白狼族の恋


「お風呂いただきましたー……」


 レアは長風呂の質らしく、全然上がってくる気配がなかった。仕方がないので、先にリビングへ向かう。広いリビングで、イングリットさんが手に持った紙をじーっと見つめていた。


 あまりにも真剣な顔をしているから、何を見ているのか少し気になった。

 紙は、どうやら女性の肖像画のようだった。同じ白狼族の女性のようだけど、ここからだと顔はよく見えない。イングリットさんはどこか悲しそうで、憂鬱そうで、すごく声をかけにくい。

 オロオロしていると、ハッとしたようにイングリットさんは顔を上げる。


「あら、クーナさん」


「あ……ご、ごめんなさい。お風呂ありがとうございました」


「いいのよ。さあ、しっぽは……え!? めちゃくちゃモフモフになってるわね!?」


 紙を片しながらわたしを見たイングリットさんは、ぎょっとしていた。


「なんか……モフモフになっちゃいました」


「きっと相性が良かったのね」


 たった一回でここまでモフサラになるのなら、使い続けていたらどうなるんだろう……。


「いっぱいあるから、持って帰るといいわ」


「え!? じ、自分で買うので大丈夫です!」


「そんなこと言わないで、私にも何かさせて?」


 イングリットさんは優しげに微笑んだ。


「クーナさん、その年で一人暮らしなんて大変でしょう。同じ白狼族として支援させてほしいのよ」


 そう言ってイングリットさんはわたしに紙袋を渡した。中を覗くと、いろいろなケア用品などが入っている。すごく高級そう……。

 紅茶を淹れながら、イングリットさんは言った。


「クーナさんだって好きな人もいるかもしれないし、こういうの、気になるでしょう。白狼族はちょっと好きになり方が違う……あら?」


 わたしはイングリットさんの話を聞きながら、ポカンとしていた。

 ──好きな人?


「クーナさん、あたり?」


 イングリットさんがわたしを見てニヤニヤ笑った。


「え、あの、好きな人……?」


 考えたこともなかった。


「自分のしっぽとか、気になっちゃうことある?」


「……あ、あります」


「気になる男性が近くにいる?」


「……」


 なぜかギアの顔を思い出してしまった。


「~っ」


 ほっぺたが赤くなる。

 え? わたしがギアのことを好き?

 いやいや、そんなはずはない。ギアはわたしを色々と助けてくれた、いい人だ。

 恩人っていう、ただ、それだけ。好きだけど、そういう好きじゃない。はず。

 あわあわしていると、イングリットさんは堪えきれないというように、吹き出した。


「そうね、ごめんなさい。プライベートなことよねぇ」


「~!」


 わたしは焦って、顔をパタパタと煽いだ。


「狼の恋はね、大変よ。一度相手に恋をしてしまったら、もうずうっと好きになっちゃう。夫婦になればお互いしか愛さない。特に白狼族はそれが顕著ね」


 そういえば獣人って基本的にその傾向が強いんだっけ。


「だから……好きでもない人と結婚させられたら、ほとんどの白狼族は体が弱って、死んでしまうこともあるの。それくらい、恋って大事なものなのよ」


「……」


 イングリットさん、誰かのことを言っているのかな。

 なんだか悲しそうな顔をしている……。その顔が、夢の中のお母様と重なって見えた。

 地底魚の中で見たあの夢。やっぱり似ている。イングリットさんと、お母様……。


「ごめんなさい、クーナさん。私、余計なことを話し過ぎちゃったかしら?」


「い、いえ、全然……」


 首をブンブンと横に振ると、イングリットさんは悲しげに笑った。


「クーナさん、姉さんにそっくりなの。だからつい、楽しくて」


「……イングリットさんのお姉さんに、ですか?」


 心臓がどきりとした。わたしが、イングリットさんのお姉さんに?

 イングリットさんの方こそ、お母様に似ていると思ったけど……。


「ええ。クーナさんみたいに、優しい目をした人だった。年子の姉で、とても仲がよかったの。本当に、いつも一緒だった」


 どうして過去形なんだろう。イングリットさんの言い方だと、お姉さんは、もう……。

 わたしの疑問に気づいたのか、イングリットさんは疲れたように笑った。


「……有名な話よ。リュシア公爵家の長女が、忽然と姿を消してしまった話は」


「姿を、消した?」


「ええ。もう十五、六年前になるかしらね」


 何度も何度も語った話なのだろう。イングリットさんはとても辛い話なのに、慣れたようにわたしに話してくれた。

 お姉さんはおてんばな人で、お屋敷をこっそりと抜け出して、街に遊びに行くことがよくあったらしい。その日も街に遊びに行く、とイングリットさんに言い残して、両親に黙って屋敷を抜け出した。イングリットさんは婚約者と会う約束があったから、ついて行かなかったそうだ。

 そして、その日。お姉さんはお屋敷に帰ってこなかったのだという。


「今日までずっと、ね。だから私、探しているの。姉さんに絶対にまた会えるって、信じて」


 そっか。だからイングリットさんはわたしと最初に出会った時、お母様の名前を聞いたんだ。

 お姉さんのことと、何か関係があるかもしれないから。

 胸がズキズキと傷んだ。あまりにも悲しい話だ。

 イングリットさんのお姉さんは、どこに行ってしまったのだろう。何か、事件に巻き込まれて、帰って来られなくなってしまったのだろうか。

 わたしの心臓は、なぜか早鐘のように脈打っていた。

 どうしてか、ひどくそのお姉さんのことが知りたくなる。


「……あの、聞いてもいいですか。お姉さんの、名前を」


 自分でもどうしてそんなことを聞いてしまったのか、わからない。

 でも気づいたら、自然とそんな疑問を口に出していた。


「……花の名前なの。姉さんの名前。とっても美しかった」


「花の名前……」


 イングリットさんはわたしをじっと見つめて、緊張したように口を開いた。


「姉さんの、名前は──」


 どくり、と心臓が鳴った。

 イングリットさんの姿が、地底魚の中で見たお母様の姿と重なる。



 お母様の本当の名前は──。



「あ、ケーキだ! 二人で食べるなんて、ずるいわよ!」


 張り詰めた緊張の糸をぷつりと切ったのは、お風呂から上がったレアだった。

 テーブルに用意されていたお茶とお菓子を発見して、目を輝かせる。


「ねえ、すぐそこのケーキ屋さん、すんごく美味しいのよ。あんた食べたことある?」


 そう言って、イングリットさんが口を開く前に、レアはぺらぺらと話しだす。

 イングリットさんは押し黙っていた。なんとなく、あの問いの答えを聞いてしまったら何かが大きく変わるような予感がして、わたしも口を閉じていた。

 お母様は、体が弱くなって、流行り病を悪化させて死んじゃったって言ってた。

 白狼族はもともと丈夫な体をしているのに。


 ……それは一体、どうしてだったんだろう?

 わたしを攫おうとした、アルバートさんのことが頭に浮かぶ。亜人を攫う組織がいくらでもあるって言ってた。獣人の女は高く売れるんだって。

 何か、点と点が繋がっていくような、奇妙な感覚がした。



 結局、ケア用品は全部無料でもらってしまった。

 レアは「その代わりに周りにも広めるのよ」とちゃっかりわたしに吹き込んだ。

 でもとってもいいものなので、今度クロナさんにもあげようと思った。

 クロナさんだったら、もっとふかふかになりそう……。


「また来てね」


 微笑んだイングリットさんが、宿屋の前で手を振った。時刻はもう夕方だ。

 夕日を浴びるイングリットさんの優しげな顔を見て、胸がぎゅっと締め付けられた。


 ──やっぱり、イングリットさんはお母様に似ている。


 垂れ目がちな金色の瞳。優しげな面立ち。背丈から、体型まで。


「ボーッとしちゃって、どうしたのよ?」


「あ、なんでも……」


 頭をブンブンと振って、わたしはペコっとお辞儀をした。

 お茶とお菓子までご馳走になって、なんだか申し訳ない。

 そういえば晩ごはん、ルーリーたちと食べる約束してたけど、大丈夫かな。


「じゃあ、今日はこれで」


 挨拶を交わし、わたしは夕暮れの帰途についた。

 けれどイングリットさんの切なげな表情が、目に焼きついて離れなかった……。

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