8-7

 食堂に入っていくと吉永さんが手を振って俺たちを迎えてくれた。

改めて挨拶を交わしてエルナと葛城ちゃんを紹介した。


「ボートのことは残念だったね。私もアレが動かなくなっていることは知らなかったんだ」


 吉永さんがコミュニティーのリーダーを引退してから月日が経っている。

知らなくても仕方がないだろう。


「それについては解決策もあるので、もう気にしていません」

「しかし、こんな信義にもとることは看過できんよ。この脚がもう少し動けばな……」


 今夜の吉永さんは愚痴っぽい気分になっているようだ。

というよりは、コミュの仲間の前では愚痴も吐けないから、外部の人間である俺に心情を漏らしているのかもしれない。

渋みのある吉永さんの皺を見ていたら、いいことを思いついてしまった。


「そうだ。癒しの巫女さんに診てもらえないかな? あの人のスキルなら吉永さんの脚だって元通りになるんじゃないか?」


 骨まで潰れた俺の腕を再生してくれた佳乃さんなら、吉永さんの脚も治せると思う。


「葛城ちゃん、どう?」


 葛城ちゃんは申し訳なさそうな顔になってしまった。


「こちらの吉永さんが代々木の一員になっていただけるのなら、『天回』のスキルで治してもらうことも、あるいは可能かもしれません。ですが……」


 違うコミュの人間に安売りはしないというわけか。


「それじゃあ無理だ。仲間を置いて代々木にはいけないよ。ずっと一緒にこの場所で頑張ってきたんだからね」


 吉永さんは笑顔でそう言ったけど、心の中では残念に思っているに違いない。


「新王とやらもしみったれじゃのぉ」


 エルナの一言に葛城ちゃんが反応して、二人の視線が火花を散らした。

心情的にはエルナに同感だけど、喧嘩には巻き込まれたくはない。


「俺が交渉してみてもいいですよ。新王の欲しい物を用意できると思いますし」


 軽油さえ渡せば吉永さんの怪我を治してくれるはずだ。


「しかし……反町君はどうしてそんなに良くしてくれるんだい?」

「いえね、善意だけで言っているわけじゃないんです。俺としてもいろんなコミュにパイプが欲しいわけでして」


 倫子が見つかったとして、次は育てる環境が必要になってくる。

木更津が素晴らしいところなら問題はないが、変な奴がリーダーという可能性もある。

その場合はどこか違うコミュニティーに拠点を置くことになるだろうから、選択肢は多い方がいいと思うのだ。

いろんなところに恩を売っておけば倫子にだって恩恵はあるだろう。


「葛城ちゃん、提供する軽油の量を増やしたら神大さんは吉永さんの傷を治してくれるかな?」

「おそらくは。新王様は世田谷方面の魔物に対する備えを最優先に考えています。そのためには大量の軽油が必要なのです」


 砧公園のコミュニティーを滅ぼした魔物たちが、いつ北東に進んでくるかは予測がつかない。

俺としても、倫子のためにこの世界の平和には協力したい。

葛城隊のみんなや『天回』を使う佳乃さんのことだってある。

それに塚本さんのいる松濤公園は代々木よりも砧に近いのだ。


「どうですか、吉永さん。本気で怪我を治してみませんか? この話は全員のためになることだと思いますよ」


 もっとも、現リーダーの結城はいい顔をしないだろうな。

結城は吉永さんのスキル「手刀」を恐れているらしいし。


「しかし、ここを離れるのは……」


 吉永さんはなおも迷っていたけど、農業班の人たちが黙っていなかった。


「大丈夫ですよ、吉永さん。ここは俺たちが守りますから!」

「そうですよ。それよりも脚を治してもらってください。弟子たちだって喜びますよ」


 弟子ってどういうことだろうかと思ったら、吉永さんはずっと空手をやっていたそうで、このコミュでも有志に教えているそうだ。

言われてみれば中高年なのに逆三角形のいい体をしている。


「若い頃は全国大会でベスト8に入ったこともあるんだよ」


 それはすごい。

警察官になってからも空手はずっと続けてきたそうだ。


「あの、答えにくいようでしたらいいんですけど、吉永さんの『手刀』ってどんなスキルなんですか?」

「文字通りの技でね。素手で厚さ50ミリくらいまでの鉄を断ち切ることができるんだ」


 そりゃあ、結城も恐れるはずだ。

エルナと吉永さんがセットだったら、重機なんかよりよっぽど役に立ちそうな気がするぞ。


「反町君、お言葉に甘えていいだろうか?」

「任せといてください。神大さんにはおれから掛け合ってみますよ」


 翌日には代々木に出発することを約束して、その晩は早めに就寝した。

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