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◆
「申し遅れました。私の名前はゼルビナート。本家は【上部街】にあります」
シルクのスーツの男は誘導してもいないのに敷居をまたぐと、上着を脱いで、フローリングに胡坐をかいた。見慣れないでっぷりとした肉づきを眼前にすると、その迫力には凄まじいとさえ体感を述べることができるとジェットは思った。
食料品を原子力発電の燃料とし、貯蓄量が一定量を超えると培養筋肉や人工内臓に脂肪質として蓄積されていく。権力を象徴する意味も、愛嬌という隠れ蓑を纏い肥えた醜い体系を皮肉る意味も持つシルエット。裕福層の間では昔から一定数散見される、まさに怠惰と強欲の権化である。
近年は子供の時からそういった体型になってしまうアロイコアも出現し、幼い身体には負荷が強すぎるのではないのかと社会問題として提起され始めてさえいた。
後ろから続く細身のアロイコアは玄関口で立ちすくみ、それ以上足を進める意思を見せなかった。
ジェットは2つの紙カップにインスタントコーヒーを注ぎ、片方をゼルビナートの眼前に置く。
「定職はすでに退きましたが、今は投資家という名目で社会的地位を保持しています」
――ジェット。この人、かなりのアタリみたいね。投資家だなんて肩書き、要は老後の暇つぶしでしょうよ。材木を余らせた大工が自分ようのスツールを折り紙感覚で作ってるようなものでしょうよ。
アシュリーの声は弾んでいた。
「えーと、この方は……」
ジェットはもう片方のカップを、玄関先に立つ男へ渡そうか渡さまいか、たじろいだ姿を装った。まじまじと性別を確認することにジェットは気が引けていたが、一瞬だけ視界に入るフードの下に映るその素顔を見て、それは杞憂であったことを理解した。
世間ではもはや装着することがマナーと吹聴される、人間型の外皮を装備していなかった。
銀色のガイコツと呼ぶには、人体の構造はあまりにも神秘的であった。小ぶりなサッカーボールくらいの大きさの楕円球に%の文字を縦に刻んだような窪みが掘られた上顎骨から上と、蝶番形に開く下顎骨。両目窪み奥からは、光学照準器のような赤灯をチラつかせる。
中間を繋ぐ頬はローラー駆動式で、駆動域確保を目的とした切れ目からは、脳に向かって伸びた回路と神経コードが何重にも重なっていた。
アロイコアの出生時に誰もが身に着けているありのままの状態、生まれたままの姿であった。類察するに、このアロイコアの身体の線が細いように見えるのは、人間型の人工筋肉や皮脂を装着していないためだ。鉄とコードとそこを流れる電気の塊であるアロイコアが、文字通り一糸纏わずの姿なのだ。
これでは性別も判別できまい。
「気にしないでくれ。私が雇っている付き人だ」ゼルビナートはカップコーヒーに口をつけ、一瞬だけ顔をしかめた。「いやなに、やはりここら辺は物騒ですからな。私みたいな見るからに裕福そうな者は自衛手段が必要なのですわ」
「私に名前はない」初めて耳に入った声は男性のもので、かなり掠れていた。声帯を更新せずに使い続けているゆえに起こる状態で、性別を偽るためという意図はないように思えた。ジェットの中で彼は男性であると完結した。「ただ、そうだな。貴様が私を判別するためにどうしても名前を必要とするのなら、今は【キラー】とでも呼んでもらおう」
「殺し屋、ね。見るからにかたぎの人じゃあなさそうですものね」
その体では味覚も装備していないのだろう、と判断し、もう片方のカップコーヒーはジェット自身が飲むことにした。
「依頼をお伺いしましょう」ジェットはゼルビナートの真向かい、胡坐椅子に腰を下ろす。
「では単刀直入に」
ゼルビナートはポケットから長財布を取り出すと、中からキッチンタイマーほどの大きさのフィルムを取り出した。
不意に先日の依頼を思い出し、もしやこの男も自爆する気では、とジェットは一瞬だけ身構えるが、その依頼は完了したのだと自分に言い聞かせる。
小さな女の子の写真だった。長い期間保存されているためか、色はかなり褪せていて折りシワが多くの情報を阻害していたが、彼女の周囲だけはそれらを回避するように鮮明に情報を得ることができた。髪は青く、肩までの長さではあったがそれなりのボリュームがあることをウェーブの影の大きさで感ぜられた。
磨かれた水晶にも似た無邪気で透き通った目をキラつかせ、熊のぬいぐるみを右手にぶら下げながら白い歯をフィルムに向けている。
「私の娘を探してほしいのです」
「それなら私じゃなくて警察やネット掲示板を使うべきです。これはあなたの依頼を断りたいのではなく、合理的な判断です」
「重々承知している。だが」
「それが叶わないからこうやって貴様に頭を下げているのだろう」
キラーが続ける。意識は会話に向けられているが彼の無機質な視線は窓の外に向けられていた。
――なにかマズい理由があるってことでしょうね。
″やっぱりか″
「どこで行方不明になってしまったのか、心当たりはあるのですか?」
核心だったのだろう。ゼルビナートの視界が泳いだのがわかった。壁掛け時計は午前11字を差し、もう二度と繰り返されないその一秒を何食わぬ顔で刻み続けていく。
外は存外に快晴で、鳥も飛ばない空には突き抜ける青色が、路面に残る昨夜の雨跡を浄化していた。
「地下です」
どもるようにして声が発せられる。
「遺文明局の管理下にある人文明研究施設にて私の娘、【アイリス】は消息を絶ちました」
「入場する権利はあったのですか?」
口では訊きながらも、ジェットは理解していた。それがないから、自分に依頼しているのだ。愚鈍さをアピールしたいのではなく、本人の口から後ろめたさを抱えている言質を取る必要を感じたので敢えて問った。
「アイリスは、昔から人間という存在に強い憧れを抱いていました」
骸郷における豊かな生活や権力の象徴というのは、「いかに人間らしい存在に近づくか」に集約される。恵まれた環境のアロイコアほど人工筋肉や人工内臓を身体に搭載し、本来アロイコアには必要のない習慣や能を好き好んで背負う。
それは食事に始まり、性欲、嗜好、排便――疑似的な物ではあるが――、など、不完全な生き物であることをこれ以上になく理解した上で自らを敢えて不便にさせる。
対照的にキラーはアロイコアの素体のままの姿であるのを鑑みるに、人間的な生活は一切にも享受していない。
この街では、高尚な存在になるほど力を失っていく。
骸郷でも一握りほどの存在であろうかなり人間的な装いのゼルビナート侯の娘ともなれば、神のように崇める人類に強い魅力を感じるのは納得がいった。あと少し手を伸ばせば届きそうな気がするからだ。
「念のためにお伺いしておきますが」ジェットは言った。
「ゼルビナートさん。骸郷では入場資格を満たさない者が遺文明科の定めた施設に足を踏み入れることは重罪であることはもちろんご存知ですよね」
「その通りだ。だからまだ、警察や遺文明科の局員には連絡を入れていない」
「――私に、犯罪に手を染めさせた上で娘さんを探してこい、と。そういった趣旨の依頼であると解釈してよかったでしょうか」
「先にも言ったが、金なら幾らでも払う。前金と娘の身元を確認した後に残り半分でどうだ。提示した通り、君の言い値だけ」
――ジェット、人助けだと思って引き受けましょうよ。もしかしたら、あなたの欠落した記憶のヒント見つかるかもしれない。
″君はいつもその言葉で僕を動かそうとするな″
――人類の遺文明が眠る施設よ。もしかしたら、いえ、もしかしなくても。とても重大な発見があるわ。私の統計がそう算出している。
″それは君が夢想にふけりがちだからだろう。現実はそううまくいくものでもない″
ジェット自身にとっては、説得に応じるというのが癪であったという感情が大きい。彼女に説き伏せられてこの依頼を請け負うのではなく、あくまで、自分の意思で手を挙げたという心理的優位性を保ちたかった。
″ゆめゆめ忘れないでくれ。この身体とコンピュータの持ち主は僕だぞ″
大きく息を吐いて、心配そうな目付きのゼルビナートを見返した。その表情の奥に眠る真意をかぎ分けるために、一度だけ鋭利な視線で彼の顔を切りつけて見せるが、動揺するような表徴はなかった。
「……お金については考えがまとまってから請求するとします」
――やった。
要求が通用したことに対して、アシュリーは内心でガッツポーズを取った。もっとも、自身が制御できる腕というものを装備したこともないので、こぶしを握るという感触も見当はつかない。歓喜という感情を、思考の外で表現するにはどうするべきか、今後しばらくの思考テーマが新たに見つかったことも喜ばしかった。
「まずは少しでも情報が欲しい。地下施設は広大だからシラミ潰しに探し回るというわけにもいかない。アイリスちゃんが姿を消した場所は見当がついていますか?」
ジェットはノートPCを棚から取り出すと、コンセントを電気供給口に差し込んだ。ハープの流れる音がして、年季の入ったモニターに数世代前のOSの起動画面が映し出される。
「場所はわかっています」ゼルビナートがポケットから地図帳を取り出す。「通信記録を辿ると、信号が最後に焼失した場所には誰かが掘ったであろう穴が残っておりました。その先に延びていた地点は」
――セクターⅥB。恐らくアイリスはそこにいます。
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