第35話『地球への転移者バルタの末路』【幕間】
ここは日本海側にある地方都市の外れにある施設。
地元の住民からは『病院』と呼ばれている。
ソージが転生する原因となった違法産業廃棄物のゴミ山の
近くにある施設である。
バルタは地球に転移後にこのゴミ山で意識を失った状態で転移され、
この施設の白衣を来た従業員に保護されることになった。
バルタが地球に来てからすでに半年の時間が経っているが、
まだこの施設の外から出たことはない。
バルタという名前の発音が聞き取りにくかったせいで、
バルタは施設の従業員から"ハル"と呼ばれている。
「ハルさん、新しいお薬を飲んでみてその後、調子はいかがですか?」
白衣を着た30代前半の男性がバルタに声をかける。
物腰が柔らかく柔和な表情をしている。
手首にちらりと見える腕時計はグランドゼイコーのフラグシップモデル。
高級時計にあえてロレッグスやオメカを選ばずセイコーを選ぶ辺り、
この男の性格をあらわしている。
「なんだか、頭がぼーっとしますわぁ。ねぇ、先生あのお薬やめてくれませんかぁ? 私、病気じゃないんです。異世界の、転移者なんです。早く、この施設を出してください。お願いします」
この施設に保護されてから半年の間每日薬を飲まされている。
そして、每日10分ほどこの白衣の男に体調を聞かれるその繰り返しだ。
この施設に保護されて最初の頃に朦朧とした意識のなかで、
"同意書"というものに署名をしたようで、
バルタはその"同意書"に書いた内容を覚えてはいないし、
白衣の男に聞いても適当にはぐらかされる。
あまりに白衣の男に問い詰めると、その日から飲まされる
薬の量が更に増えるようになった。
最初はこっそりトイレに薬を流したりしたこともあったが、
首輪から電流が走り激痛が走るのだ。
狭くて白い部屋のなかで動くあれは……
確か監視カメラという物だった記憶がある。
私は監視されているのだ。
最近は自分が本当に異世界から転移してきた
存在なのかも曖昧になってきていた。
この施設にいるのは、外宇宙の驚異と戦う戦士、
世界の真理を知ってしまった者、
この世界が仮想現実だと知ってしまった者、
思考盗聴されるのがいやでアルミホイルを頭に巻き付けている者、
そして、異世界から転移してきた私、バルタ。
食事をするときにこの施設の人たちと話をすることがあるのだが、
なんだか、自分のことが徐々によくわからなくなってきている。
……地球を転移して、この世界の人間を家畜化する。
そんなことを考えていたはずなのだ。
そのために、この世界に渡って来たのだ。
でも白衣の男の問診を受けるたびに、
本当にそうだったのかが徐々に曖昧になっていく。
私が飲んでいるこの薬のせいなのかもしれない。
もうどうでもいいから、
頭が働かなくなるこの薬を飲むのをやめて欲しい。
「ハルさんは異世界から転移されてきたんですよね。やっぱり、この世界とは違う異世界って言うくらいだから魔法とかあるんですか? 僕、異世界ファンタジー結構好きなんですよ。試しにここで使ってみてくださいよ」
「魔法は……あるわぁ。でも、地球には魔法を使うための触媒として"マナ"が無いから、魔法を使えないの。ねぇ……そんなことよりも、早くここから出して。……ムライさんは退院させてもらったって聞いたわ。もう、私の異世界のことは良いからここから退院させてくれないかしらぁ」
"世界の真理を知った"と語っていたムライさんはこの施設を退院した。
最後のほうは何を口に入れても吐き出すありさまで、
とても退院できる状況だったとは思えないのだけど、
何が条件で退院許可がおりるのかがわからない。
だから、私は黙ってこの白衣の医師の言うことを素直に聞くのだ。
「ハルさんもご苦労をされたんですね。それじゃあ、今月もお注射しましょうか。そうそう、ハルさんこの薬を飲むのを嫌だと言っていたので、次回からは"骨折した骨の治癒を促進させる薬"に変えますね」
にこにこと語っているが私は骨に病気があるわけではない。
この施設に来たときに最初にレントゲンという機会で、
自分の全身の骨を見たが、どこにも問題はなかった。
「私、骨折してないわぁ……。骨にも問題がないから、早くこの施設から退院させてくれないかしらぁ」
「一緒に頑張ってハルさんの病気を治しましょう」
「私は、元気よぉ……もう注射も、お薬も嫌なの。……それに、あの白くて狭い部屋は息苦しいわぁ。早くここから出して……退院させてください。お願いします」
「ハルさんが本当に治ったら、すぐに退院できますよ」
明日からは、骨折の治療を治す薬を飲むそうだ。
いまの脳をボンヤリさせる薬をやめてもらえるなら、
それにこしたことはない。
先生も私のことを少しは信頼してくれたのかもしれない。
◇ ◇ ◇ ◇
ここは表向き、精神病患者の隔離病棟ということになっている。
だが、実態は大手製薬会社から出資を受けている、
戸籍がなく失踪届が警察に出されることがないような、
ワケアリに新薬の治験をさせるための施設である。
当初は怪しげな大規模施設ができることに、
地元住民からの反対があったが、
交付金をバラまいたり村民向けの無料の運動施設を
作ったりしたところ文句を言う者はいなくなった。
「治験者のヒアリングも疲れますよ。どの治験者も言っていることが支離滅裂で真面目に聞いていると頭がおかしくなりそうです」
「ははっ。まぁそう言うなよ。俺たちが每日居酒屋でノドグロ《アカムツ》を食べられるのは、治験者さんのおかげなんだからさ」
「それにしても、タナカさんは外宇宙からの侵略者から地球を守る戦士、スズキさんはUFOに連れ去られて宇宙人に脳内にチップを埋め込まれ、ハルさんは異世界から転移。仕事とはいえ、実際疲れますよ……話を聞いているとこっちまで精神がおかしくなりそうです」
「はは。それも俺たちの仕事のうちだ。そういえば、ハルさんは調子どうだ? 他の治験者は糖尿病持ちだったり、ヤク中だったりで体がボロボロで、治験薬のデータとしてもあんまり精度が高いのが取れないけど、その点、ハルさんは身体検査の結果なんら異常がないことが判明している。理想的な治験者だからなぁ」
「ですね。それにしても……ハルさん、国民健康保険証はおろか、戸籍すらないんですよねぇ、おまけに失踪届も出ていない。一体どこから来たんでしょうか? そもそもいままでどうやって生活してきたんですかねぇ?」
「まぁ……、ハルさんだけじゃなくてこの施設に入ってくるような奴らは全員ワケアリだ。ハルさん以外もだいたい同じように、正確な出自は不明。戸籍登録がなく、失踪届も出されていない、そういうワケアリしかこの施設には連れてこられないからなぁ。そんなときに、たまたまゴミ山でお前がハルさんを拾ってきたっていうんだから、本当に棚からぼた餅って奴だよ」
「戸籍のない人間は日本にも1万人くらいは居ると言われていますし、珍しいことでもないのかもしれませんね。それにしても、ハルさんは顔立ちは外国人のものですし、密航者の二世とかですかねぇ?」
「さぁなぁ? 本人が異世界人だっていうんだから、それで良いんじゃないか」
「もう、ちゃかさないでくださいよ、先輩」
「ははっ。まっ、どうせ俺たちが相手がどこの誰であろうとすることは一緒だからな。治験のデータを每日、スポンサーさまに送るだけ」
「それにしても、ハルさんの異世界の話はリアリティーがあるというか……聞いていると、妙に聴き入っちゃうんですよねぇ」
「おいおい、気をつけろよ。ミイラ取りがミイラになるぞ。俺の同僚も治験者の話を真に受け過ぎて、発狂した奴が居るからな。お前はまだ若い。治験者はマニュアルどおりに適当に聞き流していればいい」
「そんなものですかねぇ?」
「ああ。監視カメラで処方されている薬を治験者がしっかり飲んでいるか確認さえしていれば良い。飲まなければ"ビリビリ"だ。まぁ、そう気をわずに犬の躾と同じだと思えば良いさ」
「監視モニターでハルさんの部屋を見ていたら、そういえば新薬をトイレに流していたから"ビリビリ"を使いました。凄い痛がっていましたけど、あれってうっかり死んだりしないんですかね? 凄い絶叫をあげていたんで、ビクッとしちゃいました」
「まっ、大丈夫だろ。人間は思ったより頑丈だからそれくらいじゃ壊れないさ。多分、ちょっと痛いだけくらいだろ。それにしても、いままでは治験者の話をまともに聞いていなかったお前がハルさんの話を真に受けるとはなぁ」
「実は……最近ネット配信のアニメで観れる異世界転生系のアニメにはまっていて、そのせいでハルさんの話が妙に印象に残ったのかもしれません」
「はは。お前がそういう趣味を持っているのは知らなかったが、最近は随分とやっているみたいだな。うちのチビ共も観ているから俺もだいたいの内容は知ってるぜ」
「それにしてもハルさんはいつ、この施設を『退院』できるんでしょうかねぇ?」
「おいおい。その言い方は残酷だぞ。ハルさんの体は貴重な健康体の治験者だ。『退院』させずにたくさん治験を受けてもらう。ハルさんの治験データは高く売れる、まさに金の成る木だからな」
「次の治験は、骨折治療のために作られた新薬の治験でしたっけ? 猿での動物実験では一定の効果をあげられたとのことですが、人体での新薬の治験はまだ早くないですかねぇ? 普通はもう少し段階を刻むと思うんですが」
「まっ、そのために戸籍のない存在しないワケアリだけがこの施設に連れてこられているってことさ。安心安全でリスクのない新薬の治験だったらわざわざこんな辺鄙な田舎の村でこっそり行わず、暇で金のない東京の学生相手にやるだろうよ」
「僕たちはここの実情を知られたら罪に問われたりしないんですかね?」
「大丈夫だ、すべて根回ししてある。市議会議員や村の名士のおっさんにも袖の下も渡しているから、訴えられることはない」
「ぬかりないっすねぇ」
「たりめーだ。それにこの施設に居る治験者には、事前に新薬治験の同意書を書いてもらっている。すべて治験者の同意のもとで行っていることだ。そうじゃなければ、この施設でタダ飯を食わせたりなんてしない。治験者を飼うのにも金がかかる。仮にこの施設から脱出しても、まともに相手する奴なんていないさ」
「それにしても、次の新薬の治験はちょっとエグいですね……。さすがに、意図的に骨折をさせるっていうのは人道的にどうかなとか、思っちゃいますよ」
「ああ、ハルさんの次の新薬は"骨折を早期に治すために作られた薬"だっけ? そのためにちょっとだけ痛い思いをしてもらわないといけないけど、まぁ、今後受ける予定の新薬の治験のなかではまだマシな方だな」
「万力で手首、足首の骨を万力でへし折るっていうのは人道的にどうかと思うんですが、"同意書"も書いていますし仕方が無いんでしょうね。もともと両者の合意のもとでの治験ですもんね」
「まあ、お前の気持ちも分からないではないけど、製薬会社側からは麻酔を使ったりせずに"自然な状態で骨折"をして、その様子を毎日観察し報告するように言われているんだ。まぁ、タダ飯を食わせているんだから、手足の骨を折った程度は我慢してもらわなきゃなぁ」
「そんなものですかねぇ。まぁ、新薬が早く市場に出せれば、多くの人が救えますから、そのためには我慢してもらうしかないっすね」
「それに万力で骨折をさせるなんてまだ優しい方だよ。タナカさんは、皮膚の新薬の治験のために腕の皮をビリッと剥いだからな。あれは痛そうだなぁと思ったよ」
「ああ……タナカさんが左腕に包帯を巻いているのはそういうことだったんですね。新薬の治験のために抗生物質すら飲ませてもらえないから、膿が出ているみたいで腐臭が凄いんですよねぇ……マスク二重にして鼻栓しても臭ってきますからねぇ」
「まぁ、そういう事だ。それに、ハルさんは他の治験者よりも健康体だからな。『退院』する日までは、しっかり治験者として頑張ってもらわないとな。世界のため、そして俺達のお給料のために」
「そういえば、X線の健康影響度を調べるために1日に100回もレントゲンを取られているムライさん、かわいそうでしたね。つい最近は『退院』して放射性危険物として例のゴミ山に廃棄されたからな」
「最後の方はムライさん下血もすごかったからなぁ。まぁ、もともとヤク中で体は弱ってたからそろそろムライさんは『退院』の時期だとは思ってたけど。"同意書"に死亡しても一切の責任を負わないということは明記してあるから、仮にここを『退院』しても俺たちが罪に問われることはないもんな。そもそも明るみに出ることは無いし」
「まぁ……ぶっちゃけ、あの同意書をまともに読めるようなまともな思考力をもった治験者はここに連れてこられないですし、ぶっちゃけ僕でもあんな小さな字で書かれていたらうっかり読み飛ばしてしまいそうですよ」
「保険の
「まぁ……他人事ですけど、棺桶の状態でしか『退院』できないってのもかわいそうではありますよね。ワケアリな治験者さんなので仕方がないとはいえ、この仕事をしていると段々と倫理観が麻痺してきますよ。最近は治験者さんのことが同じ人間と思えなくなってきていて……価値観が壊れているような自覚はありますよ」
「おめーは若いから悩むんだろうけど、それで良いんだよ。治験者のことは同じ人間と考えるな。そうそう……、それこそハルさんの言う通り治験者のことは"異世界人"として接すれば良いんだよ。人間相手だなんて思っていたら、お前の精神が持たないぞ。実験動物や異世界人と同じくらいに考えないとやってられないさ」
「まぁ、そうですね。それにしても、ハルさん治験用の機材、ただの"万力"なんですね……原始的というかなんというか。あの万力で、手首と足首の骨を骨折させるんですよね。ちょっとだけ緊張しますね」
「まぁ。頚椎を骨折させるわけじゃないんだから大したことないだろ」
「それにしても、あの万力、どこで買ったんですか? 随分としょぼいっす。本当にあんなんで綺麗に折れるんでしょうかね?」
「しょぼくて悪かったなぁ。俺が家内と一緒にホームセンターのワークメンで買ってきた奴だから文句は言わせねーぞ。まぁ、手首と足首を骨折させる程度ならあの万力でも大丈夫だろう。痛みでショック死しそうになったら、AEDを使え。治験者は替えが少ないんだから大切に扱わないとだからな」
「骨折って、痛いんですよねぇ。子供の頃に一度経験したけど、僕は二度とゴメンですよ。それが同時に4箇所もなんて、治験者って大変ですね」
「労働の代わりに、社会貢献してもらっているだけさ。まぁ、ハルさんは健康体過ぎるから、脱走の危険性もあるから骨折実験は万が一この施設から出さないためにも、必要な処置だとは思うけどな」
「まぁ。テルイさんみたいに脱走に成功しても、村の住人たちが自主的に捕まえてくれるからそんなに苦労しないんですけどね」
「捕まえてここに連れてきた時の謝礼金は500万円だからな。そりゃあ、血眼になって捕まえるだろ。札束が歩いているようなもんだからな」
「はは、そうですね。札束が歩くっていうのも、随分とひどい表現ですけど」
「とはいえ、万が一ということもある。今後は脱走事故は今後は可能な限り避けたい。今後入ってきた治験者さんには、最初に骨折治療の新薬を投与することから始めよう。車椅子か松葉杖が必要な状態しておけば、逃げられることもないだろうからな」
「それ良いっすね。僕の方で出入りの業者さんに車椅子と松葉杖をいくつか発注かけておきます。……それにしてもこんなことをしていて僕たちは死後、天国に行けるんでしょうか?」
「なぁにしみったれた事を言っているんだよ。ったりめーだろ、俺たちは多くの人の命を救うためにこの仕事をしていんだ。早期に新薬の効果が確認できれば、どれだけ多くの人たちを救うことができるか分からないぜ。間違いなく俺たちは、天国行きに決まっているさ」
「確かに一理ありますね。少しだけ罪悪感があったんですけど、今の先輩の言葉で迷いが吹っ切れました。どうもありがとうございます」
「はははっ。まぁ、与太話は終わりだ。今日の治験者の報告書頼むぞ。面倒かもしれないけど、治験薬の報告書は俺たちに給料を出してくれている製薬会社さまに每日提出が必要なものだからな」
「はーい。今日は昼抜きなんで軽く食堂で食べたら、メール送ります」
三賢者バルタは地球に転移しこの日本海側のとある施設で、
多くの新薬の治験を受け人類の医学の進歩に貢献したのであった。
不幸なことに健康な体で産まれてきたバルタは、
この施設を簡単に『退院』することはできないのであった。
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