絡んだリボンが解ける時
「話は全て聞かせてもらった」
わたしの前に立つと、胸に手を当てて深く頭を下げた。
慌ててそれを止めると、男性は顔をあげてお父様を見る。
「レイリア伯といったかね」
呆然とするお父様に向かって、男性は言った。
「私の名はレドリックという。レドリック=オルスティアード。この国では公爵位を賜っている」
公爵位。そう聞いた途端、お父様の顔はさらに真っ青になった。
「そ、そんな、まさか……公爵? なぜ、どういうことだ……!」
「今ここで起こった全ての出来事は、このレドリック=オルスティアード・ベルタが証人となろう」
──ベルタ。
公爵はわざとその部分を強調すると、わたしを見て深く頷いた。
……あの時の縁を切らずにいて、本当によかった。アルバートさんの件でわたしに謝罪したいと手紙をよこした公爵だったけど、わたしはあの事件を思い出したくなくて、ずっとシモンに預けていたのだ。だけど真実の天秤を使って、お父様の罪を暴こうと思った時。
ただ暴くだけではなく、その罪を問うには、確たる証人が必要だと思った。絶対に裁判で勝てるような、証人が。そしてそこで……思い出したのだ。アルバートさんとベルタ公爵のことを。
──こういう縁は、案外いつか使える時がくるかもしれませんよ?
シモンの言葉を思い出し、ちょっと卑怯だけど……公爵を証人とするために、シモンに彼を呼んでもらったのだ。もちろん公爵は、すぐにここへ来てくれた。
人種的な差別はないとはいえ、グランタニアには身分制度がある。裁判では身分関係なく等しく裁かれるというけれど、わたしはどうしても、確固たる地位を持つ証人が欲しかった。誰もがわたしを疑わないような、強力な証人が。
わたしは、身分差を利用したのだ。
「……一体なんなんだ、これは」
お父様は呆然としたようにわたしを見た。それから怒りで震え始める。
「このわたしを騙したのか、クーナ!?」
「……騙してません。天秤に真実を告げると誓ったのは、お父様です」
「じゃあなんなんだ、こいつらは! なぜこんな小娘ごときに、身分のある者たちが集まる!? こんな、なんの価値もない亜人の子ども如きにっ!」
肩を掴まれそうになる。けれどお父様の手は、ギアによって阻まれた。
きつく握り締められたせいか、お父様は顔を歪めた。
「……それが、お父様の本音だったんですね」
あの屋敷にいた頃のわたしは、生きる気力を失い、自分で考えたり行動したりすることなんてなかった。ギアの幼少期と同じように、流されるままに生きていた。
だからお父様は、わたしがお母様の本当の名を知っていると思わなかったのだろうし、軽率に天秤に真実を話すと誓ったのだろう。そして天秤が傾いたところで、誰もわたしの話など、見向きもしないと思ったのかもしれない。それがお父様のわたしに対する想い全てだ。彼はわたしのことなど信じていないし、大切にしてもいない。愛してなんか、いなかったのだ。
「……あなたはわたしが何もできないと思っていたのかもしれないけれど。確かにあの家にいたときは何もできなかったもしれないけれど」
だけど、とわたしは手をぎゅ、と握った。
「ルルにここへ連れてきてもらってから、わたしは変わりました」
どこへ逃げたとしても、差別や偏見はなくならない。だから世界に変わってと泣きつくのではなく、自分自身が変わろうと、決めたのだ。
「ルーリーやダン、それにみんなに助けられて、わたしは生きる力を取り戻しました。何が幸せなのかということを知りました」
あの家にいた時はきっと、生きながら死んでいたようなものだったのだ。誰にも認められず、虐げられ、時に空気のように扱われて。生きている意味なんか、わからなかった。
「わたしの幸せは、ここにあるんです、お父様。わたしはみんなと過ごす日常が、大好きなんです」
恐ろしいほど冷たい眼でわたしを睨むお父様。でももう怖くなんかない。
「大切なものも見つけました。わたしの宝物は、人との縁です。自分の力で見つけて、今日までそれを繋いできました。ここに来ていただいた方達も、そう」
レアが深く頷いたのが見えた。
「それを守るためなら、わたしは強くなれます。わたしは……わたしは、空っぽなんかじゃない。たかが獣人の子供じゃない。わたしだって、他のみんなと同じように尊重される『人』です」
深呼吸して、わたしはお父様に向かって真っ直ぐに言った。
「わたしの帰る場所は、ここにあります。冒険者ギルドの喫茶店が、わたしの居場所です」
涙はもう出ない。
わたしの幸せは、お父様といることではなく、ここでみんなと暮らすことだから。
「さようなら、お父様」
複雑に絡んだリボンが、するりと解けたような感覚がした。
あれほどわたしを苦しめていたものが解け、胸が軽くなる。
「……レイリア伯。これからあなたを王都に護送する。然るべき調査と裁判を受け、罪を償うんだ」
ギアがそう言った。シモンが静かな声で宣誓する。
「ここで起こった出来事は、全てギルドマスター、シモン・リグが確認しました」
「杖騎士団団長、ギア・エセルも右に倣う」
「……リュシア公爵代理、イングリット・リュシア。あなたの罪を問うため、証言に協力します」
「レドリック=オルスティアード・ベルタも、嘘偽りなく証言することを誓おう」
最後に、アレスが同調するように甲高く鳴いた。
「以上五名は、今ここで見たことを嘘偽りなく、国に報告することをこの真実の秤に誓いましょう」
シモンがそう言って微笑むと、お父様がどさりと床にくず折れた。
「エレナが……アトランシアが、リュシア公爵家のものだったなど、知らなかったんだ……ただ私は、エレナを奴隷商人から助けただけだ。ただ、助けただけ……エレナは私を愛していた!」
「愛してなどいるものか!」
イングリットさんの悲鳴のような声が、講堂に響いた。
「お姉様には、婚約者がいた。白狼族は生涯でただ一人しか愛さない! あなたがどんな言い訳をしようが、お姉様が愛したのはただ一人だけだ!」
興奮するイングリットさんを、レアとベルタ公爵が必死に抑えていた。
「詳しい事情は、王都で聞くことになる。お前を護送するため、一度杖騎士団に来てもらう」
お父様は抵抗しなかった。顔から全ての感情が抜け落ちたように、呆然としている。
──やっと終わった。わたし、ちゃんと自分の居場所を守ったんだ……。
ホッとして、思わず腰が抜けそうになった。モフモフたちが近寄ってきて、腕にスリスリしてくれる。ルルの頭を撫でて心を落ち着かせようとした、その時。
「待って!」
講堂に甲高い少女の声が響いた。
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