グランタニアへ SIDE:レイリア家


「お父様、本当に行くの?」


 アニエスは旅行カバンを持って、ため息を吐いた。旅装も整え終わり、あとは母が来るのを待つだけなので、玄関ホールにある階段の手すりにもたれかかっている。

 屋敷の前にはすでに馬車が止まっていて、準備が整っていることは百も承知なのに、それでも行きたくないと足がすくむ。


「ああ、何度も言わせるんじゃない。この国は今危ないからね。他の貴族達も避難しているだろう?」


 レイリア伯爵は苛立ったように、そう言った。


「……お姉様を迎えに行きたくないのか?」


「っ」


 そう言われて、アニエスはびく、と肩を震わす。


「理不尽な言いがかりで追放されたクーナがかわいそうだ。今すぐ迎えに行ってやらないと」


(またお義姉様の話……)


 クーナがいなくなってからというもの、レイリア伯爵はクーナの話ばかりをしている。

 それが気に食わなくて、アニエスは膨れっ面をした。レイリア伯爵はその話ばかりで、アニエスの母アリアも、顔には出さなかったけれどいつも不愉快そうにしていた。


(結局、お義姉様がいなくなっても、お父様は私を見てくれないのね)


 アニエスの心に、ピリリとした痛みが走った。クーナが消えても、アニエスの生活は何一つとして変わらなかった。それがまた、ひどくアニエスを傷つけるのだ。

 両親の気を引きたくて、今までたくさんのわがままを言ってきた。そのわがままの大抵は叶えられてきたけれど、結局アニエスの本当に欲しいものは、何一つとして手に入らなかった。


「お待たせしてごめんなさい」


 アニエスが唇を噛んでいると、暗い顔をしたアリアが階段から降りてきた。アニエス同様、グランタニアへ出向くことが、気に食わないようだった。


「……ねえあなた、本当に行くの?」


 アニエスと全く同じことを聞いている。伯爵は苛ついたのか、ぶっきらぼうに言った。


「何度も言わせるな。ここにいるより隣国に行く方がよっぽど安全だ。それにクーナを迎えにいかなければならない」


「……レイリア伯爵家の名誉のためにも、ですわよね」


 アリアは眉を寄せて呟いた。


「ええ、そうですとも。あんな可愛くもない、気持ちの悪い犬の子供のためなんかじゃないわ……」


 その呟きは、小さすぎてアニエスにしか伝わらなかっただろう。


「行くぞ」


 伯爵は侍従達に荷物を運ばせ、家を出て馬車へ向かった。





「ロイ様!?」


 荷物を積み込み、さあ出発だと言う時。伯爵邸の前に別の馬車がやってきた。

 馬車に乗り込んでいる人物を見て、アニエスは声をあげてしまった。

 義姉の元婚約者である、ロイだったからだ。


 彼は優秀な魔術師だったが、最近、クーナの件で信頼が落ちている節があった。本人も、父親から謹慎を命じられ、しばらく邸で大人しくしていたようだ。その間に何度かレイリア家に謝罪の手紙を送ってきたことがあったが、レイリア伯爵は全てその手紙を破り捨てていた。


「何か用かね」


 伯爵は、低い声でそう聞いた。


「……レイリア伯。お出かけですか」


「……」


 二人の間に冷たい空気が流れる。


「君のせいで、かわいそうな目にあっているクーナを迎えにね」


「!」


 ロイは目を見開いた。


「やはり、クーナは……」


「さあ、もう出発だ。一月もあれば着くだろう。その頃にはきっと、グランタニアでも有名な、夏の祭りも開催される時期のはずだ」


 伯爵は御者に出発するよう命じた。


「待ってください、伯爵! クーナを、もう一度俺の婚約者にしてあげてもいい!」


「!」


 アニエスはびっくりして、口に手を当ててしまった。

 なんで今さら、そんなことを?

 なんで偉そうに、あなたが言うの?


「クーナが帰ってくるなら……」


「おい、早く出せ! 耳障りな虫が気色悪くてかなわん」


 レイリア伯は吐き捨てるようにそう言うと、馬車の小さな窓をピシャリと閉めたのだった。


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