2-6

 このアパートは5階建てで、各フロアには4つの部屋が配置されている。

俺が住んでいるのは2階だ。

まずは2階の安全を確保してから、アパート全体を探索、しかる後に外へ出てみようという方針を立てた。

少しずつ行動半径を広げていくというやり方だね。

さっそく隣の部屋の様子を窺ってみようか。

住人がいるという可能性もあるが、そのときは平和的な会話に持ち込んで、この世界の情報を引き出すつもりだ。

元いた世界では、大学生くらいの若いあんちゃんが住んでいたのだが、ここでも一緒だろうか? 

耳の後ろがドクンドクンと脈打つほどの動悸を抑えながら、鉄製のドアに耳をつけた。


 物音は何も聞こえない。

どこか遠くでカラスの鳴き声がしただけだ。

意を決してドアノブを回すと、ドアはあっけないほど簡単に開いた。


「こんにちは~」


 寝起きドッキリのレポーターみたいに、小声で挨拶をしてみたけど返事をしてくれる人はいなかった。

この部屋にも土足の跡が散見される。

俺もサンダルのまま上がらせてもらった。


「誰もいませんかぁ?」


 返事など期待しないまま部屋の中を物色してみる。

やっていることは空き巣と同じなので良心と羞恥心が目を覚ましたけど、ここは元いた世界ではない。

あちらの常識をこちらに持ち込むなと言い聞かせて荷物をあさった。


 間取りは俺の部屋と大して変わりがない。

入口のすぐ横にキッチン。

そこから細い通路があって、奥の部屋へとつながっている。

通路の途中にユニットバスの入口があるのも同じだ。

ただ、この部屋は俺の部屋よりも惨状がひどかった。

玄関横のキッチンにはゴミが山のように積まれていて、足の踏み場もないほどだ。

だけど、そんな状態に違和感を覚えた。

これは荒らされた跡というより、生活臭の名残というやつなのじゃないか? 

この部屋は荷物で溢れている。

持ち去られたというよりは、持ち込んであるのだ。

鉄パイプを握り直して、さっきよりは大きな声で呼びかけてみた。


「ごめんください」


 やっぱり反応はない。


 警戒を解かずに奥へ進むと、俺はそこで見慣れた物を目にした。

部屋の中央に敷かれているのは間違いなく俺の万年床だ。

元妻の美佐とよりも多くの夜を共にしてきた、人生最良の相棒だから見間違えるはずがない。

まだ金のある頃に購入したので、敷きパッドも羽根布団も高級品だ。

枕だって俺に合わせた特注品だぞ。

きっとこの部屋の住人が持ち込んだのだろう。

他にも盗まれた物があるだろうか?


「あっ!」


 窓際には本が積んであったのだが、その中の何冊かが俺の蔵書だった。

中でも一番目についたのは自著「千のスクローラー」だ。

出版社からの献本で同じものが20冊くらいあったのだけど、10冊近くが散乱していた。

中には真ん中から破かれている状態のものもある。

どうしてこんなことをと考えたが、謎はすぐに解けた。

ベランダにはバーベキューに使うような小さなコンロが置いてあり、そこで煮炊きが行われているようだ。

どうやら俺の本は燃料として役に立っていたらしい。

確かに必要のない本ではあったけど、ビリビリに破かれた姿を見るのは悲しい。

古本屋にも売らずにとっておいたのに……。


キィ


 鉄の扉がきしむ音がして、誰かがやってきたことがわかった。

俺は思わず身構える。

入ってきた人物もギョッとして俺に槍を突きつけてきた。


「どうやって入ったの⁉」


 やってきたのは見たこともない女の人だ。

年齢は20台半ばだろうか。

黒いパンツに革のジャケットを着ている。

髪の毛はぼさぼさだったけど、ワイルドな美人さんだ。

ワイルドなくせに眼鏡をかけているところが俺の性癖のど真ん中を刺していた。


「か、鍵が開いてましたので」

「はぁ? 玄関は封鎖してあるはずよ。壁でも登ってきたわけ?」


 狭い室内で手製と思しき槍と鉄パイプが今にも交差しそうな勢いだった。


「隣に住んでいる反町です。そこにあるのは俺の布団だし、窓際にあるのは俺の本ですよね」

「えっ?」

「だから、隣の住人なんですってば。貴方こそ誰ですか? ここに住んでいたのは大学生の男の人だったはずですが」


 女性は珍獣を見るように俺を見つめていた。


「隣の人って、今まで見たことないわよ!」


 そういえばこの世界の俺っているのかな? 

部屋には生活の痕跡はどこにもなかった。


「久しぶりに帰ってきたんです。それよりも貴方はどこの誰なんですか?」

「ここは、私のかつての恋人が暮らしていた部屋よ。少し事情があって一週間ほど住んでいるの。この世界で居住権なんて主張しないでよね」

「恋人って中村さんの?」


 確かそんな名字だった気がする。


「あっ……健司を知ってるの?」

「隣人ですから……」


 かつての恋人を知っていると聞いて、少しだけ警戒を解いたようだ。


「貴方の布団を取ってしまったのは謝るわ。持って帰っていいからここから出て行ってくれない?」

「じゃあ、少し離れていてください」


 槍を突きつけられた状態じゃ荷物なんて運べやしない。

彼女は頷いてこちらを向いたまま後ずさりをしていった。



 布団を運び終えて一息付けた。

クールに振舞っていたのだが、本当は極度に緊張していたのだ。

ペットボトルのコーラを一気に飲み干して精神の均衡を図る。

ぶどう糖果糖液糖は脳と心の栄養だ。

いや、間違いなく体の栄養か。

う~ん、太る、太る。


 いきなり異世界の洗礼を受けてしまったな。

ファーストコンタクトで武器を突きつけられるんだから無法地帯もいいところだ。

それだけ荒廃した世の中なのだろう。

問答無用に攻撃されなかっただけマシなのかもしれない。

だけど、できるならさっきの女性からこの世界の情報を引き出しておきたい。

なんとかお近づきになる方法はないだろうか。

やっぱり、手土産をもって挨拶に行くというのが定石のような気がする。

一応、お隣さんなわけだし……。


 俺は自分の荷物を広げた。

飲みかけのコーラでも喜ばれそうな気がするけど、ここはケチケチしないでVIP待遇でいくべきだろう。

VIP待遇とは焼き鳥缶を差し出すということに他ならない。

焼き鳥缶だけじゃ弱いかな? 

ならばパッキーゴリゴリアーモンドクラッシュとファンタムグレープ500ミリペットをつけてしまおう。

これで落ちないデブはいない! 

あっ、落とすのはワイルドなお姉さんか。

まあ、何とかなるでしょう! 

楽天的な性格だから当たって砕けろだ。

どうせ死にゃしないしね。

てか、死ななきゃ向こうには帰れない。

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