空を駆ける


 一通りブラッシングを終えると、アレスはピカピカになった。天井から差し込む光を浴びて、羽が七色に輝いている。ルルたちはお腹がいっぱいになってしまったのか、地面で寝っ転がってお昼寝タイムに突入していた。


「ふう、人に梳いてもらうのも、なかなかいいな」


 ゴロゴロ喉を鳴らしていたアレスは、ようやく起き上がった。さっきよりも随分元気になった気がする。これで死んじゃう心配も、もうなさそうだ。


「元気になってよかったです」


「ああ。お前のおかげだ」


 アレスは自分の羽をクチバシで突っついた後、機嫌良さげに言った。


「礼に、いいものを見せてやろう」


「いいもの?」


「しっかり掴まれ」


「!」


 アレスはいきなりわたしの服をぐいっとクチバシで引っ張った。


「うわ!?」


 物凄い力で、抵抗できない。そのままポイッと背中に乗せられてしまう。


「へっ!?」


「人なぞこの背に乗せたことはない。光栄に思え、白銀の狼の子よ」


 そう言うと、アレスはバサっと翼を広げ、一気に駆け出した。

 島を駆け抜け、水面をも走る。そして次の瞬間、ぐんっと上昇する感覚。


「きゃああああ!?」


「落ちないようにな」


 言わずもがな、わたしはアレスの首に必死にしがみついた。

 わたし、空、飛んでる!?


「クーナ!?」


「クーナちゃん!?」


 下からみんなの叫ぶ声が聞こえてくる。けれどそれに返事をしている暇はない。

 目だって開けていられない!


「ひゃああああ!」


「異空間への入り口だ」


 そのまま地底湖の天井から差し込む光の中へ、アレスは突っ込んでしまった。

 わたしは目をギュッとつぶって、振り落とされないようにひたすら耐える。

 するとある程度まで上昇したところで、アレスの体は安定してきた。


「クーナ、目を開けてみろ」


「……?」


 そう言われて、ゆっくりと目を開ければ。


「え……!?」


 な、何、ここ……? 水の中……?


「ダンジョンの中にある異空間だ。水中のようだが、そうではない」


 思わず息を詰めたわたしに、アレスはそう言った。

 わたしの目の前に広がっていたのは、まるで海の中みたいな、夜明け前の空みたいな、薄青い空間だった。その中に金色に輝く魚みたいな生き物や、キラキラと光る宝石みたいな物が散らばっている。手を伸ばせば、キラキラに触れられそう。


「きれい……」


「どれ。一つ持っていけ。手を伸ばしてみろ」


 言われた通り、わたしは近くにあった金色の光に手を伸ばした。それはチカチカと瞬いて、わたしの手に収まる。手を開いて確認してみれば、それは小さな、金色の天秤だった。細いチェーンが、二つの小皿を吊るしている。天秤の中央にはぽっかりと穴が空いていた。もしかすると、ここには宝石か何かの飾りが嵌っていたのかもしれない。


「天秤、ですよね……?」


「ここにあるのは、古のマジックアイテムだ。見せてみろ」


 そう言われたので、顔をよじってこちらに視線を移すアレスに、天秤を見せる。


「……ほう。これはいい拾い物をしたな」


「これ、なんですか?」


「持っておけ。いつか役に立つかもしれん。いや、近いうちに役に立つはずだ」


 聞いてはみたものの、結局なんのマジックアイテムか全くわからなかった。でもアレスがそう言うので、とりあえずポケットにしまっておいた。

 いつか何か、役に立つかもしれない。後でシモンに鑑定してもらおう。

 アレスは深い青の中を突き進んだ。次第に闇が深くなっていく。


「……っ」


 突然寒気がした。


「あ、アレス」


 怖い。キラキラが消える。

 今度は、深い海の底にいるみたい。光が届かなくなって、真っ暗だ。

 それなのに下を見れば、闇よりも深くて暗い何かが、蠢いていた。


「っ」


 ゾッとしてしまった。思わずアレスにしがみつく。


「あれが今、アルーダに巣食おうとしているものの正体だ」


「えっ?」


「心配はいらない。向こうはこっちに気付いていない。もっと深く、遠い場所にいるから」


「あれは一体何……?」


 そう問えば、彼は緩く首を振った。


「我にもあれが何かということはわからない。誰もあれを知らない。けれどあれは悪いものだということは分かる。ずっと地下に封印してきたのだ」


「それがなぜアルーダに?」


「人の心が醜くなって、穢れた物を呼んでしまった。それにアレは、このダンジョンにいるわけではない」


「じゃ、じゃあどこにいるんですか?」


「わからない。ここはダンジョンでもない、グランタニアでもない、異空間だ。あれがダンジョンにいるのか、グランタニアにいるのか、アルーダにいるのか……あまりにも遠くて、わからない」


 アレス自身も、分からないようだった。

 けれどわたしも、なんとなく感じる。あの場所にいるものは、よくないものだ……。


「そろそろ行こう」


 アレスはそう言って、ぐんと上昇した。あの暗闇から離れられることに、心底ホッとする。


「今はまだ、アレも静かだ。放っておけば、そのうちこの騒ぎも治るかもしれない。どのみち、お前たちにはどうすることもできないだろうよ」


「あの黒いものには、誰も立ち向かえないんですか?」


「ああ。あまりにも力が強すぎる」


 それじゃあ、アルーダ国はどうなってしまうんだろう……。


「こんな幻想を伝えたところで、国は動かんだろうな」

 アレスはポツリと言った。わたしもそう思うけど、でもシモンには伝えなきゃ……。

 やっぱり、何かよくないものが蔓延しているんだ。


「クーナよ。お前は未熟だ」


「え?」


「まだあまり深く考えなくても大丈夫な時期だ」


「……?」


 どういうこと? そう聞こうとしたら、さらにアレスは上を目指した。

 深い青が水色に、やがて透明になっていく。


「っ!」


 グングン上昇すると、パリィン! とガラスが砕け散るような音と、透明で細やかな破片が雨のように降り注いだ。けれど体に感じるのは、強い風と、暖かな光。


「さあ見てみろ。別にマジックアイテムを渡したかったわけでも、あの闇を見せたかったわけでもない。我はこの景色をお前に見せたかった」

 風に髪がなびく。ゆっくりと目を開ければ、そこは。


「っうわぁ!」


 空だった。わたしたちは青空を飛んでいる!

 そしてはるか下には、わたしの大好きな街、フィーナルダットがあった。町の中心には巨大な穴が空いている。穴を中心にして発展するその街の上を、わたしたちは飛んでいた。

 あの赤い屋根の建物は、ギルドだ。あそこにあるのは、ベルルのパン屋さん、それから……

 いくつもいくつも、知っている建物を数える。アレスは街の上を旋回してくれた。


 それからグッと下降して、もっと街がよく見えるように飛んでくれた。街の人々が、驚いたようにわたしたちを見た。またアレスは空へ登る。わたしは夢中になって街を眺め続けた。


「すごい! わたし、街を見下ろしてる!」


「我が乗せてやっているのだ。こんな経験は一生のうちに何度もできるものではないぞ」


 そう言って、アレスは高らかに笑った。鋭い鳴き声が空に響く。

 わたしは気持ち良くて、思わず手を広げてしまった。

 あたたかな太陽の光と爽やかな風を、体いっぱいに浴びる。

 風に煽られて、わたしの銀色の髪がなびいた。

 空はこんなにも、広いんだ。

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