第5話 それでもそれをやめられない

 家に帰ってからも、それはしばらく消えなかった。

 急いで巻き直した包帯の、その下。

 わたしは自室に駆け込むなり、ドアの前の床にぺたりと座り込んで、右手できつく左腕をおさえた。

 それをすることは、自分を傷つけることなのか、それとも慰めることなのか。

 たぶんそのどちらでもない。生きている実感も、背徳的な快楽も、求めてはいない。それをしているときに、例えそういうものをほのかに感じることがあったとしても、それはあくまでおまけみたいなものだ。

 だからわたしは、衝動に任せてそれをするわけではない。

 コントロールがきかなくなるほど、それをしたくてたまらなくなることもない。


 なのに。


 嗅ぎ慣れない柔軟剤の匂いがするTシャツの袖をまくりあげ、それからもうほとんど取れかかっていた包帯を、乱暴に解いた。


 白崎メグミに噛まれた痕が、甘く、生々しく、疼いていた。


 わたしは噛まれたばかりの、その部分に、おもいきり歯をたてた。皮膚に固いものがくいこむ感覚に足先がしびれて、膝下からふくらはぎにかけて糸で引っ張られたみたいに、神経がはりつめる。

 走馬灯にも似た映像が、頭の中を流れていく。白崎メグミの顔が、髪が、わたしの腕につけた唇が、牙のような白い八重歯が、浮かんでは消えていった。


 変だと思う。

 こんなのは、変だ。


 なのに、やめられない。わたしは噛むのをやめられない。噛むことで必死に誤魔化そうとしている、この笑顔をやめられない。


 唇が笑みを形作るのに飽きるまで、わたしはずっと、腕に歯を立て続けた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る