小川で
「涼しいね」
「るー!」
さわさわと涼しげな音を立てる小川で、わたしは靴を脱いで足をつけていた。
そばにある大きな木が日陰になって、夏の強い日差しを遮ってくれる。
ルルは浅瀬でじゃぶじゃぶと水浴びをし、モコモットたちは街でもらったお菓子を貪っていた。
相変わらずの食いしん坊だ。
「わたしたち、ここでギアに助けられたんだね」
はしゃぐルルをぼんやりと見ながら、そう呟く。
この小川は街はずれに流れている。上流に行けばもっと深いんだろうけど、ここは下流だからか、そんなに深さはない。水も澄んでいて、足をつけていると疲れを癒やされるようだった。
地底魚のお腹の中で、ギアに助けられた夢を見た。ルルによってグランタニアに連れてこられたわたしは、どうもこの川でギアに助けられたらしい。
なんとなく、その小川を見てみたいと思っていたのだ。わたしの、第二の人生の始まりの場所というか。ギアとの出会いの場所というか、なんというか。
「……って、なんでわたし、ギアのこと考えてるんだろう?」
思わず頬を押さえる。最近、なんだかギアのことを不意に思い出す時がある。
どうしちゃったんだろう。彼のことを思い出すと、なんだか心臓がドキドキするような気もする。
「る?」
「う、ううん、なんでもない」
顔が急に熱くなって、思わずパタパタとあおぐ。ルルは不思議そうにわたしを見た後、小魚と追いかけっこを始めた。
パシャン、と川で魚がはねる。そういえば、地底魚のフライ、すごく美味しかったなぁ。
ダンもヤンさんも料理が上手で羨ましい。わたしも今度、魚のフライの作り方、教えてもらおう。
そういえばギアも、魚好きだって言ってたな。上手にできたら、彼にもあげようかな?
「るー!」
魚を追いかけ回していたルルが、耳をピンと立てて、突然水から顔をあげた。
川をぼんやりと眺めていたわたしは、ふと水面にギアの姿が映っているような気がして、首をかしげた。
「……ギアのことを考えすぎなのかなぁ」
「俺が、どうかしたのか?」
「だって水面に、ギアの幻覚が……」
「幻覚?」
キラキラと反射する水面に、不思議そうに首をかしげるギアの顔が映った。
しっぽの毛がブワッと逆立つ。
「わわわっ!?」
思わず振り返る。そこにいたのは、いつもの黒い制服を着たギアだった。
幻じゃない。正真正銘、本物のギアだ。
「ギア!?」
わたしがあまりにも驚くものだから、ギアはキョトンとした後、珍しくおかしそうに笑っていた。
スカートを捲って足を水に浸していたので、わたしは慌てて足を拭いて、靴を履いた。
その間ギアは後ろを向いて待っていてくれた。別に足を出すのは恥ずかしいことではないけど、いつも長めのスカートに膝下の靴下を履いているので、なんとなく照れる。
「驚かせてすまない。まさかこんなところに君がいるとは思わなくて、つい声をかけてしまった」
「え、えっと……ギアはどうしてこんなところに……?」
ギアに促されて、木陰に移動する。ルルも水遊びは飽きたのか、モコモットたちのお菓子漁りに参戦していた。
「馬のお気に入りの場所だから、散歩していた。そうしたら君にそっくりな人がいたから……」
そっか。わたしを助けた時も、愛馬のお散歩をしていたって言ってたもんね。
ある意味ギアの馬のおかげで、わたしは助かったのかもしれない。
馬はどこだろうとキョロキョロしていると、ギアがひゅうっと指笛を鳴らした。
「ほら、その辺りで草をはんでる」
そうすると、少し離れた草原から、のんびりと大きな馬がやってきた。
「わぁ……!」
艶々とした黒毛の、賢そうな馬だ。理知的な瞳がわたしを捉えた。ブルブルと鼻を鳴らして、濡れたようなきれいな黒い瞳でこちらを見る。
馬はアルーダでもグランタニアでもよく見かけるから、大きくてもそんなに怖くない。
「シューティングスターって言うんだ。流星みたいに早いから」
そう言ってギアは悪戯っぽく笑った。
「わたしの、命の恩人……じゃないや、恩馬ですね!」
わたしはバスケットの中にあった木苺を手にとって、シューテングスターの口元へ持っていった。
ここにくる前に詰んだ、新鮮な木苺だ。
「わたしも、ギアに助けられた場所を見たくて、ここに来たんです」
「そうだったのか? わざわざこんな辺鄙な場所で何をしているのかと思った」
「わたしの第二の人生が始まった場所でもあるので。なんとなく、見てみたくなって」
ちら、とギアを見上げると、彼は複雑そうな表情をしていた。何か言いたいみたいに。
わたしの手の平にあった木苺を、シューティングスターはぺろっと一口で食べて、舌で口元を舐めた。それからわたしの頬に、鼻面をすりすりしてくる。
「ふわぁ、可愛い!」
「……シューティングスターは賢いから、クーナのことも覚えていると思うよ」
どこか誇らしげに、ギアはそう言った。なんとなく、彼の言っていることに納得できた。
シューティングスターの目は、とにかく優しい。
「あの時は、助けてくれてありがとう」
そう言うと、シューティングスターはぶるる、と鼻を鳴らしたのだった。
「またおかしな奴に絡まれたんだってな」
「え?」
せっかくだから、ギアにも貰ったお菓子とお茶を振る舞った。
彼は午前中、シューディングスターのリフレッシュのため、休暇をとったのだそうだ。暇だから付き合うよ、と言われて、わたしはしっぽを振り回してしまった。
ルルはシューディングスターにとても懐いていた。そばで草を食んでいる彼の上に乗って、はしゃぎまわっている。あんまり邪魔しちゃダメだよ、と言ったけど、シューディングスターは気にしていないみたいだ。キラキラと陽の光を照り返す小川を見ながら、ギアと話す。
「ギルドの奴らから聞いたよ。君が、アルーダ国の貴族に絡まれてたって」
「……ええ、ちょっとトラブルがあって」
もう怖くはない。ただ、みんなを馬鹿にされた不快感だけが、胸に残っている。
「……でも、大丈夫です。おかしな人でしたけど、犯罪とかには関わってなさそうでした」
ギアがため息をついた。
「クーナの『大丈夫』の基準はちょっとおかしい。犯罪までいかなくても、君に礼儀を欠くようなことをする奴にはどうか気をつけてくれ」
言われてみれば、犯罪者っぽくないからっていうのは、評価が甘すぎか……。
「き、気をつけます」
そわそわ耳としっぽを動かしていると、ギアは言った。
「すまない、怒ってるわけじゃないんだ。ただ、隣国よりはマシとは言え、ここにも変な奴は一定数いるものだ。何かあったら周りの大人にすぐ頼れ。君の願いだったら、あいつら、なんでもかなえてくれるよ」
「それは言い過ぎです」
わたしは思わず笑ってしまった。
「ギアはとても心配性ですね」
「……説教くさかったか?」
ちょっと気にするように、そう言った。
「? いいえ、そんなことないです」
耳をピクピクさせて、首を傾げる。
「よく言われるんだ、若年寄りって。見た目も、思考も、年嵩の男みたいだと」
そう言えば、年齢を重ねて落ち着いた雰囲気があるけど、ギアって何歳なんだろ?
「……今年で二十六だ」
「!」
ギアがわたしの思考を読んだ様に、そう言った。
三十代前半くらいだと思ってた。まあでも、年齢なんて関係ないか。ギアはいい人。ただそれだけだ。わたしの反応に、ギアは苦笑した。
「やっぱり、クーナも驚くよな」
「ギアはたくさん人生経験があるような、落ち着いた雰囲気を持っているんだと思います」
わたしにしたら、お兄さんみたいな感じ。
……ううん、あまりにしっかりしてるから、親って感じかも。
「まあ、順調とは言えない人生だったもので。だからクーナのことも、まるで自分を見ているみたいで、不安になる」
「……自分を?」
「ああ。俺もいろいろあってここまで流れてきたが……俺にはキリクがいた。いや、まあ、あいつのせいで色々老け込んだ面もあるが……」
感謝しているのか、腹がたっているのか、よくわからない声音でそう言うので、少し笑った。
「君はまだ幼いからかな、毎日ちゃんと生活できているのかとか、すごく不安になる」
「ギアも、みんなもいるから大丈夫です」
そう答えたけれど、どうしてだろう。幼い、と言われた部分に、胸がチクリと痛んだ。
それは初めての感覚で、自分でも少し、戸惑ってしまった。
「どうしてだろうな。俺も毎日君のことばっかり考えている様な気がするよ」
「……?」
へっ!? そ、それって、どういうこと?
思わず横目でギアを見れば、彼は本気で「うーん?」と思案顔をしていた。
……どうやら、深い意味はなさそうだった。
だけど、わたしの胸はどうしてかドキドキしている。さっきから、ずっとこんなの。変な感じ。
ギアはあまり気にせず、話を続けた。
「アルーダ国から避難してきた貴族も既に十名以上いる。これからも増えていくみたいだ」
「そう、なんですか……」
その言葉に、少し落ち込む。その人たちがみんな、亜人差別をしているわけではないと思う。だけど魚の中で見た夢のことを思い出した。
──お父様達が、グランタニアへ。フィーナルダットへ、向かっている。
あれはもしかすると、本当に起こりうることなのかもしれない。
「まあ、そうだとしても」
落ち込むわたしの思考を遮るようにして、ギアは言った。
「君のことは、みんなが守る。もちろん俺も。だから君も、もしもその身に危険が迫ったら、どうか周りの大人に、助けを求めて欲しい」
地底魚とのバトルの際、わたしが飛び出した姿を見ているからこそ、余計にそう感じるのだろう。
もしもお父様がやってきたとしても。その時はその時だ。
わたしはもう、ここで暮らすと決めている。それにお父様だって、わたしに興味なんかないだろう。わたしはただ、ここでの平穏な生活を続けるだけだ。
「はい。ありがとうございます」
ギアもみんなと同じように、わたしを心配してくれている。
そう思うと、心臓がドキドキして、しっぽが勝手に揺れたのだった。
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