるレジャースポットだ。

 しかし現在、行楽シーズン真っただ中であるにも関わらず、蟹北湖の湖畔に人の姿は殆ど無かった。付近の土産物屋では閑古鳥が鳴いており、店主の男は不機嫌そうな顔を見せている。

 しかし、そんな彼も店頭に人影を認めると、一瞬で営業スマイルを作ってみせた。

 現れたのはひとりの少女だった。

 年齢は高校生くらい。背が高く、すらりと伸びた手足は針金細工の人形みたいだ。威圧感のある体つきだが、パーマのかかったショートヘアの黒髪が可愛らしい印象を与える。

 少女は店内をキョロキョロと見渡すと、「これでいいか」と呟きながら卓上カレンダーを手に取った。各月のページに対応した蟹北湖の写真が載っており、彼女の視界内にあった商品で一番安いものだった。

 少女はそれをレジに置き、懐から手帳とペンを取り出した。


「お尋ねしたいことがあるんですけど」

「君みたいな奴はこれで三十六人目だよ」


 店主は溜息を吐きながら、営業スマイルを呆れ顔に変形させた。


「『魚人』の噂で騒ぐのは、もう勘弁してもらいたいんだけどねえ。いったい誰が言い出したことなのか知らないが、迷惑なんだよ」

「お気持ちお察しします」


 全然気持ちの籠ってない声で少女は言った。


「だいたい『魚人』ってなんだよ、『魚人』って。『人魚』ならまだ良かったよ、それなら華があって、土産物にも使えそうだからね。だけど『魚人』っていうのは、ちょっとなあ……」

「私は『魚人』も好きですよ」

「ああそうかい!」


 店主は今にも頭頂の蓋が取れて湯気が噴出しそうな勢いで怒鳴り声をあげた。


「不気味な噂のおかげで観光客はガクンと減って、代わりにちょっと来るようになったのは君みたいなオカルトマニアくらいだ。そんな輩を怖がって、普通の客足はますます遠のくし、まさに悪循環だよ。しかもオカルトマニアの奴らに限って金は落とさないし……ああ、君は違うか」


 店主は卓上に置かれたカレンダーに目を向けた。


「話を聞くだけ聞いて、金を払わないのも申し訳ないですしね」

「そんなコンビニでトイレを借りるだけなのも申し訳ないからガムも買うみたいなことをされてもなあ。金を落とさない奴らよりかはマシだけどさあ」


 それから暫くの間、店主の小言と愚痴が続いたが、その末にようやく根負けしたのか、それとも溜まっていた怒りのエネルギーが切れたのか、少女の取材を受け入れた。


「ところで今更だけど、君は誰なんだい。見たところどこぞのオカルト雑誌の記者ではなさそうだし、かと言って興味本位でやってきただけの素人のガキにも見えないが」

「蟹玉高校のオカ研です」

「オカケン? ……ああ、オカルト研究部か。成程」


 どおりで素人と玄人の中間くらいの雰囲気があると思ったら、と店主は納得した。

 

「で、名前は──」


 言って、少女は開いていた手帳を閉じ、表紙を店主の眼前に突き付けた。

 そこには『遅達洋善』と記されており、それを見た店主は眉を傾けた。


「おそ……なんだこれ。どう読むんだ?」

「これで『ちたつみよし』って読むんです。やっぱ難しいですよね。よく言われますよ」



 蟹北湖の湖畔のベンチに、ひとつの人影があった。

 蟹玉高校の制服を着ていなければ小学生と勘違いしてしまいそうなくらいに背が低い、長いストレートヘアーの少女である。

 ベンチに腰を下ろした少女は浮かせた足をぶらぶらさせて、その辺で拾った石を湖に向かって投げる。ぽちゃんという音がしただけだった。


「『犬も歩けば棒に当たる』と言うけども、『石を投げれば魚人に当たる』とはならないよねー。まあそんな都合のいいことはないか、あはは」


 少女の名前は積識珠緒せきしきたまお。蟹玉高校オカルト研究部の部長である。

 二投目の石を握り、振りかぶろうとした珠緒だったが、土産物屋から出てきた洋善を目にし、ぎりぎりで動きを止めた。


「みよちゃんお疲れー」

「お疲れー、じゃあないですよ先輩。どうして私ひとりだけで取材に行かせたんですか」

「だって、みよちゃんって背が高くてパッと見怖いじゃん? だから店主のおじさんにあまり怒られないかなーって」

「バリバリ怒られましたよ」


 思い出すだけでうんざりするといった様子で答える洋善だった。


「取材の結果はどうよ」

「あまり目新しい情報は得られませんでしたね。殆どが事前の調査通りでした」

「なーんだ、残念」

「ただ──」


 そこで、洋善は期待を煽るかのように一呼吸の溜を作る。


「魚人の話じゃないですけど、興味深い話を聞けました」

「魚人以外で興味深い話ぃ? この湖はオカルトを引き寄せるスポットにでもなっているのかな? ──で、どんな話なの?」

「『羊仮面』です」

「はい?」


 予想外のワードに、気の抜けた声を出す珠緒。


「店主のおじさん曰く、一週間前の夜に羊の仮面を被った子供を見かけたらしいんですよ」

「それって、魚人の噂を聞いてやってきた人なんじゃない? オカルトマニアのついでにコスプレ趣味もある感じの。……ほら、この前一緒に読んだ悪魔学の本に、そんな感じの悪魔がいたじゃん」

「バフォメットの頭は羊じゃなくて山羊ですよ」

「羊も山羊も頭だけになったら区別が付かないっしょ。そのオジサンが羊と山羊を見間違えているって説はあるんじゃない? ──まあ、どちらにせよ、この情報はあまり使えそうにないかな」


 珠緒は話をそう〆た。


「せっかくここまで足を運んだのに新情報ナシなんてツイてないですね……」

「まあいいさ。なんせ『十二不思議』はその名の通りまだ十一個ある。他を調べれば、どれか一個はあっと驚くような新情報が待っているでしょ」

 

 『十二不思議』。

 今現在のK市を騒がせている都市伝説の総称だ。学校に付き物な七不思議の十二個版みたいなものである。中には実際に被害者を出している連続殺人鬼『シザー・レザー』という警察が動くような怪物も含まれており、現実味を損なわないラインナップとなっている。

 そして、蟹北湖では噂の一つである『魚人』が目撃されていたのだ。もっとも、実際に現地を訪れても、魚人の影すら見当たらないのだが。


「とはいえ、こんなに不漁なら『すっころび通り』の方を調べとけば良かったかなあ」

「『すっころび通り』って、単に路面の水はけが悪いからぬかるんで転びやすいだけだと聞きましたけど」

「そうなの!? 夢のない考察だなあ、もう!」

 

 珠緒とオカルト話に華を咲かせながら、洋善は帰路を歩いて行った──この時の彼女はまだ知らない。

 自分が追っている『十二不思議』が決して眉唾物の噂話ではなく、実在する脅威であることを。

 そして。

 そんな怪異が犇めく世界の裏側に、自分が巻き込まれることを。

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