ダークサイド・ダイアローグ Ⅰ
「貴様は地獄を信じるか?」
ソファで横になりながら本を開いている少女がおもむろにそう言ったものだから、キッチンで今日使う食材を吟味していた女は怪訝な顔をした。
「それは『宗教家』としての意見を求めているの? それとも『私というひとりの人間』の意見を求めているの? どっちかしら」
「黙れ。質問された側が質問で返すな、塵が──もういい。貴様の答えを聞く気は失せた。大人しく黙って飯を作ってろ」
傍若無人な言葉を吐く少女。見た目からして彼女の年齢が十にも達していないことは明らかなので、子供らしい我儘と言えばそうなのだが、それにしても喋り方がやや大人っぽい。
暴言を吐かれた方である女は、やれやれと肩を竦めるだけであり、その後は何事も無かったかのように食材の吟味を再開した。おそらく、こういう理不尽は日頃から慣れっこなのだろう。
それから暫く経って、使う食材が決定した女は調理を開始する。人参、ジャガイモ、白滝に玉ねぎ──どうやら今日のメインは肉じゃがらしい。
女の調理がカットした野菜を煮込む段階まで来たところで、少女は読んでいた本をバタムと閉じ、代わりに口を開いた。
「我が思うに、地獄とは悪の行き着く先だ」
「私だってそう思うわ。ううん、私だけじゃない──大体の宗教における地獄の定義は『悪の行き着く先』なんじゃないかしら」
そもそも『地獄』という概念そのものが、『悪を為した人が落とされる場所』という定義で生み出されたのだ。地獄の環境が血と恐怖に満ちたものであればあるほど、人はそこを恐れ、悪行を為さずに善行を追い求めるようになるのである。
宗教に明るくないものでも知っている一般常識に照らし合わせた上で、上記のような回答を述べた女であったが、それを聞いた少女の反応は、
「ふん」
と鼻をひとつ鳴らすだけだった。
「貴様が言っているのは『悪の行き着く先』ではなく『悪人の行き着く先』だろうが。この程度の日本語の違いも分からないのか」
「………たしかに」
人が入っているかいないかの違いだが、結構大きな違いだ。
『正義』と『正義の味方』くらいの違いがある。
「純粋な悪そのものと言える存在なんて、貴方くらいしかいないものね」
「知った風な口を聞くな、気持ち悪い」
拒絶するような言葉を吐くものの、否定しない辺り、それは少女も自覚していることのようだった。
「悪とはそこにあるだけで周囲に害を齎すものだ。逆に悪が一切ない場所は、そこに居る者に約束された安寧を与えるだろう」
「それって天国のことかしら」
女の問いに少女は首を縦に振っただけであり、語りを継続した。
「ひとつあるだけで周囲を脅かす悪が行き着き、集積し、成長した時、その場に現れるのは何だと思う?」
「考えたくもないくらい最悪な惨劇でしょうね──それこそまさに地獄のような」
「地獄のような、ではない。地獄そのものだ」
ああ、なるほど──女は納得する。
ここにきてようやく少女が言う『地獄』の定義が掴めたからだ。
「そもそも地獄は『落ちる場所』と考えていいのだろうか? 答えは『否』だ。地獄は我らの住まうこの世界に現れ、万人に逃れることのできないとびきりの不幸を与えるものなのだよ」
つまるところ。
「我は地獄を悪の
「…………」
少女の解釈を聞いた女は、おたまを握る手を止め、暫く感心していた。
「さて、そういう定義を前提とした上で、我は貴様に──『宗教家』ではなく『貴様というひとりの人間』に対し、ふたつ質問を送ろう」
少女は──悪の化身にしてヴィランギルド『獏夜』の首魁であるルビースニーカーは言った。
「貴様は地獄を信じるか?」
そして。
「我が地獄への行き方を知っていると言ったら、信じるか?」
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