第8章 結ぶリボン、解くリボン
平行線
「ああ、やっと会えた」
夕方の光が差し込む、ギルドの講堂。
わたしは教壇の前に立って、階段を下ってくるお父様を待っていた。
冒険者資格取得のための講義や、ランクアップのために座学を受けるこの講堂はかなり広い。静かな部屋にお父様の足音が妙に響いた。
「このギルドの奴らが君を隠してから、もう七日だ。私がどれだけ心配したか!」
「……」
お父様が階段を降りて、わたしが立つ講義スペースに足を踏みいれた。けれどふと、講堂にいるのがわたしだけではないことに気づいて、首を傾げた。
「君も助けて欲しくて、私をここに呼び出したんだろう? なぜ、またあの乱暴者たちを呼んだんだ?」
……どうやらお父様は、冒険者さんたちがわたしをどこかへ閉じ込めているとか、そんな都合のいいように解釈しているらしい。すぐそばの壁にもたれていたシモンを見れば、彼は肩をすくめて呆れたような顔をした。シモンの隣には、ギアもいる。ギアはじっとお父様を見つめて、眉を潜めていた。この部屋にいるのは、ギアとシモンだけではない。
講堂に視線を戻す。階段状になった講堂には、細長いテーブルと椅子が並べてある。
そこにバラバラにではあるけれど、私たちのやりとりをじっと眺める人たちが座っていた。
イングリットさんとレア、それからわたしが羽で呼び出したアレス。アレスはもちろん人の姿で、退屈そうに座っている。そしてもう一人。初めて見る初老の男性が、椅子に腰をかけていた。男性はわたしに軽く会釈する。それから教壇に立つ私たちを真っ直ぐに見つめた。
心細くて、ルルたちには教壇の上にいてもらった。普段はうるさいモコモットたちも、今は静かだ。スラちゃん──クリスタルスライムに名前をつけてしまった──はルルの頭の上にもったりと乗っている。魔水晶を作るのは相当疲れる作業らしく、体力が回復するまでお世話をしようと、ルルたちと決めたのだ。
「さあ、帰ろう? クーナ」
そう言われて、手を差し伸べられる。きっと数日前だったら恐ろしくて震えていただろうけど、今は不思議と、心は静かな湖のように凪いでいた。
「……いいえ、お父様。わたしが今日ここにあなたを呼んだのは、あなたと決別するためです」
「……決別だって?」
お父様の額に、シワが寄った。それからお父様は、深いため息をつく。
「クーナ、わがままを言うんじゃない。君には家族がいる。家族の長たる私が、帰ると言っているのだから、そもそもクーナに決定権はないんだよ」
「……お父様。お父様はお母様が死んでから、ずっとわたしを無視してきました。お継母様やアニエスがわたしにしていたことを、あなたは知っていたはずでしょう?」
そう言うと、胸がずきりと痛んだ。グランタニアへ来たからこそ、分かる。自分がどれほどひどい生活を送っていたのか。誰にも顧みられなかったのか。
「それなのになぜ、今さらわたしに戻れと言うのです? わたしを政略結婚の駒にするつもりですか? それならもう、わたしの評判は地に落ちました。誰も娶ってなどくれないでしょう」
一気にそう言うと、お父様は驚いたような顔をした。
「政略結婚? まさか、そんなはずない! クーナはもう、ずっと家にいればいい」
「……」
「グラード家の若造とは、もうとっくの昔に縁を切ったさ。あいつは君が生きていると知ったら、もう一度婚約を結んでやってもいい、などと抜かしていたがな」
ロイ様が? 自分から婚約破棄をしたのに、どうして今更そんなことを……。
お父様やロイ様の奇妙な行動に、わたしは眉を潜めた。全く行動の理由がわからない……。
「クーナがいなくなってから、やっとみんな気づいたんだ。君がどれほど大切で、愛しい存在だったのかを」
お父様はわたしを見て、熱弁をふるった。
「私は君の母親……エレナを愛していた。心の底から。だからエレナがいなくなってからは、本当に心が空っぽになってしまったみたいだった」
……その弁解については、少し納得できた。お父様はお母様がいなくなってから、確かにずっと落ち込んでいた時期があったから。
「私の心は整理がつかないまま、クーナがいなくなってしまったあの日までぼんやりしていたんだ」
「だからわたしを無視していたと言うのですか?」
「……クーナ、君はあまりにもエレナに似ている。本当に、彼女の生写しのようなんだ。君を見るたびに、今はなきエレナを思い出して本当に辛かった」
……辛かったのはお父様の問題であって、わたしを無視していい理由にはならない。
「今まですまなかった。君の怒りはよくわかる。だからこれからは、ゆっくり家族で過ごす時間をもとう?」
その瞳に。わたしをじっと見る瞳に、なぜか熱っぽさが宿っている気がしてゾッとした。
お父様の目はわたしを見ていない。わたしを通して、お母様を見ているんだ……。ようやくお父様がわたしに執着している理由が分かった気がした。お父様が欲しいのでは私ではない。お母様だ。
わたしが冷や汗を垂らしていると、いつの間にかそばに来てくれたギアが、お父様に言い放った。
「あんたの言い分は分かった。しかしこの子を保護したのは俺だ。当時、この子はあまりにも酷い状態だった。虐待を疑うような怪我もあった」
「!」
ギアの言葉にお父様はぎり、と歯を噛んだ。お父様に直接暴力を振るわれたことはないけれど、お継母様にはかなりひどいことをされた。確かにその傷は、今も癒えずにわたしの体に残っている。
「もしもクーナをあなたの家に戻すと言うのなら、何度も言っているが、然るべき調査をしてからになる」
「あなた方は人の家庭事情に首を突っ込んで、何がしたいんだ? 私たちはアルーダ人だ。私たちの問題は私たちで解決する」
ギアとお父様の睨み合いが続いた。お父様は全く引く気がないようだった。
──私たちは、ずっと分かり合えないんだ。話せばどこかで交わることもあるかと思ったけれど、ずっと平行線。おまけにその会話は、わたしの心をひどく傷つける。
──逃げよう、クーナ。逃げていいんだ。
ギアはそう言ってくれた。わたしを助けてくれる仲間もいる。
自分を傷つけ、不幸になってしまう縁なら。例え血の繋がった家族だとしても、もう切ってしまってもいいんだ。自分の幸せを、優先していいんだ。
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