クレーマー
「君は本当にいい毛並みをしているね。髪も綺麗な白銀だし、見ていて飽きないよ」
「……ありがとうございます」
「ねえ、それで俺の言ったこと、考えてくれた?」
「……」
「俺の家で働かないかってお誘いの返事。聞かせてほしい」
わたしはどう返事していいか分からなくなって、眉を下げた。
◆
最近、喫茶店におかしなお客さんが来る。
それも厄介なことに、ダンとルーリー、あと他のお客さんが不在の隙にやって来るので、相手をするのが大変だった。
名前はアルバートさんという。
身なりがいいからきっと身分の高い人なんだろうけど、なぜかわたしにばかり構うのだ。
そしてこの間、なぜか自分の家で働かないかと誘われた。
わたしはどこにも行く気はない。
なぜなら、まだ何もギルドの人たちに恩を返せていないからだ。
「……ごめんなさい、わたし、ここで働きたいから。どこへもいけません」
ペコっと頭を下げる。
優しそうな人だったから大丈夫だろう、と思っていたら、舌打ちが聞こえてきた。
「なんだよ、俺の誘いが気に食わないのか?」
「そ、そうじゃなくて……」
弁解しようとすると、ドンっとアルバートさんは机を叩いて立ち上がった。
「店員が客に向かってそんな態度をとっていいとおもってるのか?」
「ご、ごめんなさい……」
「ぐるううう」
そばにいたルルが、歯を剥き出しにした。
今にも飛びかかりそうな勢いだったので、慌ててルルを取り押さえる。
何か言われるかとも思ったけど、アルバートさんは舌打ちをして、そのままどこかへいってしまった。思わずほっと体から力が抜ける。
「クーナお姉ちゃん、大丈夫っ!?」
どうして逃げるように店から去ったのかと思ったら、一緒に働いていたソラリスちゃんが、ダンを呼んできてくれたからのようだ。
二人とも慌てた様子でこちらへやって来る。
「う、うん、ありがとう」
「大丈夫かクーナ」
「はい。ごめんなさい、なんだかあの人の気に触るようなことを言ってしまったようで」
「いい。気にするな。こっちこそすまなかったな。おかしな客がいたことに気づかなかった」
わたしは力なく首を振った。
なんだか、すごく疲れてしまった。
少し指先が震えている。
「ピヨー……?」
ルルと一緒になってアルバートさんを威嚇していたひよこたちも、心配そうにわたしを見ていた。
ひよこたちの頭を撫でてやると、ほっとしたように黒い瞳を潤ませる。
「今日はもう上がりでいい。疲れただろう」
「えっ、大丈夫です」
「だが……」
「ちょ、ちょっと休憩すれば元通りですから!」
ダンを無理やり説得して、わたしはその日もちゃんと働いた。
けれど心に不安がいっぱいあったせいか、多くのミスをしてしまったのだった。
◆
ある日。
わたしが喫茶店で出たゴミをまとめてゴミ置き場に持っていった帰り道。
喫茶店に戻ろうとギルドの廊下を歩いていると、見覚えのある人にあった。
思わずビクッと立ち止まる。
アルバートさんだ……。
「やあ。先日はすまなかったね」
「……」
何も言えなくなって固まっているわたしに、アルバートさんは近づいてきた。
そしてそのまま、なぜか尻尾を触られる。
全身の毛がゾワっとした。
「や、やめてください……!」
人間にとって、このしっぽは犬のそれと同じように感情を表現するためのものという認識なのかもしれない。
けれど獣人にとっては違う。
尻尾を触るなんて、お尻を撫で回しているのと一緒だ。
そもそも、なんでこの人は突然、わたしの尻尾を触ったのか。
「やめて……」
思わず、気持ち悪くなって、アルバートさんを突き飛ばしてしまった。
わたしがまさかそんなことをするとは思っていなかったのか、彼は思いの外よろめいて、地面に尻餅をついた。
「あ……ご、ごめんな、さ」
慌てて謝罪したけれど、遅かった。
突然アルバートさんが怒鳴った。
誰もいない廊下に声が響く。
「お前、何をするんだ!? 俺が誰だかわかってこんなことをしているのか!?」
アルバートさんは激情して、立ち上がると、わたしの腕を掴んだ。
「この間から黙ってチヤホヤしてやれば、獣人のくせに生意気なことしやがって」
「っ」
痛い。
腕を捻り上げるように掴まれる。
「俺は隣街の領主の息子だ。このギルドにだって多額の支援をしている。その俺に、こんな扱いをするのか? ただの獣人の女が」
「……っご、ごめな、さ」
「謝ってすむ問題じゃないな。もう我慢の限界だ。お客様は神様なんだろ? こっちは支援を打ち切ったっていいんだ。おまえが俺に不快なことをしたのが悪いんだぞ」
すうっと体が冷えた。
それまで残っていた冷静な気持ちが、全部吹き飛んで、胸が苦しくなってしまった。
どうしよう。
わたし、トラブルを起こしてしまった。
そのせいで、ギルドに迷惑がかかりそうになっている。
真っ青になったわたしをみたアルバートさんは、笑っていう。
「あの喫茶店だって、俺が文句をいえば、どうとでもできるんだぞ」
「そ、そんな」
「お前のせいで潰れるんだ」
──お前のせいで潰れるんだ。
その言葉が、何度も何度も、頭の中で響いた。
「わ、わたし、どうすれば……」
「どうすれば? そんなの決まってるだろ」
ガクガク震えていると、アルバートさんは鼻で笑って何かを言おうとした。
けれどその前に、落ち着いた静かな声が廊下に響く。
「これは何事だ?」
二本の杖が交差した紋章。
見上げれば、そこにいたのはギア様だった。
「どうした、クーナ」
「あ……」
声が、言葉が出ない。
胸が苦しい。
私たちの様子が明らかにおかしいとおもったのだろう。
ギア様は眉を潜めて、アルバートさんを見た。
「お前、クーナに何をした」
「くそ、なんでこんなところに杖騎士が……」
アルバートさんはまた、舌打ちをして、踵を返した。
ギア様はその後を追おうとしたけど、どうもわたしの様子がおかしいと感じたらしい。
──息が、うまくできない。
わたしはその場にくず折れた。
「はぁっ……はぁっ……」
何これ、どうしよう。
息ができない。
死んでしまう!!
「過呼吸か」
わたしがパニックを起こしていることに対して、ギア様は冷静だった。
その場に膝をつくと、わたしの背に手をおいた。
「はっ……ぅ、わた、し……」
「しゃべらなくていい。大丈夫だ、過呼吸で死にはしない」
「……っ」
苦しくて怖くて涙が出てくる。
「ゆっくり息をしてごらん。もっと、もっとゆっくり」
ガクガクと震えながら、指示に従う。
「そう、上手だ。何も心配しなくていいから。俺が全部なんとかしてやるさ」
パニック状態だったけど、ギア様の冷静な声と指示を聞いているうちに、少しずつ息は楽になってくる。
大丈夫、もう息はできる。
「ルル、人を呼べるか? そうだな、シモンがいい」
ルルは喫茶店にいるはずなのに、どうしてルルの名を呼んでいるのだろう。
ひどく疲れてしまって、考えることも、立ち上がることもできなくなってしまった。
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