さようなら

「っ出来損ないの癖に私に触るな! 汚らわしい獣人め!」


「……」


 どこまで私のことを馬鹿にすれば気が済むのだろう。今この状態でなら、一発くらい彼女の頬をぶてるかもしれない。でもわたし、そんなことしない。アニエスやお継母様と同じ場所になんて、絶対に立たない。どんなに嫌いでも、それは暴力を振るっていい理由にはならないから。


「……アニエス、わたし今まで、あなたの気持ちを何にも知らなかった」


「!」


「でもあなたが嫌いなことに変わりはない。たとえどんな理由があったとしても、わたしにひどいことをしていいはずなんて、ないもの。だけど……」


 わたしはしっかりとアニエスの目を見て言った。


「あなたのことは少しだけ理解できる。お父様のことは全く理解できなかったし、なんの言葉も心には響かなかった。でもあなたとはもっと話せばよかったって、今になって思うよ」


 アニエスははっと目を見開いた。わたしの義妹は、本当にどうしようもないほどわがままで愚かだ。でもそうなった理由も分かる。あんな環境で育ったら、誰しもどこかが歪んでしまうだろう。


 わたしにしたことは許せない。でもわたし達はまだまだ若い。だからきっとこの子も、これから変わる可能性は十分にある。


「アニエス、わたし、この縁は切らない。だから目を覚まして。いつかちゃんと、わたしと話して」


「あ……!」


 わたしの手から溢れ出した光が、アニエスを蝕んでいた黒いモヤを消し去っていく。それをどうやって消せばいいのか、わたしは知っていた。まだ少し力が足りない。そう思うと、ルルが甲高く鳴いた。ルルから足りなかった分の力が流れ込んでくる。


 消えて。アニエスの中から去って! 


 強くそう祈り続けた。侵食してくる闇の力に歯を食いしばって耐える。もう勝てそうだというところで、ルルが大きく吠えた。その瞬間、アニエスに取り憑いていた黒いモヤは一気に消え去る。


 ──光が闇に打ち勝ったのだ。


「っ」


 黒いモヤが完全にかき消えると、アニエスは床に崩れ落ちた。瞳も正常なものに戻っている。ポロポロと、今度は透明な涙がこぼれ落ちた。


「出来損ないで、空っぽで、弱虫だって、思ってた、のに……」


 さっきお父様も同じことを言っていたっけ。

 いつの間にかそばに来ていたシモンが、呆れたように言った。


「君は要するに、クーナにずっと嫉妬していたのですね」


 まるで大人が子どもを叱るような声音に、アニエスは気の抜けたような顔をする。


「アニエス、わたし、空っぽなんかじゃないよ。もうたくさん、守りたいものがある。だから今日、こんなに頑張った」


 わたしは振り返ってギアに目配せした。アニエスから瘴気の気配が消えた以上、この講堂の扉も開くはずだ。


「見せてあげる」


 ギアが合図をすると、講堂の扉が一気にあいた。もともと、何かあった時のためにと冒険者さん達を集めていたのだ。外で待機してくれていたのであろう、杖騎士さんや、冒険者さんたちが、一気に講堂へ入ってくる。


「すまねえ! なぜか急に扉が開かなくなっちまって」


「お、おい、こりゃあどう言うことだ!?」


 荒れ狂った講堂に、みんな驚いていた。やっぱり、アニエスはここに来る前からおかしかったのだ。きっとどうにかして、扉が開かないような魔術を使っていたのだろう。


「これは……」


 ずっと黙っていたお父様が、顔をあげた。呆然としたように、みんなを見る。ルーリーたちが走ってわたしの元へやってきた。みんなわたしのために集まってくれたのだ。


「これがわたしの宝物です、お父様、アニエス。わたしは、自分の力でそれを見つけ、守りました」


「……」


「わたし、ここで暮らします。大切なみんなと一緒に。……さようなら」


 そう言うと、お父様は項垂れて杖騎士さんたちに連行されていった。


「アニエス! アニエス!」


 お継母様が悲痛な叫び声をあげて、こちらまで駆けてくる。その姿は、我が子を心配する母親そのものだった。アニエスが思っているよりもずっと、お継母様はアニエスを愛している。今はもう、わたしにはないその絆が、少し羨ましい。


 わたしは家族という、あまりにも重要な縁を切ってしまったのだ。きっと二度と、レイリア家には帰らないだろう。


 ──だけどわたしは知っている。


「クーちゃん! クーちゃん、よかったぁ!」


「ルーリー!」


 泣きじゃくるルーリーをぎゅっと抱きしめる。

 解けたリボンもあれば、また新しく結ぶリボンだってあるだろう。

 これからも、きっと、たくさん。


     ◆


 ──クーナ。

 ルーリーを抱きしめていると、不意にどこからか声をかけられた気がした。顔を上げれば講堂の入り口に、光を背にして一人の女性が立っていた。わたしと同じ、狼の耳としっぽがある。

女性はふわりと笑うと、ゆっくりと口を開いた。その光景も、耳に聞こえた言葉も、もしかしたら全てはわたしの幻想だったのかもしれない。

だけど幻想でもいい。最後にお母様に会えたのだから。


 ──よく頑張ったわね。


 そう言うと、お母様は光に包まれて、あの日夜空に舞った黄金の花びらのように消えていく。


 ──お母様、大好きだよ。これからもずっと。


 心の中でそう呟いた。愛おしくて、あたたかな気持ちで胸がいっぱいになる。

 お母様はお父様との結婚なんて望んでいなかった。

 それでもお母様は、わたしを心から愛してくれた。

 どんな事情があっても、真っ直ぐにわたし自身を見て、溢れんばかりの愛情を注いでくれた。


 わたしはグランタニアへ来る前までだって、空っぽなんかじゃなかったのだ。

 わたしの体には、お母様の愛が確かに息づいていたのだから。


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