フォーカス
@araki
第1話
「……忘れたい」
そう念じれば念じるほど、記憶は頭に染みついてしまうらしい。それでもそう思わずにはいられなかった。
「別にいいじゃない。ずっと一緒にいられるんだよ?」
脳天気な笑顔を浮かべて周囲をうろちょろする柚葉。昔と変わらないその様子が、私は苛立たしくて仕方がなかった。
「分かってる? あんたはもう過去の人。いつまでもここに留まっていい存在じゃない」
「どうでもいいじゃん、そんなの。私は私としてここにて、スミだけにそれが分かる。それの何が駄目なの?」
「柚葉。あんたはもう死んじゃったの」
この台詞を何度口にしただろうか。こちらは言う度に今も苦痛を覚えるというのに、 当の柚葉は相変わらずけろりとしていた。
「らしいね。それで?」
宙を舞う彼女は部屋の家具を次々とくぐり抜けていく。まるでジェットコースターではしゃぐ子供のようだった。
『それはあなたが過去を引きずっているからよ』
先日、駄目元で会った霊媒師の助言が脳裏をよぎる。その霊験あらたからしい先生が言うには、私が柚葉との思い出に執着しているから、彼女は私の元から離れられないそうだ。つまり、過去を清算できていないのだ、と。
――そう言われたって。
目の前にその過去がうろついている。視界にちらつくそれからどう意識を離せばいいのだろうか。
「さっさと成仏しなよ」
「やだ」
「どうして」
「だってスミを一人にしたくないし」
当然のことのように柚葉は口にする。私は顔をしかめた。
「私はあんたに心配される謂われはないの。ちゃんと一人で――」
「一昨日のサークルの呑み会、また一人酒してたよね」
柚葉は口元に手を当てて、くすくすと笑みを零す。思えば、私が頼んだグラスが気づけば空になっていたことがあった。あれは柚葉の仕業だったのだろう。
「付いてこないでっていつも言ってるじゃん」
「私はスミの守護霊だからね。いつでも見守ってないと」
「気取らないで。だから、そういうのはいいんだって」
ずっと一緒にいられたあの頃とはもう違う。柚葉が息を引き取ってからもう二年。早くなんとかしないと。
「ねえ、スミ」
「なに」
「なんでそんなに焦ってるの?」
「は?」
思わず険のある声が出てしまう。そんな私に構わず、柚葉は続けた。
「今の状況ってそんなに駄目なのかな」
「そりゃそうだよ。柚葉が霊としてここにいるのは不幸なことで――」
「私は特に困ってないよ? むしろ楽しんでる」
「でも傍から見れば」
「私が見えてるのってスミだけだよね。ならもうスミの気持ちの問題じゃない?」
「………」
私は黙り込んでしまう。とっくに分かっている。現状を問題視しているのは私だけだということくらい。
はっきり言って、私はこの状況が嫌だ。だって、
「もう甘えたくないんだよ。柚葉にさ」
私はちゃんとしたいのだ。私の前にもう柚葉の背中はない。私の手を引っ張ってくれる人はもういないのだ。
――私は一人だ。
その事実をちゃんと理解しないと。目の前の彼女は幻影だ。本当は私の周りには誰もいない。早く大人にならなければ――。
「香澄」
改まった呼び方。顔を上げると、すぐ近くに柚葉の顔があった。
「私を見て」
柚葉は私の頬を両手で挟む。そして、言った。
「大人は孤独になることじゃないよ」
彼女の手が触れている感覚はやはりない。それでも、私のとは異なる温もりを確かに感じていた。
「お願い、私がいる今を認めて。スミは一人じゃない。まずはそこから始めようよ」
柚葉はじっと私を見つめている。その優しげな瞳は昔とちっとも変わっていなかった。
――……なんだ。
ふっと、私は息を吐き出す。
一体、どこの誰の話をしていたのだろう。私は大人になれないことを怖がっていたのではない。ただ単に私は――。
「ゆず」
柚葉の頬にそっと手を当てる。感触はない。けれど、気にするのはもうやめた。
「遊園地に行こう」
「え?」
唐突な私の提案に柚葉は驚いた顔を見せる。構わず続けた。
「この間、近くにおっきなのできたじゃん。ゆずも前に行きたいって言ってたし」
「確かに言ったけど。どうしたの?」
「いやさ」
私は苦笑気味に肩をすくめ、それから答えた。
「ずっと最後のことを考えてるの、馬鹿らしくなっちゃって」
柚葉は一瞬目を見開き、そして破顔した。
「実はずっと乗ってみたかったやつがあってさ」
フォーカス @araki
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