8-6

 エルナに脂肪を掴まれていた俺の前で、いきなり結城が土下座をしてきた。

なにごと?


「すまなかった! 騙すつもりはなかったんだ。いや、騙すつもりだったんだが、その……コミュのみんなの為だったんだ」


 ほんとになんなのよ?


「どういうこと?」

「実は、ここにあるモーターボートは動かないんだ……」


 亀戸コミュにある船はかつての水上タクシーなのだが、長いことメンテナンスをしていなかったため、今ではエンジンすらかからないという話だった。


「この通りだ! どうか許してくれっ!」


 結城が額を地面にこすりつけていた。


「オールで漕ぐことはできんかのぉ?」

「船体の幅がありすぎて、エルナの手が届かないんじゃないか」


 パワー的に問題はなくても推進方向が定まらないと思う。


「確認を怠ったお主のミスじゃな」

「面目ない」


 ちゃんと船が動くところを見ておくべきだったな。

こういう詰めの甘さが俺にはある。

また叱られるかと、とっさに腹をガードしたけど、エルナは気にしていないようだった。

これ以上は掴まないでね。

オッサンのハートとお腹はデリケートなの。


「缶詰はお返ししますから、どうか穏便に……」


 今さら返されても持って帰るのが面倒だ。


「荷物運びはこりごりじゃ。そこのわらべたちよ、こちらに来て好きなものを持っていくがよい」


 エルナが遠巻きに見ていた徹たちを手招いた。

俺もそれでいいと思った。


「もういいよ……、これは皆さんに上げるから平等に分けてくれ」


 騒ぎを聞きつけて吉永さんがやってきたので公平な分配をお願いした。

この人に任せておけば問題はない。


「助かるよ、反町君。たまにはこんな嬉しいこともないとな」


 缶詰を配る吉岡さんの顔は明るい。

対照的に項垂うなだれた様子で立ち去ろうとした結城に声をかけた。


「缶詰代として今夜はここに泊めてくれるかな?」

「ああ、好きにしてくれ」


 葛城ちゃんがいるので死に戻るわけにもいかないんだよね。



 あてがわれた個室で一人になるとため息が漏れた。

もしかしたら今日中に荒川を渡れるかもしれないと思っていたので失望はでかい。

エルナはあれで気を使うから感情は表に出さないようにしたけど、また少し倫子に会える日が遠のいてしまったと思うと気が滅入ってきた。

美佐は倫子の傍にいるのだろうか? 

この世界の俺は存在するのか? 

存在するのなら倫子の近くにいてやれているのだろうか? 

倫子は幸せに暮らしているのだろうか? 

考えても答えのでない疑問が次々と沸き起こり、俺の心を揺さぶっていく。


「寛二、食事の用意ができたそうじゃ」


 ノックとともにエルナが入ってきた。


「おう! 腹が減っていたんだ。今日の晩御飯は何かな? 期待はできないけど、これだけ運動した後だと何を食ってもうまそうだ」

「うむ……」


 エルナがじっと俺を見つめてくる。


「どうした? 惚れたか?」


 軽いジョークでやり過ごそうとしたけど、エルナは視線を逸らさなかった。


「焦るでないぞ。私がついている」


 まったく……この王女様は呆れるくらいに人を観察しやがって。


「わかっている。ありがとう」

「うむ……うりゃぁっ!」


 突然、エルナが腹を掴んできた。


「おまっ? 何してんだよ!?」

「うるさい! 辛気臭い顔をしてからに! こうしてくれるわっ!」


 プルプルはやめて。

プルプルだけは!


「ギブ! ギブアップ!」

「まだじゃっ! この腹から魔力を抽出してくれるのじゃ」


 エルナは両手を使って俺の脇腹を掴んできた。


「魔力なら普通に吸い取ってくれ。痛くすぐったい! 死ぬっ!」

「やかましい! こうしていると気分がいいのじゃ。なんかわからんが満ち足りてくるのじゃ!」


 どういう性格をしているんだよコイツは!?


「反町殿、食事の用意が……」


 俺たちを呼びに来た葛城ちゃんがドアのところで固まっていた。


「なっ、何を……」


 俺は痛くすぐったくて声も出せない。

代わりにエルナが答えてくれた。


「ぎ、儀式じゃ」


 生真面目な戦国少女は一礼して扉を閉めた。

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