2-3
◆◇◆
「現場に偶然居合わせた人が撮ったにしては構図がキレイすぎるよな。映画の1カットみたいだ」
フィラメント型LED電球の灯りが、6畳のワンルームを朗らかに照らしている。テレビ、ベッドなどの生活用品の配置は、線引きでもされたかのように前面が一定の直線状に倣っていた。
その中心に頓挫した胡坐椅子に、ジェットは腰を下ろしている。室内を天井から見下ろせば、家具と電化製品で咲いた花のようであろう。
名前も知らない自爆テロ実行犯のアロイコア活動停止信号が送られると引き換えに、口座に入金されることが契約内容だった。スマートフォンでそれを確認したジェットは、写真アルバムのフォルダを開き、もう一度、撮影した納品写真を見返していた。
自爆直前の男性を中心に据え、その両サイドは建物の柱であったりシート間の仕切りであったりと2本の線で実行を挟んでいた。
ぼやけていて輪郭でしか判断できないが、店内のレイアウトはジェット自身がよく記憶していた。
いわゆるサンドイッチ構図とよばれるもので、どこからか覗き込むように目線を誘導して被写体を目立たせる技法だった。ジェット自身には意識したつもりこそなかったし、撮影した直後は物に隔たれて良くない写真だとさえ思った。
良くない写真、云わば意図的に不自然さが求められていたことを、今改めて理解したところだ。
フローリング材を覆う丸レーヨンカーペットに刺繍された
家を出る前に炊いていたオイル灸の匂いがかすかに残っている。
――カッコつけようとするからよ。自然でよかったの、自然で。
アシュリーに向けて言ったわけではなかったが、彼女と脳を共有している以上独り言を呟ける場所はどこにもなかった。ジェットは返事に代わり大きな溜息をひとつ。
「そんなのわかるわけないじゃないか。こんな依頼初めてだ」
外出先や他者が近くにいるような場所ではアシュリーの声には思考で応答しているが、二人きりだけの場所では会話をするように声で答えていた。人工知能でこそあるが、一人の人間としては見ているというジェットなりの気遣いであったが、アシュリーにそれが伝わることもないだろう。
――次回からこの反省を活かせるわね。
「願わくばこの手の依頼は最後にしたいけどね。まだ僕の脳内フォルダに爆発直後の映像が残ってるけど、再生するかい」
――遠慮しておくわ。レジに立った若い男の子の弾け方があまりにもショッキングだもの。
「昨日、焼死体になった彼が恨めしそうに僕をにらみ続ける夢を見たよ」
――あら、アロイコアも夢を見るの?
「君が見せているのかと思ってた」
――にしても、ジェット。
――なんでこんな仕事請けようと思ったのさ。反政府組織の手助けなんてさすがに節操なさすぎじゃないかしら。
「今月の生活費がピンチなんだよ」
ジブに対して強い思い入れがあるので、阻止できない爆破ならせめて自分が見届けたかったという思いも含まれているが、それは大義名分でしかなかったので回答には含めなかった。
ジェットは、2年前までの記憶のすべてが欠落していた。
自分の名義でこの空間が存在していたことや、それまでの生活感、なにより会話や社会行動に必要な知識や素養は記憶を失う物とおぼしき量を持ち合わせていたので、まさに記憶領域の一部だけを取り除かれた状態で、今の自我が芽生えた。下部在住の独身男性として。貧困層ではないようだが、豊かな生活ともいえない。
一定以上の貯金は残っていたので、それを切り崩しながら日々を営んでいたが、それも底を突き始めたころ。就職について考えるが、自身の記憶領域を取り戻せるチャンスが金輪際訪れずとも、わずかにある残滓を刺激して、ピースを集めるように眠っている部分を掘り起こせる機会を得られる場所を両立できないかと考えた。
様々な場所に赴き、多種多様な人物に出会い、色とりどりの活動に着手してみる。依頼1つですぐに動ける【何でも屋】は、今の自分に最適だとジェットは判断した。
アシュリーの搭載を決めたのはその翌月である。
スマートフォンの画面を落とすと、店舗を出る前に回収し忘れた推理小説のことを思った。
まだ現場には警察官や記者、やじ馬、顕示欲が抑えられないネット動画家などが入り乱れていることを思うと、無傷の状態でゼブのテーブルに残っているとは考えづらかった。
しかし確認に行ってみるだけの必要はあると、それだけの価値はあるとジェットは腰を上げた。2,3度伸びを繰り返すと、窓際のハンガーにかかったトレンチコートに手を伸ばす。
犯人は現場に戻る。
小説の受け売りが脳裏をかすめていったが、自分の配役はなんぞやと問われば、ただの雇われ目撃者だ。犯人ではない。
部屋着のままではあるがコートのボタンを留めてかがむように歩けば見抜かれることはないだろう。幸いズボンは黒色なので着合わせからスラックスのように錯覚するに違いない、とジェットは見積もった。
スマートフォンをコートのポケットに差し込み、玄関のたたきに並ぶ革靴に足を差し込もうとしたその時。
古臭い電子音を震わせて、インターホンが鳴った。まるでジェットの行動を不可視位置にある第三者が逐一監視しているみたいで、それは違うぞと物理的手段を介して警鐘を鳴らしているかのように錯覚さえした。
4秒ほど間を開けて、ジェットは魚眼レンズをゆっくりと覗く。
午前の陽光を背景に、シルクのスーツに袖を通した、肥満体の壮年男性が最初に目に入った。彼が纏っている艶やかな光沢は衣服の材質ではなく、自身脂汗によるものなのではないのかとジェットは一目だけで嫌悪感を覚えた。
その右隣に立つ、背の高くてか細いシルエットは、足元以外を覆うロングコートと深くかぶったフードが影を落としているせいで性別さえも判別しづらかった。身長の高さから男性なのだろうかという印象を抱くが、アロイコアが自身の身長を擬装するなど容易い行為だ。
丈の長い外形パーツに換装するだけでよいためである。
「どちらさまでしょうか」
「――ジェット・レミオンさんですかな」肥満体の男性が口を開いた。
「……自分のフルネームを呼ばれるのは久々ですね」
「人伝いに聞いたのですが、何でも屋を営んでいるとお伺いしました」
「心当たりありません」
「どうしても依頼したことがあるのです」男性は構わず続けた。「お話だけでも聞いていただけませんかな」
――ほら、ジェット。入れてやりなよ。
″いや、これはどう見ても胡散臭い″
――願ったりかなったりじゃないの。今度はちゃんと、不自然な写真を撮るのよ。
アシュリーの声はどこか弾んでいた。
″いいかい″ジェットは脳内に語りかける。″彼らは間違いなく裕福層だ。そういう連中がわざわざ僕のところにまで来る理由はなんだと思う。クサい仕事だからだ。そうとわかったら必要最低限以上の情報は与えられないんだ。彼らにはお引き取り願おう″
ジェットは自身の直感によるものだが、この依頼者が
スーツと付き人。裕福層のスタンダードとさえ呼べそうな組み合わせはロクな事態をもたらさない。表立って相談できないことを、わざわざ下部街に持ち込んできているに違いないのだ。
「お金についてなら、払える範囲ならそちらの言い値だけお支払いしましょう。あなたの【実績】を見込んでのお願いなのです」扉向こうからの声はどこか上ずっていた。
――お金がないんでしょ? 尚更願ったり叶ったりじゃないかしら。
ジェットはしばし思案する。前回分の報酬で当面の生活費に困らないことは確かだったが、収入面においては安定しているとは言い難く、今日吹いた風にしか乗れない人生をこの先も乗り越えなくてはならないのもまた事実だった。
そんな折で、言い値だけの報酬金を払うと大盤振る舞いをチラつかせる依頼主が目の前に現れた。
うまい話ほどマズいものはない。されど、皿まで喰らえばそれなりの対価は手にし得るのだろうか。
″今だけは、経験則から推し量る視界に蓋をするべきなのだろうか?″
――だと思うよ。
″君には言っていない″
半ば見えない誰かに押されたように、ジェットはルームロックに手を伸ばした。レストランに忘れた小説については失念したわけではないが、夜までには取りに行こうと予定を修正した。
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