3-2

 高円寺まで来ると、駅の下にあるスーパーマーケットで買い物をした。

もちろんあちらの世界の倫子と美沙に差し入れる予定の品だ。

会えるかどうかはわからないけど、買っておくに越したことはない。

今回はない頭なりに考えて、日持ちのしそうなイモ類や玉ネギ、缶詰などを中心に購入した。


 住宅街の細い路地を抜けて進むと、倫子たちの住むアパートが見えてくる。

部屋を見上げて確認したが、窓のカーテンは閉まったままだ。

倫子は保育園だろうし、美沙も仕事中だろう。

看護師だからシフトによっては部屋にいるかもしれないが、今日はこちらの彼女に会いに来たわけじゃない。

エントランスの郵便受けの上に魔導書を広げて、買い物袋を下げたままの状態で手をおいた。



 転移してみると、俺は同じアパートのエントランスにいた。

先ほどまではなかった大きな亀裂が壁の上下に走っている。

ちょっとした地震でもくればたちまち崩れてきそうなほどだ。

耳を澄ましても人の気配は感じられず、辺りはシンと静まり返っていた。


 コツコツとコンクリートの壁に自分の足音が響く。

期待と不安に押しつぶされそうになりながら階段を一気に駆け上った。


 小さくドアをノックしてみたが返事はなかった。

期待していなかったとはいえ、失望を禁じ得ない。

仕方がなくそっとドアを開けようとすると、ここでも扉は難なく開いた。

おそらく、室内は物色された後なのだろう。


 美沙と倫子の部屋は、扉を開けるといつも石鹸の香りがしていた。

でも、今はカビと埃の匂いしかしてこない。

ここも生活用品が持ち去られた後だった。


「倫子」


 人が住んでいる形跡なんてどこにもなかったけど、それでも呼びかけずにはいられない。

だが、あの天使のような返事はどこからも返ってこなかった。


 二人の行方の手掛かりはすぐに見つかった。

ここでも部屋の壁にメモが張り付けてあったのだ。


娘と一緒に小学校へ避難します。

             美沙

 

 走り書きのような文字から、かなり急いでこのメモを書いたことが想像できた。

ここから一番近い小学校と言えば杉並区立八波小学校だろう。

行ってみるしかないな。


 部屋の隅で倫子の宝箱が横倒しになって、中のおもちゃが床に散乱していた。

そういえばこの箱は倫子のお気に入りだったな。

水色とピンクの縞模様で、クマのぬいぐるみのプリントがついている。

床に散らばっているおもちゃを一つずつ箱の中に戻していくと、折り畳まれた画用紙が目についた。

広げた瞬間に嗚咽が漏れてしまう。

画面いっぱいにクレヨンで描かれた大人と子ども。

二人は手を繋いでいた。

すぐ下には大きな文字で「ぱぱとりんこ」と書いてある。

歯を噛みしめても溢れ出る涙は止められなかった。


「絶対に探し出す……パパが絶対に……」


 ひとしきり泣いた後で、袖で涙を拭った。

やるべきことはわかっている。

まずは杉並区立八波学校(すぎなみくりつはちなみしょうがっこう)だ。



 小学校はアパートから3分もかからない場所にあった。

ブーツに履き替えたおかげで、崩れた道もずっと歩きやすくなっている。

やっぱり道具にはお金をかけないとダメだな。

次はもう少し真剣に装備のことを考えてみよう。

まともに移動しようと思ったらグローブなんかも必要だ。

折り重なった瓦礫をよじ登りながら、必要になりそうな装備を考えた。

これからも倫子の捜索と出稼ぎを続けるのだから、装備はできるだけいいものを揃えなくてはならない。


 小学校は高いブロック塀に囲まれているうえ、トラックなどの大型車の他、土嚢やコンクリートなどの瓦礫で補強されていた。

汚いウィンドブレーカーを着た男がトラックの上で槍を構えている。

弓を構えた男もいてこちらに狙いをつけていた。


「そこで止まれ! ここに何の用だ!」


 城門を守る番兵みたいなものだな。


「自分は家族を探しています。この近所に住んでいました。そちらに高樹美沙という女性か、倫子という女の子はいませんか? 6歳の女の子です」


 男たちはこそこそと話し合っていたが、やがて大きな声で返事を返してきた。


「ここにそんな人はいない! 他をあたってくれ!」


 普段の俺なら、はいそうですかと引き返しただろう。

だけど、娘を探す父ちゃんとしては簡単には引き下がれない。


「中の人に話を聞かせてください。お願いします!」

「だめだ! よそ者は信用できない。帰ってくれ!」


 最敬礼で頭を下げているのにダメですか……。

情に訴えても無駄なら、胃袋に聞いてやる! 

スキルが発現していない俺にとって、唯一の武器となるのは物品だ。

買い物袋からサツマイモと缶詰類を取り出して頭上の兄ちゃんたちに見せてやった。


「ここにこれだけの食料があります。野菜だけじゃなくて缶詰も! これで話を聞かせてもらえませんか?」


 兄ちゃんたちは驚愕の表情で俺を見ていた。


「おい、イモだけじゃなくてモモ缶があるぞ!」

「あ、ああ。あっちのは焼き鳥缶か?」


 モモ缶は倫子用に買っておいたのだが、兄ちゃんの心(ハート)を鷲掴みにしてしまったようだ。

黄桃じゃなくて白桃にしたのが勝因か?

俺はどちらも平等に愛している……。


「ちょっと待っていてくれ。今、リーダーを呼んでくる!」


 槍を持った男はトラックの向こう側へ消えてしまった。



 しばらくすると騒がしい男の声が聞こえてきた。

そして、トラックの荷台の上に短髪で大柄な男が現れた。


「ウヒョー、マジでモモ缶持ってんじゃん! なになに、それどうしたの?」


 やけに軽い喋り方をする男だけど、野生動物のような凄みも持ち合わせている。

ちょっと、お近づきにはなりたくないタイプの人間だ。


「缶詰はたまたま民家の食糧庫で見つけて……」


 話がややこしくなるので嘘をついた。


「へ~、やっぱり真面目に探せば、あるところにはあるんだな。おめえらも、もうちょっと気合入れて探せやっ!」

「ウェイ!」


 こんなところに倫子はいるのか? 

養育環境としてはいかがなものかと思う。


「で、なに? その食料をくれるって?」


 ただでやるとは言ってないぞ。


「自分は娘の行方をさがしているんです。この近所に住んでいました。当時のことを知っている人がいたら話を聞きたいんですけど」

「ん~、あっそう。……まあ、いいか。縄梯子をおろしてやれ」


 トラックの荷台から縄梯子が降ろされてきた。

買い物袋を二つ持っているので手こずったが、何とか上まで登りきる。


「ノワーッ!! 焼き鳥缶もあるじゃん! オッサン、探索系のスキル持ち?」

「いえ……そういうわけじゃ……」


 そんなスキルもあるんだな。


「ほんとに~? だってオッサンデブじゃん。探索系のスキル持ちじゃなきゃ説明つかないぜ」


 このリーダーは見た目に反して頭が切れるのか?

それともこの世界では小デブすら目立ちすぎるということか。


「所属コミュを探してるんなら優遇するぜ。服のストックはあるし、女も抱き放題だ」

「……いえ」


 さっきまでこの場所に倫子がいてほしいと心の底から願っていた。

だけど今は違う。

こんな場所だけにはいてほしくない。


「自分のスキルは全然ちがうよ。これは運が良かっただけだ」

「ほ~ん、そうなのか。それは残念」


 一気に興味を失ったようで、男はその場を離れようとした。


「八木沼さん、このオッサンどうします?」

「あん? どうでもいいよ。食いものは貰ったから、話くらいさせてやれば?」

「わかりました」


 リーダーの名前は八木沼か。

きっと強力なスキルを持っているのだろう。

部下の男に促されて、小学校の敷地に踏み込んんだ。

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