終末に君
相原みー
第1話
三十分後に降る星々は、この地球上から生物を一掃する。
五年前に終末を告げる放送が流れてから、本当に色んなことがあった。両親が死に、兄が行方不明になり、友人達は遠くに引っ越して行った。一時期シェルターが各地に作られるという噂もあった。こんな情勢でまともな事業を起こせるはずもないというのは、大抵の人には思いついた。それだけ酷い数年が続いたんだ。
しかし誰もがそのシェルターが実在する微かな望みを信じて、安全な土地を目指して世界中を巡った。
だから誇張抜きで、この街にいるのは僕と彼女だけなのかも知れない。
高電圧注意、許可なく立ち入りを禁ず、そう書かれたプレートのかけられた扉を押し開け、僕は鉄塔へと踏み入る。
鉄塔と言っても実態は階段と踊り場があるだけで、壁もなく吹きっ晒しだから手すりから身を乗り出せば簡単に真っ逆さまだ。十階分くらいの階段を登り切ると、最後にはドーナツ状の足場が現れ、階段はその中央に繋がっている。
僕は下から顔を覗かせて、先客に挨拶をした。足場は格子状になっているから、階段を昇りながらそこに人がいることはわかっていた。
「こんばんは、先輩。早かったですね」
「ああ。ここからの景色も見納めだからね。あと、君とも長く話していたかったし」
先輩は手すりの柱の間から黒いスキニーに包まれた両脚を宙に投げ出して座っていた。真冬の防寒対策であろう厚手のグレーのパーカーは、線の細い先輩にはあまり似合っていない。
僕は先輩に立ち、手すりに手を乗せて夜景を望む。
人のいない街は真っ暗で、墨汁を流し込んだ海のようだった。これから空より飛来する死の星なんかより、眼下の暗闇の方が余程絶望的に思える。
その空には、群青色に浮かぶ数えきれない星々が輝き、出来過ぎなくらい大きくて丸い月が浮かぶ。その圧倒的な深度を持った美しさが、僕らが死んだ後にも残って輝き続けることに、これから起こる出来事が僅かに肯定的に捉えられる気がした。
「先輩は、どうでした。この五年間」
今日でお互いに最後の日だけれど、今更先輩と話すべきことも見つからない。
かといって世間話をするのももったいない気がして、いつもならあまり訊かないようなことを口にする。
「別に。思ったほど何も変わらなかったよ。私は元々一人だったしね」
「何もってことはないでしょう」
「強いて言うなら、周りが少々騒がしかったことかな。あと、君がここに逃げ込んできたことくらいか。知らない男の子が泣きながらここに登ってきたから、驚いたよ」
「そりゃ、家で仲の良かった兄がおかしくなって、包丁振り回して僕に襲いかかってきたら泣きたくもなりますよ」
僕はあの日に家と家族を失った訳だけど、ここにいる先輩のおかげでどうにか生きながらえている。「私の隣家の住人が『疎開』したから、そこを使うといい。お互い困ったときには助け合おうじゃないか」とその家の鍵を僕に渡してくれた。なぜ隣の家の鍵を先輩が持っていたのかは知らない。盗んだのかも知れないし、元々知り合いの家だったのか。何にせよ、こんなご時世じゃ大して気になることでもなかったから、大人しくそれを受け取った。
道端で殴り合い刺し合いが始まるなんてフィクションの中だけの話かと思ったけど、追い詰められたれそういう人間も出てくると言うことなんだろう。世界的に、人類は凶行を起こす人間とそれをやり過ごそうとする人間の二種類に分かれた。もちろん僕たちは後者だ。
そしてこんな世の中の生き残りに成功して、その報酬が『星』だった。
「先輩は、いよいよこの街を出て行きませんでしたね」
「どこにいたって、結局は同じことだろう?」
「でも、わざわざ『星の衝突地点』に残ろうとする人間なんていませんよ」
「仕方ないんだよ。私はこの街から出られないから」
それだけ言って、先輩はパーカーの腹にあるポケットから小箱を取り出す。
「食べる? ココアシガレット」
「いや、いいです。甘いのは苦手で」
「そうだっけ。結構貴重品なんだぞ、これ」
そう言いながら、せんぱいは白い棒を口に咥え、時々ボリボリと音を立てながらそれを短くしていく。
「……街から出られないってどういうことですか?」
話をはぐらかされそうだったから、僕は話題を元に戻す。それに先輩は興味なさそうに「ああ、それはさ」と呟く。
「私にはこの街から出られない呪いがかかってるんだ。一歩でもこの街から外に出ると、身体が砂になってバラバラになってしまうんだ」
「……それは、何かの比喩ですか?」
「そう思ってくれて構わないよ」
それきり先輩は手元のココアシガレットに集中してしまい、話を訊ける雰囲気でもなくなってしまった。まあ、先輩が話したくないなら、無理に聞き出そうとも思わないけど。
大方、この街で待ち人でもいるんだろう。きっといつかここで会おう、なんて果たされない約束でもしていて、それを律儀に待っているのか。
そう漠然とした予想を立てたけど、あまりにもサバサバとした先輩にそんなロマンチシズムは似合わなくて、その案を脳内で却下した。
「そういう君はどうなんだい」家族がいないなら、どこにでも好きなところに行けば良かっただろう」
「そんなに頑張って生きよう、って熱意もなかったですからね」
「枯れてるね、君は」
「達観していると言って欲しいですけどね」
「そんな立派なものじゃないよ。そうだな。君は兄さんを説得して、最後の時を私なんかじゃなくてお兄さんと過ごすべきだったんじゃないか? 仲良しだったんだろう?」
「……そうでもないですよ」
仲は良かった。学校に友人もそれほどいない僕には、兄は無地の親友と言っても良かった。けど、自分を殺そうと襲いかかってきたときに、僕はきっぱりと兄のことを見捨てることが出来た。
兄から逃げながら、僕はこれまでの兄との思い出を一切捨てて二度と会わない決意を固めていた。そのことに後悔もなければ後ろ髪も引かれなかったのは、命の危機というイレギュラーを差し引いても、自分が薄情だったからということに他ならない。僕は薄々、自分の中に大切な何かを簡単に切り離せる冷酷さ地味た何かがあることに気づいていた。
当然そんなことを説明する気はなくて「それに、ここには先輩がいましたからね。街を出るなんてとんでもない」と冗談を飛ばしてみた。先輩は「それは嬉しいね。実は私も君のことが好きだからこの街を離れられなかったんだ。両思いだね」とジョークを口走る。こういうやり取りはこれまでしてこなかったから、中々新鮮だ。
それからは結局、お互いにどうでもいいことを話していた。昨日の夕飯は隣町から取ってきた缶詰だとか。どこどこの家の倉庫に昔読んだ文庫があったとか、そんなことだ。最後の最後でも、やっぱり人間は変われないらしい。終わりと言えど日常の延長にあるだけということだ。
僕は腕に巻いた時計を見やる。予報では、あと一分もしないうちに星が降るらしい。
「……ああ、あれか」
先輩はため息を吐くように言う。その視線の先には、数十、数百の流星が群れをなして空を駆けている。それはどんな絵画にも描かれていなかった、僕たちだけが知る世界の終わりだった。
「……先輩」
「なんだい?」
「やっぱりそれ、一本ください」
「甘いものは嫌いなんじゃないの?」
「世界の終わりには、タバコをふかしてみたかったんです」
「これはココアシガレットだぞ」
「未成年ですからね。仕方ないです」
「……まったく仕方ないな。最後の一本なんだ。心して食えよ」
「ありがとうございます」
言いながら、僕は下から差し出されたパッケージに手を伸ばし、白い棒を一本引き出す。先輩の言う通り、それは最後のココアシガレットだった。
僕はそれを口に咥えて、空を見やる。人を馬鹿にしたような星線が、強すぎる甘味と共に飛来した。
横目で見やると、先輩はこちらを向かないまま目の前の流星群に魅入っていた。僕もそれに習って前を向く。
世界の終わりにしては、悪くない光だった。
終末に君 相原みー @miiaihara
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