第五章 銀狼姫の盾

みんなの励まし


 今日は休みをもらった。

 あんな怖いことがあった後だけど、働いてる方が気が紛れるかなって思って出勤してみたら、見事にミスばっかりするようになっていた。


 また誰かに怒られるんじゃないかと思ったら、手が震えたり、声がうまく出ないようになっちゃったりして、あんまり調子がよくない。また過呼吸になるのも怖い。


 ルーリーとダンは、しばらくゆっくりしていいよと言ってくれた。

 気を遣ってくれているみたい。

 あんなこと、仕事をしていればよくあることかもしれないのに、弱い自分が嫌になってしまう。


「ねえルル、わたし、一生このままだったらどうしよう?」


 ベッドで横になりながら、ぽつり呟く。


「わたし、みんなの役に立ちたいのに……」


 ルーリーの言葉が嬉しかった。

 だからまた、いっぱい働いて、みんなの役に立ちたい。

 だけどなんだか、体が重い。


 ルルの返事がない。

 部屋を見渡しても、ルルはいなかった。

 最近、どこかへ遊びに行ったりすることも多いから、外にいっちゃったのかもしれない。


 ルル、どこ行っちゃったのかな。

 寂しい。

 ルルと話したい。


「ぴよ〜」


 ルル、と呟くと、代わりに、ひよこたちがモフモフとこちらへやってきた。

 ベッドで寝転んでいると、ふわふわと顔にモフ毛を擦り付けてくる。

 

「ふふ、くすぐったい……」


「ぴ!」


 ピピもリリもララも、なんだかふっくらしてきた。

 前よりも、もったりとしたフォルムをしている。


「ぴ〜」


「なぁに? お腹へったの?」


 そういえば今日は、朝から何も食べてないや。

 いつも出勤したらルルたちはダンやお客さんに食べ物をもらうから、今日は満足していないのかもしれない。


「なんか作ろっか」


「ぴよ?」


「ぴぃ」


「むぴ」


 首を傾げるひよこたちを連れて、キッチンへ向かう。

 テーブルにはこの間買ったパンと、バナナ。あと木苺のジャムの瓶があった。

 

「……」


 パンを何切れか切って、トースターという魔道具にセットする。

 それからフライパンにバターを引いて、バナナをカットして少しだけ焼いた。

 焼くと美味しいって、ルーリーが教えてくれたんだ。


 焼いたバナナをお皿に乗せる。

 チーンって音がして、トーストができた。

 部屋はとても静かになった。


「……」


「ぴ」


「ぴうう」


「ぴよ」


「……うん」


 どうしてか、体が動かない。


 ぽた、と手に滴が落ちた。

 なんだろうと思って自分のほっぺを触ったら、濡れていた。

 わたしの瞳から、涙がこぼれ落ちているようだった。


 焼き上がったパンも、焼いてお皿にのせたバナナもそのままにして、冷たいキッチンの床に屈み込む。


 なんだか涙が止まらない。

 わたしは嗚咽を堪えて、静かに泣いた。

 どうして自分が泣いているのか、よくわからない。

 今日までのことを思い出す。


 ──とても遠いところから、ここまでやってきた。


 見ず知らずのわたしを、ギルドのみんなが助けてくれた。

 それから、一人暮らしを始めた。

 新しく始めた仕事は、うまくいかないこともあったけど、楽しかった。

 友達ができた。

 街へも遊びに行った。

 毎日楽しいことがいっぱい。


 だけどすごく嫌なことがあった。

 ギルドに迷惑がかかって辛かった。

 自分のせいだと思った。

 わたしには帰る場所がないと思っていた。


 だけどルーリーがそれを否定してくれた。


 わたし、今、悲しいのか嬉しいのか、よくわからない。

 今、わたしの心の中で何が起こっているのだろう。

 たくさんの感情がごちゃ混ぜになっている。

 悲しいのか、嬉しいのか、よく分からない……。


「ぴい〜……」


 ひよこたちがやってきて、不安げにわたしの顔を覗き込んだ。


「うん、ごめんね」


 涙を拭って、へへ、と笑う。

 なんだかすごく感傷的になっちゃったみたい。


「そうだね、君たちもいるもんね」


「むぴー」


 泣かないで、というように、ひよこたちはわたしの頬に体を擦り付けてきた。

 それがくすぐったくて、少し笑う。

 鼻をすすっていると、ガタガタと窓がなった。


「何?」


 びっくりしてそちらを見ると、ルルだった。

 ルルが中に入れて、と窓を叩いている。

 慌てて鍵を開けると、なんだかやつれたルルが、大きなバスケットを持って、部屋に入ってきた。


「るぅ……」


「る、ルル、どうしたの?」


「る……」


 見てみろというように、もちもちした前足でバスケットをこちらへ押し出す。

 かけられていたハンカチを取ったら、中にはスープの入った入れ物や、パンや、あったかいお料理がでてきた。すごい量だ。


「ちょ、これ、どうしたの?」


「るん」


 ルルはちょいちょいとバスケットの中を示した。

 中には何枚か手紙が入っていた。


『クーちゃん、トマトと卵のスープをダンが作ったから、食べてね。いっぱい食べてまた一緒に働きましょうね』


 ルーリーの手紙だ。

 

『クーナお姉ちゃん。うちからいっぱいパンを持ってきたから食べて。私の一番お気に入りの、ネコのパン、美味しいよ』


 これはソラリスちゃん。


『ガリガリはいかん。いっぱい食べろ』


 ヤンさんの手紙。


 他にも、バスケットの中にはいっぱいものが入っている。


「……ルル、これ、持ってきてくれたの?」


「るう〜」


 ルルはうんうんとうなずいた。

 めちゃくちゃ疲れているようだ。

 顎を何回も開け閉めしている。


「ふ、ふふ……」


 なんだか自然と笑みが溢れてきて、手紙を抱いて、笑う。

 すると、りんごんとチャイムがなった。

 誰か部屋に来たみたいだ。


「あ、今出ます」


 慌てて部屋の扉を開ければ。


「!?」


 いきなり目の前に、果物がどっさりのった籠が現れた。


「お、重いですにゃ……」


 と思っていたら、どうやらクロナさんが頭にバスケットを乗せているようだった。

 クロナさんはカゴを下ろして、肩で息をした。


「これ、よかったら美味しいのでどうぞですにゃ。毛艶が良くなるって、うちの里でも有名な果物ですにゃ」


「え……いいんですか?」


「もちろんですにゃ」


「あ、ありがとうございます」


 ペコペコ頭を下げていると、今度は階段を登って、大荷物のエレンさんがやってきた。 


「んもーーーーーっ! 重すぎますっ!」


 エレンさんはわたしの部屋の前へやってくると、大量の荷物を下ろして腰をごきごきっと鳴らした。


「ど、どうしたんですか?」


「クーナさん、実はですねぇ! 喫茶店のお客さんたちが、これ、ぜーーーんぶ、クーナさんにって!」


「……」


 目を丸くしていると、エレンさんは言った。


「みなさん、私がクーナさんの部屋に行くっていったら、これですよ。全く、運ぶ方の気にもなってくださいよぉお」


「るー」


 ルルが共感したように鳴いた。

 ルルや、エレンさんたちがくれた、たくさんのもの。

 わたしはびっくりして、しばらくぽかんとしていた。


 すると、エレンさんがポリポリと頬をかいて言った。


「私も仕事で嫌なこととかいっぱいあって、落ち込む時とか。実家がすごく懐かしくて、今すぐ帰りたいって日もいっぱいあります」


 えーっと、それで、とエレンさんは続けた。


「私はですねぇ、クーナさんよりも少しだけ長くこのギルドで働いているので、そういうストレス発散の方法をよぉく心得ているんですよっ!」


 クロナさんと目を合わせて、ニッと笑う。


「美味しい食べ物を食べて飲む! 騒ぐ! 喋り倒す! ずばりこれです!」


「……」


 わたしがぽかんとしていると、エレンさんは恥ずかしそうに指を突き合わせた。


「えーと。なので、一緒にごはんとかどうかなーって思ってたんですけどぉ」


「よく考えたら、これはクーナさんの家にお邪魔する流れになってますにゃ」


「そうですよねぇ」


 ははは、とエレンさんが頭をかいた。

 二人はわたしを見る。


 胸がじわっと温かくなった。

 油断したら、また泣いちゃいそう。


 ぐしぐしと涙を拭いて、笑った。


「あの。おうちにいっぱい、食べるものがあるんです。食べきれないくらい。よかったらみなさんで、食べませんか?」


 二人の顔がパッと輝いた。


「あっ、じゃあ待っててください! うちに美味しいお酒とチーズがあるんですよ! 持ってきます!」


「お邪魔しますにゃー」


 ルーリーは言った。

 縁は大切にしたいと。


 わたしも今、心底そう思うよ。

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