クーナのお母様
「クーナ」
誰かがわたしを呼んでいる。
あれ、わたし、何やってたんだっけ?
気がつくと、わたしはいつの間にか小さくなっていた。
下を見れば、まだぽよぽよしたちっちゃな手。
「クーナ」
懐かしい声が聞こえてくる。
わたしはレイリア家の庭に立っていた。
庭のひだまりの中には、白銀の髪と、狼の耳としっぽをもつ、とても美しい女性がいる。
その姿がひどく懐かしくて、わたしは駆け出した。
「おかあさま!」
ひだまりの中に、大好きな大好きなお母様がいた。
小さなわたしは、一生懸命お母様のところまで駆けていく。
しっぽをぶんぶん振って、お母様に抱きつくと、優しいいい香りがした。
すごく落ち着く。
「ふふ。足が早くなったわね、クーナ」
「うん。すごいでしょ? もっともっとはやくはしれるよ。クー、はしるのだいすきだよ」
わたしは気がつくと、しっぽを振ってそんなことを言っていた。
「そうね。お母様もクーナが走っているところを見るのが楽しみだわ」
「おかあさま、じゃあかけっこしよう! どうしていつもすわっているの!」
お母様の真っ白な手を引っ張る。
けれどお母様は困った顔をして、動かなかった。
「ごめんね、クーナ。お母様は、靴があるから、だめなの」
お母様は自分の足をドレスで隠した。
けれどチラリと見えた足。
お母様は、小さくてヒールの高い靴を履いている。
「なんで? おかあさま、はしるのだいすきっていってたのに。くつ、ぬげないの?」
そう聞くと、お母様は悲しげに微笑んだ。
「……お母様は、少し体調が良くないの。でも走るのはだいすきよ。だってお母様は白狼族の娘なんだもの」
白狼族。
幼いながらに、わたしはお母様が白狼族という獣人であること、そして娘のわたしがその血を濃く受け継いでいることをなんとなく理解していた。
「ねえねえ、はくろうぞくのひとたちって、みんなかけっこがすきなの?」
「そうねえ、嫌いな人はあんまりいなかったわねぇ。お母様が小さなころも、一族の子供たちとかけっこして遊んだわ」
わたしはぱあっと顔を輝かせた。
「みんな、どこにいるの? わたしもかけっこする!」
「……」
お母様は悲しそうに微笑んだ。
「この国には、いないわ」
「どうして?」
「お母様はね、遠いところからお嫁に来たの。だから、みんなは遠いところにいるのよ」
「とおいところ……? とおいところってどこ? おかあさまは、どこからきたの?」
お母様は悲しげに微笑んだきり、何も言わなかった。
そうだ。
いつもそうだった。
お母様は自分のことを、何一つとして語らなかった。
お父様はレイリア家がどれほど素晴らしいかを語っていたのに。
だからわたしは、お母様の出自も、姓も、本当に何も知らない。
「クーナ、あなたは本当はね……」
突然、視界がぼやっと濁った。
何?
聞こえない、お母様。
「……継いで……」
待って、行かないで!
「……王の……」
視界が真っ白になった。
◆
「うーん……?」
寝苦しくて目が覚めた。
モフモフが顔中を覆っていて、息ができない。
「ルル……苦しいよ
「きゅー」
モフモフを退かす。
ルルは寝ぼけているのか、わたしの頬をペロペロ舐めて、くたっと寝てしまった。
まだ明け方らしく、ひよこたちもバスケットの中で固まってスピスピと眠っている。
「びっくりした……なんでとつぜん、あんな昔の夢を見たんだろう?」
夢を思い出す。
懐かしいお母様の夢だった。
とても綺麗な人だったのは覚えているけれど、わたしが五歳の時に亡くなってしまったから、ほとんど記憶がない。
「……なんて言ってたのかな」
お母様はふしぜんなほどに、自分のことを何も語らなかった。
お父様に聞いても、教えてもらえなかった。
ただ「お父様とお母様は両想いになって、結ばれたんだよ。だからお母様はお嫁にここまで来てくれたんだ」と言うのみ。
それ以上何も聞くな、と言う雰囲気で、わたしはいつも踏み込めずにいた。
「お母様は、一体どこから来たんだろう……?」
今まで聞くな、考えるなと言われていたから、わたしは無意識のうちに考えなくなっていた。
本当のこと言うと、わたしはお父様がずっと苦手だった。
機嫌がいい時は優しいけど、悪いと、ひどく打たれたり、怖いことをされたから……。
お母様はお父様の何が好きだったのかと、疑問に思うくらいに。
けれど、ふと思った。
お母様は本当に、お父様のことが好きだったのだろうか、と。
「ぴよ」
「ぴー」
「ぴゆー」
ぼうっとしていると、モコモットたちが目覚め始めた。
つぶらな瞳を瞬かせて、フワフワの頭をバスケットに押しつけ、身を起こし始める。
「おはよう、みんな」
みんなは眠そうな顔で、ピッピと鳴いた。
そのうちに、わたしも眠気が治ってきて、グーっと伸びをする。
わからないことはいっぱいあるけれど……少しずつ考えていこう。
今は、楽しいことがたくさんあって、もう怖いレイリア家のことで悩まなくていいのだから。
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