2-2

「はい。はい。ご迷惑をかけて申し訳ありませんでした。はい。失礼いたします」


 電話口ながら平身低頭で謝っておいた。

もちろんバイト先の蕎麦屋にである。

突然だけど、今日でバイトをやめることを告げたのだ。

まだ研修期間中だったけど迷惑をかけてしまったな。

天婦羅の揚げ方は後学のために習っておきたかったけど、致し方あるまい。

俺にとっては、かき揚げよりも異世界へ行く準備の方がはるかに重要だ。

がっぽり稼いで娘の学費をドドンと支払う。

俺の頭にあるのはそれだけだ。


 荷物をいれるためのリュックサックは物入れの奥で見つかった。

少しカビ臭かったけど、洗濯機に強引に突っ込んで洗ったら臭いはとれた。

今はベランダの物干しにぶら下げて日光浴をさせている。

次に用意すべきは食料だろう。

デブゆえにそこはこだわりたい。


 近所のスーパーがオープンすると同時に乗り込んだ。

数年前まではコンビニを頻繁に利用したけど、貧乏に慣れてくるとそんな習慣は自動的になくなった。

ペットボトルだろうがスナック菓子だろうが、生スイーツだろうが、コンビニよりもスーパーの方が圧倒的に安いのだ。

カートにカゴを乗せて、清涼飲料水やスナック菓子、ビスケットタイプの携帯食料などを放り込んでいく。

おにぎりは夕方の特売で買いたいところだが、今日は諦めよう。

やっぱり日持ちのするものが安心だから缶詰なんかがいいよね。

ツナと焼き鳥はマストアイテムだ。

甘いものだって欲しいよね。

後は水も必要かな? 

向こうの世界で水道水が使えるとは限らない。

用心に用心を重ねて、大量の食料品を買い込んだ。

「くっ……」

 四つ分の買い物袋が手に食い込んで痛い。

総重量は8㎏を超えているな。

2リットルのペットボトルを3本買ったのが敗因だろう。

だけど、コーラはデブのガソリンだ。

これが無くては動くこともままならない。

転移は自分のアパートで行うから、部屋に備蓄しておけば問題ないだろう。

出稼ぎが一回で済むとは限らないもんな。

レトルトカレーやカップ麺も買っておきたかったけど、それは次回の買い出しまで待つことにした。

欲を言えば切りがない。

俺は自制を知るデブなのだ。

次の持ち物を用意すべく、家へと戻った。


 こうして行動の基本となる食料は手に入れることができた。

次に考えなければならないのは武器だろう。

最終的には殺されてこちらの世界に戻ってくるとしても、昨日のようにすぐに死ぬというのはいただけない。

どうせならある程度の金を集めてから死にたいじゃないか。

だけど、武器になりそうな物なんて、この家には包丁くらいしかない。

M16という自動小銃があるけど、電動エアガンじゃどうしようもないしね。

せめてもう少し殺傷力の高いものが欲しいよな。

考えた末にホームセンターで鉄パイプを買ってきた。

長さは2メートルもあって、ちょっと扱いにくそうだけど、手にずっしりとくる重みは安心感を与えてくれる。

練習のつもりで軽く振ってみたら、テーブルの上の茶碗にあたって粉々に割れてしまった。

圧倒的じゃないか……俺の武器は……。


   ♢


 倫子と美佐とショッピングを楽しんだ後、三人そろって夕飯を食べた。

こんな風に親子で過ごすのは久しぶりのことだ。


「パパ、とっても美味しかったね。私、また来たいな」


 カジュアルな洋食屋さんを選択したんだけど、倫子は気に入ってくれたようだ。


「そうだね。また来週に来ようか? それとも来週はお寿司屋さんがいいかな?」


 どちらにしようか困っている倫子は世界で一番可愛かった。

なぜもっと早くそのことに気が付かなかったのか……。

俺は相対的にしかものを考えられない愚か者なのだろう。

失った状態になって、ようやく失ったものの価値に気が付く大馬鹿野郎だ。


「どうしたの? 随分羽振りがよさそうだけど、書籍化でも決まった?」


 美佐は無自覚に俺を傷つけてくれる。

悪意がないのはわかっているけど、辛い言葉だった。


「そうじゃないよ。ちょっと新しいバイトを始めただけだから」


 小説だけで飯が食えれば一番ありがたいが、そんなことができるのは一握りの人間だけだ。

俺はこれから遠い世界へ出稼ぎに行かなければならない。

命懸けでというか、最後は死ななきゃ帰れない過酷な未来が待っている。


 最後に抱っこをすると、離れるのが嫌で倫子は少しだけぐずった。

俺だってこのまま連れて帰りたい気持ちでいっぱいだ。


「一緒に……帰ろうよぉ」


 それができたらどんなに幸せか。


「倫子、パパはこれから倫子のために頑張ってくるよ」

「お仕事?」

「そう。だから、倫子はお母さんの言うことをよく聞いて、いい子にしていてね」


 なおもぐずる倫子を美佐が引き離した。

年々、重くなっている。

つい最近まで左手一本で軽々と抱っこできたのにな……。

娘の成長に、寂しさと嬉しさが同時に去来した。

あの子の未来のためにも、俺は頑張らなければならない。

二人の姿が見えなくなるまで見送ってから、決意を持って踵(きびす)を返す。

いよいよ明日は異世界へ向けて再出発だ。

今夜は少し小説を書いたら、その後は飲んだくれて寝てしまおう。

明日からは戦いの日々である。

孤独を酔いで紛らわすために、ストロング系酎ハイを3本買って帰宅した。

さすがにバーで一杯ひっかけるという余裕はまだない。

それにお洒落な店よりも、コンビニで買ったチーズちくわを齧りながら、酎ハイを飲む方が俺には似合っているのだ。


レモンとブドウ、どちらから先にいこうか?

そんな問いを自分に発しながらアパートの階段を上った。

だけど、その答えは保留となってしまう。

だって、俺の部屋の扉にもたれて、異世界人が座っていたから。

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