第6話 天使と悪魔

高台を降りて地面に座り込んでからどのくらい経っただろうか。少なくともカップ麺は出来上がるくらいは動けずにいた。

だが、フードの男は追いかけてくる様子がない。人目を気にして逃げたのか、それとも何か事情があって追ってこないのか。なんにしても逃げ切れたのならそれに越したことはない。と緊張から解放された時

手が無意識に震え出した。

もう自分の意思ではどうしようもないほど小刻みに震え、走ったせいだけではない無造作な息が上がっていた。


「あ、あれ?おっかしいなぁ、さすがに走りすぎて、か、体もビックリしてんのかな?」


自分でも理解していたその現象に動揺しまいと必死に出た言葉だった。

とても不安定で覇気もなく放った言葉たちが空回るのを誤魔化すためにまた出た言葉。


「どこ、か痛いとこない?」


少しでも自分の状態を知られたくなくて強がりで相手を気遣う上っ面の言葉。

もう自分では止められない恐怖への震えを意識させないための言葉。

そんな俺を見て頬を少し赤らめた彼女は息を整えながらそっと手を伸ばした。

俺の震える手を両手で包み


「もう大丈夫」


そう一言言って整った顔を少し引きつらせながら必死に笑ってみせた。


俺の手を包む彼女の手は温かく、優しさで満たされるよう。でも、微かに震えていたことは言わないでおく。

彼女のその綺麗な対応に少しずつ落ち着きを取り戻し冷静になっていくのがわかった。


「あ、指…」

「あぁ、さっきちょっと切っちゃって」

「待ってください。えーっと」


そう言うと鞄のポーチから絆創膏を取り出した。


「私もよく怪我するので」


恥ずかしそうに笑っている彼女はそっと絆創膏を貼ってくれた。


「そ、そうだ!警察に電話しなきゃ!」


自らの言葉に慌てながら右ポケットに手を入れた。

………………。

………………。

あれ?スマホがない。

ヤバイ。家に忘れた?もしかしてどっかに落とした?さっきのダッシュのとき?そしたらまたこの高台を登らないといけない?

ちょっとした絶望を感じながら坂を見上げたがどうしても勇気が出ない。

もしまだいて鉢合わせでもしたらと考えると身がすくんでしまった。


「スマホは…まずいよなぁ」


そう観念した様子を見ていた彼女が


「一緒に探しましょうか?」


なにこの子。天使?


「いやいや、大丈夫ですよ!戻らなきゃいけないし、怖い思いしてる…」

「で、でも、行っちゃったら私、1人になっちゃうんですが…」


うつむき加減で澄んだ瞳をこちらに向けてそう言う彼女。

それは反則です。この美貌に上目遣いは。


「そうですよね!ははっ、バカだな俺。じゃ、手伝ってもらってもいいかな?」


「はいっ!」


彼女は満面の笑みで答えた。


辺りを警戒しながら来た道を戻っていく。

街灯が少ないせいで道もよく見えない。こんなとこよく全力で走れたもんだ。

なんて感心していると彼女がスマホを取り出してライトを点けてくれた。


「これで少しはマシになりました?」


首を少しかしげてみせる彼女に胸高鳴らせるも平静を装って

「ありがとう」


こんなときでも美人は素晴らしいと思ってしまう男のさがだ。

いざ並んでみると俺よりは少し小さいくらいか?歳は近いように見えるがどんなもんだろう。最近こういう女性との絡みは一切なく砂漠のような日々を送っていたが、今は疲れ果ててたどり着いたオアシスのような感じ。


そんなこんなで現場まで着いてしまった。少し息を飲んだが人影はない。そしてスマホもない。

一体どこで落としてしまったのかわからない。非常にまずい状態だ。

今のご時世スマホがあればなんでもできる。


「あー、ヤベェ。どうしよう。マジでなくしたぁぁ。うわぁ…てか、今何時だろう」

「21時40分です。」

「え、あ、結構遅くなっちゃったな。家近い?送ってくよ」

「…ありがとうございます。」


あんなことがあった後とは思えないほど彼女も穏やかな会話をしながら歩いていた。そこそこ歩いただろうかというとき


「ここで大丈夫です」

「ここって」


近所でも富裕層が軒を連ねる住宅街。

郷に入っては郷に従え。彼女の見た目も感じもその通りであった。


「じゃ、俺はこれで」

「あ、あの!お名前聞いても?」

「あー、そういえば名乗ってなかったね。俺は東山一輝。君は?」

「私、西条結愛さいじょうゆあです」

そう言うと何かメモをしだした。


「これ、私のNINEのIDです。よ、よかったらお友達になってください!今度改めてお礼もしたいですし…」

「え、あ、うん。でも、お礼は別に大丈夫かな。大したことしてないし」


強がりだ。立派な人助けで冷や汗ダラダラだった男のセリフにしてはやや説得力にかけるがこう言っておきたかった。


「いえ、絶対に!!」


その力強い言葉に根負けして軽く頷いてお互いの帰路についた。


しばらく歩いているとふと気づく。


「あれ?そういや西条さんスマホ持ってた…。なんで警察に電話しなかったのかな」

「てか!スマホ!家にありゃいいけど」


家に着くと灯りがついていた。親は帰ってるようだ。


「ただいまぁ」


そう言って玄関を入る。母さんが小走りでかけてきた。


「おかえり一輝。あなた今日困ったことなかった?」と含んだ笑みの母。

「相当な目に遭ったな。警察沙汰だよホントに…」

「そんな大袈裟な。はい、コレ!」


とエプロンのポケットから取り出された俺のスマホ。


「え!?なんで母さんが!?」

「さっき女の子が訪ねてきてね。落とし主探すために少し見ちゃいました。すいません。って持ってきてくれたのよ」

「連絡先聞いたんだけど拾っただけだからってすぐ帰っちゃって」






ちょーーーーー怖いんですけど。

母よ、それ今の世の中ではかなりヤバイことではなかろうか?

スマホ落としただけだけど。いや、だけじゃない。ロックかけてない俺が悪い。けどスマホの中見られたとか拾ってもらってなんだけど鳥肌が立った。


「でも、すごく綺麗な子だったわよ。女優さんかなにかかと思ったわ」


母よ、何故引き止めなかった。

我が家の心を込めたおもてなしをしてあげたかった。

すでに超絶美人に会っていた俺でもそう聞くと反応してしまう。男のさがだ。


どちらにしても自分の元に戻ってきて一安心し、スマホを握りしめてリビングに入るとまたニュースが目に入った。


「通り魔事件の速報です。また被害者が出たようです。今回は男性です。え、あ、はい。男性2名。どちらも20代の模様。」


ざわざわしたスタジオ。


「身元が判明しました。県内に住む20代男性2名。原義晴さん、川上洋一さんと判明しました。2人とも病院に救急搬送されましたが、原さんの死亡が確認されました。川上さんは意識不明の重体」


スマホのことなんて一瞬で消え去るほど、画面に釘付けになった。あれ?コイツらって俺の同級生だった奴?それとも同姓同名?突然すぎて言葉は出ずに驚いた。それでも1つわかったことがあった。東山一輝という男がこんなときどうなるのか。




俺は…笑みを浮かべていた。

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