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――国営レストラン【ジブ】で自爆テロ。死傷者数名。実行犯の男性は現政権への反抗が動機か。


 ヴァネッサは非接触性モニターの一面を飾ったニュースの見出しが目に入り、画面を前にして戦慄していた。意識の外で刃物を首元に突き付けられていたかのような肝の冷える感覚を覚えていた。

 利用者幸福度の高い大衆店としてネットで紹介されていたため、今週末にでも訪れてみようかと考えていたためである。


「――とんだ迷惑者だね。そんなところで命を輝かせたとて、どこにも届きやしないよ」


 ノースリーブのチャイナドレスから生える四肢は小麦色で、頭髪は胸上にまで届くオールバッグのビニール樹脂製のドレッドヘアーと、意匠と想定した人種が合致していないようなツギハギめいた印象を抱く。

 ある意味では現代的な、多様性の間口が広いことを指し示すいで立ちでもあった。蛇腹織りの頭髪の先端にはUSBやHDMIを始めとした多種多様な端子を取り揃えていた。

 端子を通じて彼女の脳内CPUに直結することが可能となっている。


 白色の防音パネルで貼り固めた事務所内は所せまく、ヴァネッサ専用のオフィスチェアに彼女が腰かければ残りは応対用のスペースしか人の踏み入れられる領域は確保されない。

 10畳の内、約5割はコンピューター機器や冷暖房の設置スペースに占められていた。

 モニター類と対面する形で配置されているアルミ扉のレバーが回り、レーゼル、続いてアーロンがサッシをくぐった。

「お帰り」ヴァネッサは二人に見向きもしない。「どうだったの」


「パーツごと換装する必要はないみたいなんだが」レーゼルはバツが悪そうに言い、面談用の2人掛けソファにダイブするように背中から寝ころんだ。ボ、とマットの縫い目から空気が吹き抜ける。

「爆風の圧で関節球や神経コードがダメージを受けているみたいだ。一部を差し変えたから馴染むまで1週間は安静にってさ」


 レーゼルはマードマンを捕獲した地下施設からの帰還後、身体の不調を訴えた。翌日に車を運転できるアーロンに送迎をお願いし、主治技工士しゅじぎこうしのところを訪ねた帰りであった。


「自業自得よ」ヴァネッサが言った。「しばらくは私の事務処理を手伝ってもらうわ」

「勘弁してくれ」

「観念しな」アーロンが口を挟む。「不法侵入者なんて構わずに目当ての品を持ってくりゃよかったんだ」


 レーゼルの身長は男性の平均身長とほぼ同等くらいだが、アーロンはそれを2周り3周りも上回る巨体を誇った。Vの字の胸に貼りついているようなタンクトップから伸びる黒腕は、丸太のように逞しい。思い切り腕を振り下ろせばコンクリートブロックの一つでも容易く破壊してしまう、らしい、とアーロン本人はカタログスペックのデータを引用する。

 ギリシャ甲冑のトサカのようなモヒカン刈りは本人の強いこだわりがあるらしく、レジール達と付き合いを持ってから長いが、一度もセットを崩したことがない。


「そうは言ってもな」レーゼルはいたたまれない気持ちになり、ふてくされ気味に髪の毛を掻いた後、宙ぶらりんとなった視線を落ち着かせるために懐からスマートフォンを取り出した。

「姿を消した人類が残した遺文明だから、っていう理由だけで【遺文明調査課】から請け負って調査に駆られるが。そのほとんどが現段階の化学で理解できる構造の電子機器だし、データ自体は全くと言っていいほど残っていない。価値がないんだよ、どれも。いかに成果を上げても給与配分は一律だしな」


「民間企業の私たちに渡されるところなんて、うま味が残ってない【調査済み】の箇所だしね」

 ヴァネッサは椅子を回転させてレーゼル達に向き合った。


 事務所にかけられた丸時計が午前11時を指し示す。この事務所内においてはこの時計を確認する人物は一人もいない――全員がどこかしらに世界時計を内蔵しているため――が、専属の遺文明調査契約を交わすと必ず交付されるものだ。

 クロムメッキ加工が施された、無地の円卓に時計針を置いただけの簡素なものだが、この装具を事務所に構えることが、政府公認法人という肩書を代弁しているに等しい。


「だからな」レーゼルはスマートフォンをスワイプさせて電話帳から旧友の名前を見つけると耳に当てがった。


「こうやって小遣い稼ぎしてるほうが懐は温まるんだから仕方がないだろ。文句なら世間の構造に言え」


 アーロンとヴァネッサは顔を見合わせ、呆れて言葉も出ないのか肩をすくめて失意感を共有する。レーゼルの発言があながち間違いでもないため、反論の余地がなかった。

『――わが友! そろそろお前に電話しようかと思ってたんだよ』


 電話越しの【マイク】の声はすっとんきょうに甲高く、ジンジンと皮脂鼓膜にまで響く気遣いなしの大音量だった。レーゼルは思わずスマートフォンを離し、聞こえないように舌打ちすると、また耳に当てた。


「さしぶりだなマイク。今月のノルマは達成できそうか?」

「いや、その件なんだが」マイクの声がどもる。「どうもここ最近は治安が良いみたいでな。ノルマボーナスに届かないのは悲しい話だ。あと一人欲しいんだが」

「手元に一人いる。ボーナス分の5分の1でどうだ」

「お前にはかなわんよ」



 骸郷には未だ、人類が残した建造物の多くが形だけを残して風化を待つばかりという状態だった。

 政治が発展していく中でアロイコア達が最大権力として立ち上げた行政機関【国家庁】――アロイコア達の間では役所と呼ばれる――の【遺文明局】が歴史や文化の解明に日夜精を尽くしてる。

 歴史考証の価値がある、またはその証拠が眠っている可能性があると判断された建造物は入場が規制され、特定の許可証を必要としていた。

 採取されるデータや掘り出し物は博物館や役所の研究部門や資料部門に渡り、骸郷の発展の礎となる。


 そして、生活に困窮した下部街の貧困層達からすればそれはロマンに溢れる宝の山に同義。【金がないなら盗めばいい】という文言が下部街では誰かの名言のように囁かれ、日夜多くの浮浪者が犯罪に手を染めた。

 特に、内部構造の全容の把握さえも難しい地下施設は未だ多くの侵入口が発掘的に噴出し、中には自分で穴を掘って経路を確保する者さえいる。

 路地裏のスラムでは彼らの「戦果」が座敷市に並ぶ。


 それから幾年か。守衛やプロテクトデバイスの力だけでは、その多岐に渡る盗難方法の看破や右肩上がりに増え続ける侵入者達は手に余るために、不法侵入者の検挙を専門とする部門【番犬】が遺文明局に設立される。

 マイクはそこに所属する中で特定の管轄を担当する部署長にあたり、かなり俗世的な人物――ヴァネッサに言わせればろくでなし――であることで有名であった。


 アーロンは、事務所の一角に置かれた私物のコーヒーメーカーで紙コップにブラックを注いだ。遮光シートを張られた吹き抜け窓に目を遣って会話に勤しんでいるレーゼルを、失笑を堪えながら押し黙って見守っている。


 その背後に現れた女性の影にいつごろ気がつくのかと、ヴァネッサと目配りで観察していた。ヴァネッサは呆れたように息を吐き、キャスター椅子を回転させてコンピューターと対面角へ戻る。ドレッドヘアーの一本が自律的に動いて、本体のUSBハブに滑り込んだ。


「ああ。じゃあ近いうちに取りに来てくれ。くれぐれも役所の連中には感づかれるなよ」

「仕事熱心みたいで感心だ」

 通話が終了するや否や、若い女性の声が間髪入れずに通話者に対するマナーとしての沈黙を引き裂いた。

 コーヒーをすする。時間切れ。この空間では最年少となる彼女の声が、しびれを切らせたことを伝えていた。


「で、何の取引の話をしていたんだ? レーゼル・クインターベイ」


 かんぴょうの代わりにビスを打った昆布巻きのような造形と色合いの軍服。と、深くかぶった同色の軍帽。″厳格たれ、されど人のころを持て″という遺文明調査課の訓示をこれでもかと衣服に反映させたものだった。


 腰には合皮のガンホルスターが巻かれ、握底が鈍い黒光りを放っている。支給品の自動拳銃を隠そうともしない、むしろ見せつけるような位置に置かれたガンホルスターは、他アロイコアに対する正当な攻撃権を得る条件や場合があること、またその権限を持つ社会的地位にあることを目視情報で示していた。


 威嚇としてホルスターから銃を抜き、空砲で射撃を行うところまでは役員個々の判断で行うことができる。しかし、実弾の発砲は役所本部から発信される特殊コードを受信しないと不可能であることがその銃の特徴だとアーロンは記憶している。


「げ、キッシュ……!!」

 思わずレーゼルはソファから飛び跳ね、彼女から距離を置くように後ずさりをひとつ。その狼狽えを隠そうともせず、音もなく現れたキッシュに対してあからさまな嫌悪の目を向けていた。

 ブロンドの長髪を後頭部で三つ編みに束ねる頭髪は、孔雀の尻尾を一本引き抜いて頭皮に埋めたかのような異彩を醸している。

「何か隠しごとがあるみたいだな。相談ならいくらでも乗るぞ。えぇ?」最年少でありながら背丈も最も低い彼女だが、物怖じしない態度の前には、身長差などなんの力関係を示すものではないと言わんばかりだ。

「あぁー、いや」

 お役所の堅物。ミルを挽けばいくらでも降ってきそうな、国家職員の典型ともいえる彼女はレーゼルにとってまさに目の上のたんこぶだった。


 この民間の調査企業の担当が、ヴァネッサやマイクのような、利害関係という天秤に看過と回勅かいちょくを測る器用を持っている相手ならどれだけ今の仕事が快適な事か。


″きっとこいつの部屋は正義や潔白という言葉がプリントされたポスターで埋め尽くされていやがる″

 空色をしたその大きく吸い込まれそうな瞳はレーゼルの顔をじっと捉えて離さなかった。若さゆえの青々しさと融通の利かない性格ゆえの直情さが、目線の矢に相乗し、尋問官が光源をあてるかのような緊張感が肌を貫く。


 不誠実さから足が生えているような人徳のレーゼル自身は、後ろめたい行いの塊のようなものだ。本能的な反射なのかもしれないが、それが彼女を毛嫌いせざるを得ない要因であった。


「まぁいい。私がここに顔を出した目的はそんな事じゃない」キッシュは肩掛け鞄からクリアファイルを取り出し、中からプリントアウトされた書類を抜いた。「先週のセクターⅥBの調査報告書についてだ」


 先週、レーゼル達が調査という名目で乗り込んだ地下施設、人文明研究所(仮称)の写真がテーブルに並べられた。

 嫌な予感、というものは彼女の存在を認知した時からそこはかとなく抱いていたものだが、まさにその予感が的中せんとしていることをキッシュを除いた三人は同時に感づいていた。

「目ぼしい成果なし。別にそれはいい。往々にしてありうる事」キッシュの軍靴がリノリウム材の床を叩いた。

「だが。どう見ても、お前らに調査権を与える前の状態と同じ場所には思えないのだが」


 黒焦げとなったモニタールーム内の写真を持ち上げるキッシュの指は心なしか力が込められていた。

 いや、心なしではない。ここが法の統治下でなければ今すぐにでも襲い掛からんと言わんばかりの憤慨にかられているのは確かなことだった。


 報告書に添付する必要がある写真を撮影したのはマードマンと交戦した後のことだったので、そうするしか得なかった。なんとかして爆発地点をフィルムに収めずにいかないかと努力したものだが、セクターⅥBで最大面積を誇る部屋を報告書から抜くことによる違和感を払拭することは提出期限までに叶わなかった。

 もちろんマードマンの殻は写さぬよう。


「私はこの報告書をどうやって【ゼウス局長】に上げればいいと思ってたんだ。これを手渡した私の心境を説明できるか? えぇ?」

「まぁまぁお嬢さん」アーロンが彼女へソファに座るように誘導した。「まずはコーヒーでも飲みなよ」

「そんな苦いだけの液体なぞいらん」キッシュは言った。「あとお嬢さん呼ばわりはやめろ。私のAgeVerは22.3だ」


食器棚から取り出そうとしていた来客用のコーヒーカップを残念そうに戻ながら、アーロンは内心でつぶやく。″いいや、まだまだお嬢さんだよ″


「言い訳があるなら聞くぞ」

「そこに貯蔵されていたモニター類が独りでに爆発したんだよ。それで十分だろ」

「……なぁ、レーゼルよ。元【番犬】として文明局に尽くしてくれたお前だからこうやって他の民間調査企業より優遇してをあてがっているんだぞ。それを恩を仇で返すような事されちゃあ、私たちもそろそろ考えなくちゃいけないというところなんだわ」

「――何が言いたい」

「それについては回答できん。ただ、私から言えるのは、もう少しマシな結果をもたらしなさいということ。あんた達にもう一度、セクターⅥBの調査を依頼する。前もって言っておくがこれは警告だ。次はないと思え」

「ちょっと」ヴァネッサが割って入る。「あんた、わかって言ってるでしょ。セクターⅥBは私たちが前回調査に訪れた時点で4回目の使いまわしだったのよ。そんなところでめぼしい成果をあげるなんて」


「上層部の決定だ」キッシュが遮る。「私にはもはや覆すことはできん」


「……俺たちはお役御免、ってところか」レーゼルの視線は落ち着きを取り戻し、目の前の事態について冷静に分析しようとしていた。黙々と、感情を交えずに、ただ事態を好転させる手立てだけを組み立てようと思考が回転する。

 ポーカーでコールしたカードを確認するかのような表裏の曖昧さ。


「ふん。そもそもは貴様らの杜撰ずさんさが引き金だろうよ。すがれるだけの藁を与えられたことを幸福に思え」


 キッシュはその表情が好きだったが、言葉にも態度にも示すことはない。何食わぬ顔で衣服の埃を払い、事務所のアルミ扉の取っ手に手をかけた。


「文句なら世間の構造に言うんだな。私の要件はここまでだ。素晴らしい現地のはここに置いていってやろう」

 要件を終えたキッシュは踵を返し、何も言わず外へ去っていく。彼女の長い後ろ髪だけが最後に一瞥をくれたようにも見えた。


 つまるところ、遺文明局にとってレーゼル達を優待するメリットが同業者の中で最小値となった、という宣告であった。

 遺文明局から委託されて仕事に就く民間調査企業の中には、レーゼル達と同じように給料泥棒と呼んで差し支えない業務を繰り返す者も往々に存在する。


 しかし、それらはみな何かしらの威光となる功績を上げていることや、近隣部署へのパイプ、もしくはを収めているなどの、遺文明局との癒着関係を築くことに成功していた。

 かつて番犬への勤務履歴が存在していたという理由のみのレーゼル達は、長い時間の中で優先順位が一段刻みに押し込まれていった挙句、とうとう尻から蹴りだされんとしていた。

 この組織が腐敗しているとは誰も思うことはなかった。民間人はそれを知る由もなく、当事者たちは豊かな生活を手に入れるからだ。


 キッシュが事務所を後にした後、長らくの沈黙が場を支配する。無表情のままソファに腰かけるレーゼル、3杯目のコーヒーを飲もうとして平穏を繕うアーロン。

 そして、手持ち無沙汰になったヴァネッサはもう一度非接触性モニターを起動し、今朝の【国営レストラン・ジブ自爆テロ事件】の見出しについて、どこどなく感じていた違和感についてもう一度考えることにした。

 目撃者提供の、男性が爆発する直前と思われる写真だった。レジに立った男性が小型スイッチを取り出し、今まさに起爆せんとしている決定的な瞬間だった。ボロボロのスポーツジャンパーを纏った男性の顔立ちについては、あまりハッキリと確認することはできないが見るからに貧困層であることは理解できた。


 ヴァネッサはもう一枚ウィンドウを立ち上げ、ゼブ店内のレイアウトを確認できる写真と照査する。


「そうだよな」

いつの間にかヴァネッサの背後に移動したレーゼルが、写真をに目を細めながら恨めし気に言った。

「爆破する前に写真にしてりゃこんなことにならなかった」


「よく見てよ」見当違いな声に当惑しながらも、ヴァネッサは怪訝そうに頭を掻いた。彼女が抱いた引っかかりの正体について、是非を問おうと口を開く。

「この写真、なんというか――」

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