2-7

 緊張しながらインターホンのボタンを押したけど、反応はまったくなかった。

当たり前か。

こちらの世界に電気はない。


「ごめんください!」


 ドアをノックしてから大きな声でお隣さんを呼んでみた。

待っている間は少しだけドアから離れておく。

いきなり槍でグサリは嫌だもん。


 しばらくしてドアチェーンをつけたままの扉が開いた。


「なに?」


 警戒するようにお姉さんが顔を見せている。

手にはしっかりとロンギヌスが装備されていた。

俺の如意棒より強そうだ。


「これ、お近づきのしるしに持ってきました」


 手にした缶詰やジュースを見せた。


「はえ?」


 お姉さんは声を失って固まったまま、呆然と俺の持参した食品を見ている。


「それで、もしよかったらお話を聞かせてもらえませんか。自分、記憶喪失みたいなんですよ」


 これはもちろん作り話だけど、そうでも言わないと現在の状況を教えてもらえない気がしたのだ。


「ドアのチェーンは外さなくていいですから、いろいろと教えてください。ダメですか?」

「ダメじゃない!」


 お姉さんの声が大きくてびっくりしてしまった。


「……本当にくれるの?」


 とりあえずバッキーゴリゴリアーモンドクラッシュをお姉さんの手の届くところに投げてあげた。

箱を掴むと扉が閉まり、中から声が聞こえてくる。


「あ~、チョコレートの匂いなんて何年ぶりだろう……」


 ということは、この世界の荒廃ぶりは、ここ数年の間に起こったということだろうか。

バリバリとパッケージを開ける音がしていたが、それもやがて止んだ。

声をかけるのも悪い気がして大人しく待っていると、しばらくしてから再び扉が開いた。


「それで、何が聞きたいの?」


 クールに振舞っているつもりかもしれないけど、口の端にチョコレートが付いていた。

あらやだ、可愛いじゃない。


「えーと、この世界に何があったんですか?」

「はっ?」

「いえね、俺、昔の記憶しかないんですよ。日本が栄えていた頃の……」


 そう言うと、お姉さんは納得したような顔になった。


「なるほどね。コミュでも貴方みたいなタイプを見たことがあるわ。辛い記憶から逃れたくて記憶喪失になっちゃう人」


 コミュってなんだろう? よくわからないけど喋らせておこう。


「貴方、本当に覚えてないの? 二年前のスタンピードを」


 それは世界同時多発現象だったそうだ。

突如世界中の地下から魔物が溢れだしてきて人類に襲い掛かった。

地下鉄の駅やら、排水溝やら、あらゆるところから大小の魔物が地上に上がってきたという。

その数……不明。


「数えきれないほどの魔物が街路を埋め尽くしていたわ」


 溢れだした魔物は人類に牙を剥き、文明を滅ぼしにかかった。

もちろん人間だって手をこまねいていたわけではない。

警察や軍隊が対処にあたったが、いきなり市街地を制圧される状況など、どこの国だって想定していなかったのだろう。

抵抗も虚しく、多くの人が犠牲になった。

それでも泥沼のような戦いは続き、人間も魔物も少しずつその数を減らして、今のような小康状態を保っているらしい。


「魔物は完全に駆逐されたわけじゃないの。大物は出てこないけど中小の奴らは今でも街をうろついているわ。でも、生産力が著しく低下したこの国では大事な食料にもなっているのよ。大抵の魔物は食べられるからね」


 公式発表をする政府やメディアなどはないから、実際にどれくらいの人が亡くなったかはわからない。

でも、お姉さんの感覚的には日本人の95パーセント以上が死んでしまったのではないかという話だった。


「政府機能とかはどうなっているんですか?」

「偉い人とか残存兵力は北海道に移ったって噂よ。確かめる方法なんてないけどね」

「自衛隊の駐屯地や在日米軍の基地は?」

「アメリカ軍なんて速攻で本国へ帰ったわよ。向こうも大変だったみたい。朝霞も習志野も壊滅してるって噂よ。すぐそこの防衛省もダメみたい。地下施設に職員が立てこもってるなんて話もあるけど、私は見たことがないな」


 経済や流通もズタズタか。


「そうですか。防衛省にいったら武器くらい手に入ると思ったけど……」


 お姉さんはバカバカしいと言わんばかりに手を振って笑った。


「弾薬なんてどこにも残っていないわよ。みんな使っちゃったし、作れる人がいないんだから。ごくまれに空気銃で鳥を撃ってる人がいるだけ。みんなの羨望の的よ」


 空気銃はレバー式の手動ポンプで圧縮空気を作り出すそうだ。

それだって壊れてしまえばやがて作り出せなくなるのだろう。


 いつしか俺は壁にもたれて座りながら話を聞いていた。

お姉さんも玄関の内側で座っている。

俺は焼き鳥缶を玄関の方へ転がした。


「もう一つ教えてください。俺は反町寛二と言います。貴方の名前は?」


 お姉さんはがっちりと焼き鳥缶を掴んだ。


「私は塚本里奈。ねえ、この食べ物、どこから持ってきたの?」

「並行世界からだよ」


 正直に答えたら溜息をつかれた。


「そりゃあ、教えてくれないよね」


 教えてあげられないというか、説明しずらいのだ。


「貴方、本当に変。だいたい、どうしてそんなにきれいな身なりをしているのよ?」


 キレイ? 

イモジャージを着ているのに?

そんなこと言われたのは初めてかもしれない!

ちょっぴり嬉しい。


「それに、なんでそんなに太っているの?」

「グハッ」


 「バカって言うやつがバカなんです!」と言い返すことはできるが、「デブって言うやつがデブなんです!」とは言い返せない。

だって塚本さんはスタイルが抜群なんだもん。


「ごめんなさい。でも、食糧難のこの時代に貴方ほど栄養が満ち足りている人って稀よ」


 溢れる栄養、少ない教養! 

いや、アホなことを言ってる場合じゃないな。

そういえば塚本さんはおっぱいは大きいけど随分と痩せているようだ。


「これも飲みなよ」


 引き出すべき情報は引き出し切れていなかったけどファンタムグレープも進呈した。


「いいの?」

「ああ。さっきも言っただろう。お近づきのしるしだ」


 塚本さんは嬉しそうにファンタムグレープを受け取った。

しかも手渡しで。

なんかね、フーフー言う野良猫を手懐けたような達成感だ。


「なにか、お礼ができるといいんだけど」


 お礼? 

ピキーンと俺の脳細胞に電流が走っていた。

それはもちろん……。


「実はお願いしたいことがある。塚本さん……お金持ってる?」

「はぁ!?」


 頭の弱い人を見るような眼で見つめられてしまった。

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