終章 銀のリボンが結ぶもの

あの丘の上まで

 熱を出して寝込んでいる間、怖い夢をいっぱい見た。


 まだアルーダ国へいたときのこと。

 レイリア伯爵家で、ずっとひとりぼっちだったときの記憶。

 あの、思い出すのも恐ろしい断罪の時。


「クーちゃん、大丈夫よ……」


 うっすらと目を覚ますたびに、ルーリーが腕をさすってくれていた。

 手を握ってくれていた。


 そのおかげか、わたしはだんだんと怖い夢を見ないようになっていった。

 そして、熱を出して何日目かの、早朝。

 目が覚めたら、すっかり体が軽くなっていた。

 熱を出していたなんて、嘘みたい。


 まだ日の光が登っていなくて、部屋は暗かった。

 そばに置かれたカンテラが、うっすらと部屋の中を照らしている。


「ん……」


 気付いたら、ルーリーがベッドに突っ伏して、眠っていた。

 ずっとつきっきりで看病してくれていたのだろう。

 わたしはベッドから出ると、そっとルーリーの肩に毛布をかけた。


「ありがとね、ルーリー……」


 まだ起こしちゃダメだ。

 そう思って、ゆっくりとキッチンへ行き、水を飲んだ。

 暗い窓の外を見ているうちに、ふつふつとある思いが浮かんでくる。


 わたしはコップを置くと、玄関へ向かった。

 靴を履いていると、ルルがやってきて、小さく鳴いた。


 どこ行くの?


 と首を傾げている。

 わたしは小さな小さな声で言った。


「大丈夫。どこにも行かないよ」


 もう遠くへは行かない。

 必ずここへ帰ってくる。


「……るう」


 ──私も行く。


 そう言っているような気がして、私は小さく笑った。


「わかった。わたし達は、いつも一緒だもんね」


 わたしはルルを連れて、外へ出た。


 ◆


 外は真っ暗だった。

 少し肌寒い。


 それでもわたしは白狼の血を引いているから、夜目がきく。

 ルルも同じなのか、別段不便はなさそうだった。


 一人と一匹で、暗い街の中を歩いた。


「るう!」


「? どうしたの?」


 ルルは元気いっぱい、ぴょこぴょこと跳ね回った。

 足で地面を蹴って、走る真似をする。


「……走りたいの?」


「るう!」


 そう!

 とルルはうなずいた。

 誰もいないこの道を、走りたい気持ちはよくわかった。


「ねえルル」


「?」


「かけっこしない?」


 ルルは目を輝かせた。


「あの丘の上まで」


 わたしは道果てを指差した。

 この道をまっすぐ突き抜けると、街を見渡せる丘がある。

 その上まで、先に着いたほうが勝ち。


「るん!」


 ルルは一声なくと、地面を後ろ足で蹴った。

 準備万端みたい。


「じゃあ、行くよ。……よーい、どん」


 そういうと、ルルはパッと走り出した。

 わたしも笑って、その跡をついていく。

 ルルは速かった。

 でも頑張れば追いつけそうだな、とか、そんな余裕なことを考えてしまった。


 空を見上げたら、まだ星がちらついていた。

 キラキラって光って、宝石箱の中を覗いているみたい。

 この街の空は、こんなに綺麗だったんだ。

 ずっと下を向いていたから、気づかなかったよ。


 そんなことを思っていたら、どんどんルルに距離を突き放されていた。

 これじゃあ、勝てない。

 もっと、速く走らなきゃ。


 わたしは靴を脱ぎ捨てた。

 ひんやりとした土の冷たさを感じる。


 そのまま、大地を力強く蹴った。

 最初は転びそうで、全然スピードも出なかった。


 ──もっと早く走りたい。


 でも強くそう願っていたら、大地を蹴る足は、次第に加速していった。

 手をギュッと握って、前を見据えて駆け抜ける。

 風がびゅう、と耳のそばで鳴った。

 まるでわたしは、ずっと、こんなふうに速く走れることを知っていたみたい。


 ──そうだ。

 わたしはまだ、走れるんだ。


 ……だったらもう、わたしは二度とヒールなんて履かない。


 もうあんな苦しいコルセットはつけない。


 足は歪に歪んでしまった。


 腰は息がしづらいくらい、細くなってしまった。


 もうわたしは、白狼族としての、本当の速さを取り戻すことはできないだろう。


 それでも、わたしの中に残った何かが、わたしを突き動かす。

 

 走れ。


 走れ、もっと速く。


 もっと速く!


 どこまでも駆けろ!


「はぁっ……はぁっ……」


 わたしはなりふり構わず、必死であの道果ての、丘の上を目指した。


 ◆


 呼吸が整わなくって、膝に手を置いて、肩で息をする。


「ルル、速すぎ、だよ……」


「るー!」


 ルルは嬉しそうにしっぽを振り回した。

 結局、ルルには負けちゃった。

 丘の上には、ルルが先についていて、得意げにわたしを待っていた。


 それでもわたしは、清々しい気分だった。

 今まで一番ってくらい。


 息が整うのを待って、わたしは丘の上にあった一本の木のそばに腰を下ろした。


「小さいのに、ルルはすごいねえ」


「るん」


「でもわたしも速かったでしょ?」


「るー」


「ふふ。今までで一番ってくらい、本気出しちゃった」


 ……よく考えたら、あんな風に大地を駆け抜けたのは、いつぶりだろうか。


「……わたし、もう走れないって、思ってたけど。そんなこと、なかったよ」


 わたしは自分の価値を低く見積もりすぎていたのかもしれない。

 ……ううん、アルーダ国にいたときは、きっと、そうだった。

 誰にも認められなくて。

 まるで空気みたいな。

 それでいて、嫌われて、どこにも居場所がなかった。


 だからわたしは、わたしが大嫌いだった。


 居場所を変えたら、何か変わるかなって思ったけど。

 でも結局、また、同じことの繰り返しだった。

 差別も偏見も、完全になくなるわけじゃない。

 

 だけどここへ来てから、分かったことがある。


「……世界はやっぱり、何も変わらないんだね」


「……るぅ」


 差別も偏見も、どこへ逃げてもわたしに付き纏う。

 逃げても逃げても、世界は変わらない。

 世界は本当は、残酷なのかもしれない。


 だけどたった一つだけ、変わることができるものを見つけた。


「ルル、わたし、自分で思っていたよりも、たくさんのことができたんだよ」


 一人暮らしも、喫茶店で働くことも。

 街へ行くことも、友達もできた。

 それから、思っていたよりも、ずっと速く走ることができた。


 できないって、自分で思っていただけだった。

 ルルが環境を変えてくれたおかげで、変化のきっかけを得ることができた。

 

 わたしにとって、この世界はもしかしたら、生きづらいのかもしれない。

 そして、泣いていても世界はちっとも変わらない。


 だけど。


 たとえ、世界を変えられなかったとしても。




 ──自分自身を変えることは、できるんだ。

 



「見て、ルル……!」


 ふわりと一陣の風が、わたしの頬を撫でていった。

 丘の向こう、遥か地平線の彼方に、一筋の光が浮かび上がる。


 ──夜明けだ。


 その光は、真っ暗だったわたしの世界を、明るく照らし出した。

 どこまでも伸びる、光のリボン。

 わたしはもう知っている。

 自分は一人ぼっちじゃないということを。

 銀色のリボンで結ばれた、あたたかな縁があるということを。


 ルルを抱いて、立ち上がる。

 迷宮の大地を見下ろして、ほうっと息をついた。


 かつてこの地を救ったという勇者は、どんな気持ちで故郷の地をたったのだろうか。誰か、守りたい人がいたから?

 だから自分が、変化しなければいけないと思ったのだろうか。

 ……それだったら、少しだけわかる気がする。

 自分のためにも。自分を大切にしてくれた人のためにも。

 人は自分自身を変えることで、自分の中の、そして、外の世界を変えることができるのだから。


「……わたしも、変わりたい」


 少し流れた涙をぐしぐしと拭った。


「変わりたいよ、ルル」


 差別に負けない、強さが欲しい。


 ただただ、幸せに、なりたい。


 ほんの少しの勇気が欲しい。

 

 光に照らされる街を見ながら、わたしは少しだけ、笑った。


「……ううん。絶対。変わるよ、ルル」

 

 欲しいと思うのなら、行動しなければ。

 少しずつでもいいから、自分を変えるんだ。

 そうすればきっと、幸せになれる気がする。


 これからは、前を向いて生きていこう。

 そうすれば、例え暗闇の中にいても、空にある幾多の星を見つけられると思うから。


 ◆


 しばらく二人で街の様子を見ていると、突然ルルの体が、ぱあっと光った。


「え!?」


 ふわりとルルの体が宙へ浮かび上がる。


「きゅるぅうううう!」


 初めてわたしの願いを叶えてくれた時みたいに、ルルは甲高い鳴き声をあげた。

 体が光に包まれ、それからフワッと光が大きくなった。


 ──進化だ。


 直感的にそう思った。


 光は徐々に膨れ上がる。

 それからしばらくして、パアッと空にキラキラが弾けた。


「!?」


 光の中にいたのは、前よりも数段大きく、そしてモフモフになったルルだった。

 手を伸ばすと、ゆっくりと、ルルはわたしの腕の中に降りてきた。


「わっ! おっきくなってる!」


「るぅん!」


 首のモフ毛は増量。

 額の宝石も大きくなっていた。

 手足には、輝くような、さらに小さな宝石がついている。


「すごい……! ルルも変わったんだね!」


「るーー!」


 ルルはしっぽをふった。

 しっぽの毛も、もふんもふんだ。

 すごいすごいと騒いでいると、唐突に、二人とも、ぐぎゅ〜とお腹の音がなった。


「……わたしはわかるけど。ルルって、精霊なんでしょ?」


「るーん」


 ルルはヘッヘと舌を出したあと、鼻をぺろっと舐めた。

 関係ないよ〜と言っているようだった。

 それがおかしくなって、わたしは笑ってしまう。


「ふふ……あははっ! ルルってば、本当、食いしん坊だね!」


「きゅるぅ」


「……帰ろっか。ルーリーが目を覚ましたら、みんなで朝ごはん食べよう?」


 ひよこ達もきっと、騒いでいるはずだ。

 また自分達を置いて行ったのかと。

 朝の光を浴びて、街は少しずつ眠りから覚め始めたようだった。

 明るい人々の声が聞こえ始める。


「行こう!」


 わたし達は、あたたかな光の中を、跳ねるようにしてギルドまで駆け抜けて行った。


 

 


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