第37話『おかえりなさい』

「おかえりなのじゃ~」



「パパ。おかえりー」



 ダダダとかけよってきた娘を抱きしめる。

 いつもどおりの光景だ。



 ダンジョンで汚れた衣服はバブル・ウオッシュで完全に落とした。

 普段から地下下水道の仕事をしているので、除菌も脱臭も完璧である。

 衣服が多少破れたりするのは普段の仕事でもあることだ。



 原理は分からないが魔法は便利である。



 原理が分からないという点で言うならば、

 前世でもリモコンのボタンを押すだけで何故、

 黒い板に人が映り喋りだすのかということを、

 漠然とではなく、理路整然とその構造を説明できる人間はそういない。



 ただ『リモコンの赤いボタンを押すとテレビが起動する』という、

 事実を知っているだけで、テレビの中にある基盤や、

 リモコンの構造を理解しているわけではない。



 そういった観点ではこの世界の魔法も、

 テレビやリモコンの関係性と同じようなものである。



 魔法を行使するのに、理屈を知る必要はない。



 もう少し厳密に言うのであればテレビやリモコンと同じように、

 この世界の先人たちが難解な術式を、

 誰でも使える簡単な物にしたもの、

 それがこの世界でいうところの一般的な魔法なのだ。



 魔法はこの世界の過去の誰かが知恵を振り絞って創り出したものだ。

 科学と比べてどちらが上、どちらが下ということもない。



「パパ、大丈夫? お風邪引いちゃったなの?」



 疲れていない風に見せたかったのだが娘に看破されてしまった。

 まだまだ、俺も修行不足ということだ。



「おお、ハル。心配してくれてありがとう。パパは大丈夫だ。今日はちょっと難しい仕事で疲れただけだ。ママの作ってくれた料理を食べたら、すぐに元通りだ」



 少し不安そうな顔でソピアが声をかける。



「ソージよ、疲れているときは無理せず休むのじゃ。今日は食事のあとは早く眠るのじゃ。妾は疲れを取るのにはやはり睡眠が一番だと思うのじゃ」



「気遣いありがとうな、ソピア」



 家に帰ってきて自分のことを気遣って心配してくれる人が居る。

 その事実がどれだけ、俺の救いになっているのか分からない。



「それじゃあ、食事をいただこうかな……っと、その前にダンジョンの最深部で手に入れた土産だ。ハルは、パパが『いいよ』というまでにちょっとだけ部屋に戻ってなさい」



 麻袋に入れて回収してきたソピアの下半身、

 上半身をソピアに渡す。


 外観は無機質な感じで決してグロテスクではない。

 どちらかというと色白さもあいまって、

 マネキンのような物だ。


 とはいえ……それはあくまで俺の感覚であって、

 親の切断された体を子供にみたらトラウマになるだろう。

 情操教育的には最悪である。



 悪いが、ハルにはいったん部屋に戻ってもらった。



「おお……間違いなく妾の体なのじゃ。ソージよ、どこでそれを手に入れたのじゃ?」



「両腕を手に入れたときと同じように、ダンジョンのボスを倒したらドロップしたんだ。毎日見ている妻の体を見間違えるはずもないし、間違いないなと思って確信したから持って帰ったんだ」



 妻の体を回収した経緯はあんまりうまい嘘が思いつかなかった。

 だから極力シンプルに説明した。


 夫婦間ではウソを付くのは良くないという人も居るが、

 何でもかんでも話せば良いというわけではないだろう。


 知っていても、あえて語らないというのも、

 一つの思いやりの形ではないか。


 俺はそんなふうに考えている。



三賢者粗大ゴミの存在は、妻にとっては消せないトラウマのはずだ。そんな存在が千年も生きていたと知ったら、仮にもう何も出来ないと知ったとしても、恐怖を感じるだろう)



「……これで、妾の体は元通りになるのじゃ……ソージよ、妾は自分の体が戻ってくるとは思わず諦めていたのじゃ。何と言っていいのか分からないくらい、お主に感謝しているのじゃ。ありがとう、ソージ」



 諦めていた自分の失われた体が戻ってきたことに、

 思わず喜びからか、涙している。



「千年の間、辛かったな。お疲れさま、ソピア」



 ソピアが自分の体に触れるとまばゆい光を放ち、

 ソピアの体のなかに吸い込まれていく。



「おお……すごい。体から……力がみなぎっていくのじゃ……。いまの妾は千年前の全盛期の頃の力と同じ状態にまで元通りなのじゃ」


 

 目の前のソピアは、

 転生時に会った女神さまよりも圧倒的な存在感。

 質量を感じるほどのオーラである。


 

 ソピアは千年前に叡智の大賢者、

 この世界で"科学"というものの可能性を発見し、

 そして邪神として崇められていた時代の、

 全盛期の力を取り戻したということだ。



「ソピアはこれからどうするつもりなんだ?」



「ふむ。これからは、千年前に出来なかったことをしてみようと思っているのじゃ」



「千年前にできなかったこと?」




「そうなのじゃ。子供の頃に憧れていた、お嫁さんというものをやっていきたいと思うのじゃ。この世界には、妾の知識も、科学もこの世界には必要ないのじゃ」



「……そんなことは」



「ありがとうなのじゃ、ソージ。でも、違うのじゃ。妾は、とても誇らしいのじゃ。この世界に生きた人々の強さに感動したのじゃ。この世界の人々は、妾の"科学"ではなく、"魔法"そして"ダンジョン"によって、千年前の資源の枯渇しかけた地獄の時代を乗り越え、繁栄し続けてきた。いまさら、妾がでしゃばることは何もないのじゃ。妾はソージとハルちゃんと一緒に、妻として幸せに暮らしていきたいのじゃ」



「そうか。力が戻ったからといって、何か特別な事をしなくちゃいけないなんてことは無い。千年、不当に奪われたソピア個人としての幸せを今度こそ自分の人生、自分の幸せのために生きても良いんだ。いや、ソピアは幸せにならなきゃ駄目だ。もう、自分を犠牲にする必要なんてない。俺が守る。絶対に俺が幸せにしてみせる」



 大見得切ったは良いが、ノープランだ。

 力でも知識でもソピアは俺よりも圧倒的に勝っているだろう。

 でも、できる、できないじゃない。やるんだ。


 男が一度口に出したのだから、絶対にその約束は守る。

 世界を救うという話ではない。


 難しい話じゃない。

 ただ、一人の愛する女性を守るというだけの話だ。



「ふむ……でも、ソージよ、そうなるとちょっとだけ困った事態なのじゃ」



「……どうした?」




「妾は、もうお主とハルちゃんといるだけで、これ以上にないほどに幸せなのじゃ。これ以上の幸せというものを知らないのじゃ……」



 にこりと笑いながらソピアは語った。

 もう、いまのソピアには女神さまをも超えるような、

 圧倒的なオーラも迫力も感じない。

 いつものソピアがそこにいるだけだ。



「ははっ。嬉しいことを言ってくれるぜ。かわいい妻だな」



 妻の頭をちょっとだけ強めにグリグリと撫でる。

 30cmを超える身長差があるので、

 俺の妻はとても撫でやすい位置に頭があるのだ。



「ソピアが十分に幸せでも、俺がソピアにもっと幸せになって欲しいと思っているんだよ。つまりソピアがより幸せになるのが、俺の幸せだ」



「妾の幸せが……ソージの幸せなのじゃ?」



「そうだ。ちょっと変かもしれないけど、事実だ。俺がもっともっとソピアのことを幸せにしてやる。……とりあえずはそうだな。まずは、家族で一緒にピクニックしよう。そのあとに、銀貨5枚で家族でもぎたて果物を取り放題の食べ放題、そんな最高な果樹園があるんだ。そこで、みんなで新鮮な果物を食べまくろう」



「むぅ……新鮮な果物を取り放題の食べ放題……めっちゃ楽しそうなのじゃな。ソージよ、ぜひ家族3人で行くのじゃ。ハルちゃん育ち盛りだから食べ過ぎて果樹園を出入り禁止にされるとまずいから、妾がきちんと見ておくのじゃ」



「はは。確かに、ハルには手加減してもらわないと果樹園出禁になるな。他にも有名なレストラン、王都の隠れ花畑スポットとかソピアには見せたいところがいーっぱいあるんだ」



「綺麗な花畑……美味しいレストラン。行ってみたいのじゃ」



「だろ? だから、ソピアはもっともっと自分自身の幸せに貪欲になるべきなんだ。もうソピア一人で重荷を背負わなくても大丈夫だ。俺には世界を守る事はできないかもしれない、けれど家族の幸せを守る程度の力はある。いや、仮にいまなかったとしても必ず、身につける」



「……いま改めて感じたのじゃ。妾は、産まれてきて良かったのじゃ。妾の人生は、きっとソージ、お主とハルちゃんと出会うためにあったのじゃな……ちょっとだけ、リラックスさせてもらうのじゃ」



 神々しいまでのオーラを放っていたソピアから、

 いまは家でのくつろぎモードの時のスライム娘状態に戻っている。

 家の中でしかこの姿にならないが、彼女にとっては気楽な姿のようだ。



「おっ……体を取り戻した今も、スライム状になれるのか。ごくり」



 思わず生唾を飲んでしまった。

 ……やっぱ、エロい体よなぁ……俺の妻氏。



「うむ……さすがに千年間もこの姿でおったからのぅ、この姿でいるほうがリラックスできるのじゃ……それに、お主も好きじゃろ? その、夜の……じゃな?」



 少し頬を赤らめながら言う。

 俺をからかおうとして途中で思いとどまって、

 恥ずかしがる妻が愛おしい。



「好きですっ! ひんやりしていて、全身がくまなく包まれる感じがとても良いと思います……最高です!」



 俺の告白に顔を両手で抑えて赤面する妻。

 たまに、からかうと面白い。


 漫画とかだったら頭から蒸気が出ていることだろう。

 というか現実でもスライム状態なので、

 体が気化して蒸気が出そうな勢いだ。



 そんなしょうもないやりとりをしていると、

 お腹がすいて部屋から出てきたハルが、

 いつの間にか部屋から出て、そばに居た。


 夫婦の夜の話を子供に聞かれるのはすごく気まずい……。



「パパー。ママー。 ハル、おなかすいたよー。はやくー」


 

 ちょっといい感じの雰囲気にはなっていたが、

 夫婦の夜の営みの詳細な打ち合わせの続きは、

 寝室でするとして……



「それじゃ、ハルもおなかすいているようだし、夕飯にしようか」



「今日の野菜スープは前のスープよりも進化しているのじゃ! 今日は市場で売っていた香辛料と、新鮮なジャガイモを少し大きめに切っていれてみたのじゃ。スープとしてだけじゃなく、おかずとしても食べられる自慢の一品なのじゃ。どうぞ、召し上がれなのじゃ~」



「おお……ジャガイモに香辛料! そりゃ、楽しみだ」



 テーブルにはすでに主食のパンや、メインの魚料理が準備されていた。

 そして、ソピアがテーブルの上に置いた鍋敷の上に、

 ドンと、少し大きめの野菜スープの鍋が置かれる。



「おお……。今日の野菜スープは腸詰め肉ソーセージまで! 豪華だな。しかもジャガイモも、ゴロゴロの大きさで美味しそうだ。腹減った~!」



「料理の実況をしていないで、パパも席に座るなの。みんなで、"いただきます"をする、なの」



 すでにパンをちぎってほおばりながら、ハルが言う。

 一人だけ『いただきます』を言う前に、フライングで食べているが、

 ハルは成長期(?)なので目をつぶろう。



「おお、そうだな。それじゃあ、みんなで食事の前の挨拶だ」



「「「いただきます」」」

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