4-2

 塚本さんは旺盛な食欲を見せて、瞬く間に肉や野菜がなくなっていく。

おにぎりの方も端から消えていく勢いだった。

栽培に大量の水を必要とする米は、川沿いのコミュニティーでしか作れないので貴重だそうだ。

塚本さんも食べるのは1年ぶりだと言っていた。


 鍋に残った最後の肉を、菜箸で塚本さんのお皿に入れてあげた。


「遠慮なく食べちゃってくれ」


 本当は少し足りなかったけど、表情には出さずに食べさせてあげた。

俺ってば超大人!


「ちょっと待ってて、貰ってばかりじゃ悪いから、私も肉を取ってくる」


 そう言って、塚本さんは自分の部屋から小さな肉の塊を持ってきた。


「それ、なんの肉?」

「角イノシシよ。やけに殺菌力が強くて腐りにくいの」

「もしかして魔物の肉?」


 見た目は普通の肉と変わらない。

豚肉よりは赤味が強く、かつて見たボタン肉に近い感じがした。

どんな味がするんだろう? 

少し怖い気もしたけど、デブの食に対する探究欲は計り知れないものがある。

それに俺は小説家だ。

未知なる経験は将来の糧だった。


「鍋に入れてもいい?」

「やっちゃってください!」


 ナイフでそいだ肉が白菜の間に潜り込んでいく。

火が通ってしまうと、豚肉との区別はますます難しくなっていた。

どれどれ……。

少し厚めの一切れを箸ですくい上げてポン酢にひたした。


「……うまい」


 予想以上の味だった。

これまでにも様々なブランド豚を食べたけど、角イノシシの肉はそれに勝るとも劣らない美味だ。


「角イノシシ、ウメェ!」


 感動のあまりに声をあげると、塚本さんは複雑な表情をしていた。


「食べたことがないの?」

「ま、まあ……」

「そっか、箱罠がないと獲れないもんね。松濤しょうとうコミュでは鉄工所の跡地で罠を自作したんだよ。元鉄工屋さんがいたから」


 角イノシシは箱罠というもので捕まえるらしい。

確か鉄の檻みたいな箱型の罠のことだな。

中に餌を置いておびき寄せ、イノシシやクマを捕まえているのをテレビで見たことがある。

この世界の東京では狩猟がよく行われているそうだが、そのほとんどは罠猟だそうだ。


 一度飲みこんでしまえば忌避感はまったくなくなり、魔物の肉も平気で食べられた。

つくづく美味しいは正義だ。



 食材はすべて二人のお腹に詰め込まれた。

心地よい満腹感に浸りながら俺たちは壁にもたれている。


「そういえば、お金を集めてきたよ」


 塚本さんがむき出しの金を渡してきた。


「おっ、けっこうあるな」

「全部で22万6千円。小銭は部屋に置いてある」

「大金だな。どうする? 食料でもいいけど、こんなものもあるよ」


 買ったばかりの100円ライターを取り出して、火を点けてみせた。


「ええ! 日用品も取り扱ってるの? あっ……」

「どうした?」

「今夜の夕飯代は?」

「それはいらないよ。招待したのは俺だもん」


 そう言うと塚本さんは俯いてしまった。


「どうして……そんなに優しいの?」


 いや、改まって聞かれると困ってしまうのだが……。


「大人の余裕ってやつかなぁ、なんちゃって」


 照れ隠しにつまらないジョークを飛ばしたけど、塚本さんは笑ってくれなかった。


「こんなまともな食事、スタンピード以来食べたことないよ。多分、食事の代わりに何かを要求されるんだと思ってた」


「そんなことしないって」


「うん。だから驚いてる……。ほんとはね、あの食事を見たとき、絶対に体を要求されると思ってたんだ。私、自分でも胸が大きいの自覚してるから」


 これはうかつに相槌あいづちもうてないな。


「今までだって、そういう誘いはいっぱいあったよ。それでも断り続けてきた。だけど、今夜の食事を見たら……もう、どうでもいいかなって……うっ、うぅ……」


 塚本さんは泣き出してしまった。

美味しいご飯に感動したというのもあるんだろうけど、人の親切に触れるのが久しぶりだったのかもしれない。


「安心してくれ。人の弱みに付け込むようなことはしないから」


「うん」


「で、ビジネスの話をしよう! 缶詰とライター、どっちが欲しい?」


 務めて明るく話題をふると、塚本さんはようやく笑顔を見せてくれた。



 取引は、22万6千円に対してライター1つと缶詰2個、オマケでチェロルチョコを3個ということで成立した。

ちょっと高すぎだって? 

甘いな。

優しいパパも商売にはシビアなのだよ。

たとえ相手が美女だったとしても、安売りはしないのさ。


「反町さん」


 初めて名前で呼ばれた気がする。


「どうした?」


「今夜はこの部屋に泊まってもいい?」


「………………………………えっ?」


 思考回路がショートしました。

予備回路に切り替えます。


「ほら、こっちの部屋の方が暖かいし、安全マージンも取れるじゃない」


 なんだ、そういうことか。

でも、俺に襲われる心配もあるだろうに……。


「俺が怖くはないのかい?」


 動揺する心を誤魔化して、なんとか茶化して聞いてみた。


「魔物よりはね」


 そりゃあそうかもしれないけどさ、オジサンはその発言をどう受け止めたらいいんだよ?



「おやすみなさい」


 自室から持ってきた毛布に包まると、塚本さんは背中を向けて横になってしまった。


「おやすみ……」


 本当に寝ちゃった? 

やがて微かな寝息が聞こえてきて、呼吸の度に肩が動いている様子が見えた。

そばに寄って確かめてみたけど、本当に寝入っているようだ。


 ずるいぞ。

けしからん胸をしているのに、子どもみたいな寝顔をしやがって。

そんなに無防備でいられたら、俺も手を出せなくなるじゃないかっ!


 今夜は向こうの世界に帰るわけにはいかなくなってしまったな。

まあ、戻るのは明日の朝でもいいだろう。

ディストピアの布団はかび臭かったけど、まとわりつくような孤独感はなくなっていた。

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