第九十九階層:ひよこのサンバ


「そろそろ大丈夫です」


 クリスタルスライムが元気になっていくのを見守った後。

 わたしはボトルに入っていたレモンの薄切りをもう一枚あげて、リュックに荷物をしまった。ルル達も入ったのを確認してから、立ち上がる。うん。ふらつきもなくなっているみたい。


「気分は悪くないか?」


「はい」


 そう聞かれて、笑ってうなずく。

 キラキラ光るスライムを眺めているうちに、なんだか元気になってきたのだ。立ち上がってみんながいる場所へ歩き出そうとすると、ぴょんぴょんとスライムが跳ねてこちらへやってきた。


「?」


 どうしたんだろう。スライムはじーっとこっちを見て、何かを伝えようとしていた。


「いいのか、クーナ。捕まえなくて」


「え?」


「このスライムは希少だ。宝石商なんかが、よく飼うんだよ。一匹飼っているだけで定期的に質のいい魔水晶が手に入るからな」


 ギアさんは思案顔で言った。


「一つ魔水晶があれば、質にもよるが、働かずに暮らせるかもしれない」


 そう言われて、わたしはスライムを見た。

 スライムも相変わらず、じーっとわたしを見つめている。


「……いいです。ここで暮らしていたほうが、幸せそうだし」


 ルルやモコモット達は自分からついてきたけど、本当だったら個人が所有していいものじゃないはずだ。

 なんとなく流れで一緒にいるけど、自分の暮らす場所があるなら、そこで暮らす方がきっといい。


「スライムさん、もしかしてまだお菓子、欲しい?」


 それにしても、まだお腹が減っているのだろうか。ごはんをあげたから、懐いちゃったのかな。

 スライムはぶるんぶるんと揺れて、否定する。お腹は減ってないみたい。


「……ごめんね、私たち、この先に用事があるんだ。また帰りに会えたらいいね」


 そう言って、スライムに手を振ると、スライムはぽわ~とわたしを見上げて、固まった。

 もうついてくる気配はない。少し寂しかったけど、元気になってよかった。

 これも何かの縁だ。いつかまた、どこかで会えたらいいな。


「行きましょう」


「ああ」


 わたし達は次なる階層を目指して、歩き始めた。




 ダンジョンというのは、本当に不思議な空間だ。ただの地下空洞ではない。ダンジョンは異空間の連なりであり、一つ一つの階層が、全く別の環境を有している。


「うわぁ、今度は草原? 太陽も」


 わたしは思わず、ポカンと空を見上げた。

 九十八階層を脱出したわたし達は、さらに下の階層まで歩いてやってきた。

 先ほどまでの幻想的な空間とは一変。今度は地下空洞に、なぜか広々とした草原と、青空が広がっているではないか。

 優しい風が吹いて、わたしの白い髪を揺らした。


「あれは偽物の空なんです」


「偽物?」


 シモンが頷いた。


「ええ。この空間は、本来そんなに大きくない。天井に空みたいに見える魔術がかかっているだけなんです。ここは元から、モンスターも少ないし、安心して大丈夫ですよ」


「なんでここはモンスターが少ないんですか?」


「もちろん、次の階層に備えるためですよ。ダンジョンはそれ自体が生き物みたいに、それぞれの階層に役割を設けています。まるで冒険者を休ませるみたいに、この階層は平和なんです」


 シモンが笑う。思わずどきっとした。そうか。百階層は、本来ならレイドボスがいるんだ……。

 隊列はわたしとシモンを中心に、前方をギアさんたちが、後方をルージュさん達が守りを固め、進んでいく。

 しばらくは平穏な草原が続いた。しかし前半部隊が何やら騒がしくなった。

 どうしたんだろう。進行が止まり、ピリッとした空気になる。


「何何、どーしたの?」


 ルージュさんがひょこっと顔を覗かせた。


「わからないです……」


 しばらくして、なぜ前半部隊が立ち止まったのか、理由が判明した。

 草原のところどころにある大きな岩陰から、何かふわふわしたもの達が、こちらを見ていた。


「あ……」


 あの影って、もしかして。わたしがそう思っていると、背中のカバンがガサゴソと揺れた。


 ピピ、リリ、ララが出てきて、わたしの肩に乗る。


「ぴ!」


「ぴよ!」


「ぴ~!」


 騒がしくぴよぴよと鳴けば、岩陰に隠れていた小さな生き物達が、ブワッとこちらへやってきた。

 モコモットだ!


「うわ、すごいですね」


 シモンが関心したように言う。

 あちらこちらの岩陰からカラフルなモコモット達が飛び出してきて、なぜかわたしたちの元へやってくる。ぴーぴーすごく賑やかで、飛んだり跳ねたり、まるで空からひよこが降ってきたみたいだ。みんなもびっくりしていた。

 ルージュさん達女性メンバーは、モフモフだー! と大変喜んでいた。


「うわぁ」


 久しぶりだね、と声をかければ、モコモット達はわたしの元へどんどん集まってきた。


 ピピ達を会わせてやろうと、屈んで地面におろしてやる。


「ぴ~!」


 ピピ達は小さな羽をばたつかせて、みんなとの再会を喜ぶ。

 そう言えばピピ達って、あの爆発事件の時、なぜか仲間とダンジョンに帰ることじゃなくて、わたしのそばに残ることを望んだんだよね。

 ついてくるから連れて帰っちゃったけど、本当にそれでよかったのかなぁ。

 もふもふ。ふわふわ。ぴよぴよ。


「うーん……?」


 ぼうっと考えごとをしていたら、なぜかわたしはひよこまみれになっていた。

 ふわふわのドレスを着ているみたいに、ひよこ達がひっついてくる。


「クーナちゃんって、相変わらず精霊に好かれてるのね」


 ステラさんがそう言って笑った。


「いいなーいいなー!」


「ムイムイ達もひよこ欲しいー!」


 双子の妖精が、キャッキャと笑ってこちらへ突っ込んでくる。


「きゃっ」


 ボフッと地面にお尻をついたら、妖精とモコモットで、なんだか可愛いものまみれになっていた。


「あっ、服の中入っちゃ……ふわ、くすぐったい!」


 思わず笑って身をよじる。


「なんて平和な光景なんだ」


「俺ら、今どこにいるんだ?」


「天国じゃね?」


 ガントさん達の声が聞こえてくる。

 はっ。いけない。私たち、先へ進まなきゃ。

 ひよこ達をなんとか下ろす。


「こう見比べてみると、クーナのモコモットって本当デブだよなぁ」


 キリクさんが関心したようにそう言った。

 確かに、ピピ達はここのモコモットに比べて、二倍近く大きくなってしまった。


「確かに……。もしかしたらピピ達は、ダンジョンで暮らした方が健康なのかも……」


 そう呟くと、ピピ達がパッとこっちを向いた。

 それからわたしの元まで飛んできて、頬ずりをする。


「……ねえ、君たちはここに残りたい? みんなと一緒の方がいいのかな」


「ぴよー!」


 ピピ達は首を横に振った。一緒に行くって、言ってるみたい。


「いいの?」


「ぴ」


 ぴよぴよとわたしの頭に乗ってくる。小さな羽を広げて、進め! と前をさす。


「……そっか」


 ピピ達とずっと一緒にいれるなら、わたしも嬉しい。

 わたしは立ち上がった。するとモコモットたちが、いっせいに離れて、まるで道を作るみたいに綺麗に並んだ。そこでなぜか、くるくるとダンスをし始める。


「わあ、可愛い!」


 ぴよぴよとダンスを踊りながら、わたしたちを見送ってくれる。

 どこからか花びらが降ってきて、まるで祝福するみたいに、私たちに降り注いだ。


「もう何年も冒険者やってるが、こんなのは初めてだ……」


 ひよこのダンスを見ながら、誰かが呟く。なぜだかわからないけれど、なんとなくこの先も大丈夫な気がしてきた。旅の安全の象徴であるモコモットたちに、応援してもらったからかもしれない。

 わたし達は元気に、次なる百階層を目指すことになった。

 いよいよ、グリフォンと対面だ。

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