殺伐感情戦線投下用

留部このつき

お題「憧憬」より、「革命後夜」

顔を上げて本から目をそらし、そっと息を吐く。今日はひたすらに忙しい一日だった。間違いなく、人生で一番長い日であった。今読んでいるのは、異国風の装丁の施された、分厚い本だ。全部で5冊ある。一冊ずつが世界でたった一つしかない貴重品だろう。社会には活版印刷が普及してるのに、これは全てが手作りだから。整った字は、隅々まで著者の一途な愛情と憧憬を本に詰め込んでいる。裏通りでも目にしないような、見るからに質の悪い紙とインク。5冊目に至ってはお姫様の血で汚れて、読めないページがある。少なくとも、売り物にはならない。

「今より良い明日みらいが来る」

それがこの国のお姫様の口癖だ。いや、もう何もかもが過去の話だ。彼女はもうこの世の人ではない。今朝、他ならぬ私の手によって彼女は命を絶たれ、今は大広場で王や直属の家臣と共に首を晒している。


「いらっしゃい。私の死の女神イーファ


彼女が暮らす離宮には私一人で突入する計画だった。侍女たちの命は目的ではないし、不用意に踏み荒らして売り払える物品がなくなっては革命の意味がないからだ。一人でお姫様を痛めつけて殺すことだけを考えて、今日まで私はずっと努力し続けてきた。革命軍の全員が、私単身の突入計画を名誉と信頼の証だと信じていた。

一目見たとき、彼女の姿は私の目に焼き付いた。倒すべき、醜い巨悪の姿だ。今から16年前の、お姫様が5歳になった誕生日。貧しい国の、民を虐げてふんぞり返る、着飾った王様とお姫様。お后様はお姫様が生まれた時に死んでしまったの、と私は母からその時に聞いた。私たちに何もしないから、バチが当たったのよ。あなたは人に優しくありなさい。勇気を持って、賢さと失ってはいけません。母の口癖は、今日もずっと私を支え続けている。

この国は貧しい。何もかもが足りていない。だから、誰の目にも宮殿が豪奢で眩しい、目障りなものに映っていた。王様は誰にも慕われておらず、外国からの支援でどうにかこうにか市民は明日を迎えていた。外交的な目的を除いて、王様もお姫様も市民の前に顔を出すことはほとんどなかった。

「良い明日のためには、行動を起こさなければいけない」

革命軍のスローガンを思い出しながら、ページをめくる。気取った装丁だと思う。離宮には事実に考えが至らなければ、本人が後生大事に抱えていた5冊目に決して目を通さない。1~4冊目は、分厚い鉄扉の向こうの王家の肖像画と共に仕舞われた、着古した子供服の下にあった。それを見た時にも、私はまだ彼女が何を考えていたのかに思いを巡らすことはできなかった。それほどに、憎くて憎くて仕方がなかった。


「最初に。この本を読んでいるあなたへ。ごめんなさい。許してほしいなどと申すことはできません。私に、そんな資格はありませんから」


本にはこの国の財政をずっと支え続けていたのは今まで築き上げてきた王家の財宝であったこと、たくさんの政策が講じられ、その全てを実践して、それでもこの国を自分たちで立て直すことは不可能だと判断したこと、最低限の従者のみを残して全て外国に亡命させて、事実上周辺国の属国になっていることがまず記されていた。

次に記されていたのは、周辺国が提案したこの国の開発計画案と、可能な限りこの国の自然を失わないための妥協策と最低賃金を約束させる証書の記録。そして、十年分の、この国の損益を可能な限り大きくするための提案が4つ。

5冊にわたるこの記録と提案は、この国の誰にも思いつかないものだろう。世界で誰よりも、この国のことだけを考え続けた戦士の戦いが、たった5冊の本に刻まれていた。


「最後に。あなたたちのことを、私は世界で誰よりも愛してにくんでいるつもりです。認められずとも、蔑まれようと、その気持ちを偽ることは私にはできません」



「バカなお姫様。死んじゃったら、明日なんて来るはずないじゃない」

財宝の一つも元からなかった離宮の夜は、静かに更けていく。

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殺伐感情戦線投下用 留部このつき @luben0813

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