クーナが消えたレイリア家
「どうしてあたしの新しいドレスがないのっ!?」
「アニエスお嬢様、ドレスは旦那様がお許しにならず、結局買えなかったのでは?」
「嘘! お父様はなんでも買ってくれるもの!」
アルーダ国、レイリア伯爵邸。
クーナの義妹であるアニエスは、自身の部屋で癇癪を爆発させていた。
「大体、あたしの部屋のお花も枯れているし! 掃除は行き届いていないじゃない! 窓の縁にたまる埃が大っ嫌いって、いつも言ってるのに!」
大きな窓のある部屋には、これでもかというほど、可愛らしいものがあふれている。
バラと妖精をモチーフにしたシャンデリアに、小花柄の壁紙。
天蓋つきのベッドはふわふわで、まるで王宮の一室のようだった。
そんな素晴らしい部屋で、けれどアニエスは喚いていた。
新しいドレスが手に入らなかったとメイドが告げても、それを受けいられないようだった。おまけに掃除が行き届いていないとも、叫んでいる。
それを遠目に見ていたメイドたちがひそひそと耳打ちをしあう。
「ねえ、嫌だわ。またアニエス様の癇癪よ」
「クーナ様がいなくなってから、当たる人がいなくなちゃって、以前よりもひどくなったわよね。掃除だってクーナ様がしていたから、私たち、わかんないわよねぇ」
「あーあ、クーナ様がいなくなって喜んでいたけど。やっぱりあの人がいた方が、私たちは楽できたわよね」
「ぜーんぶ、クーナお嬢様がやっていてくれていたものねぇ」
炊事も、掃除も洗濯も。
植物の管理も。
アニエスの衣装の手伝いさえ。
クーナの継母が、何かにつけてクーナに押し付けていたから、使用人たちはずいぶん楽をさせてもらったものだ。
「正直、クーナ様がいた頃の方がまだ楽だったわよね」
「あーあ、また戻ってきてくれないかしら」
「クーナ様自身は、亜人で、コスパもよかったもんねぇ」
クーナは白狼族という、狼の獣人だった。
獣人は大抵が魔力が低い代わりに、人間よりも体力や身体能力が優れている。
だからクーナはよく、食事を抜かれたり、無理な仕事量を押し付けられたりしても、なんとかこなしていた。あれを人間がやれと言われても無理だろう。
けれどどうも、継母はそれを恐れていた部分があったようだ。
いつか自分たちに逆らって、暴力をふるったりするのではないかと。
クーナの居場所といえば、暗い物置きだった。
伯爵邸には部屋などまだあったのに、食事も、眠ることも、物置きで済ませるように言われていた。
食事も、最後に残ったものを下げ渡していた。
使用人たちがほとんど食べてしまったり、持って帰ったりするから、クーナの分はいつも、ほとんど残っていなかったけれど。
だからクーナは、十五歳というが、どうみても十二、三歳ほどにしか見えななかった。
本来なら、白狼族というのは、人間と比べると、男性も女性も大柄なひとが多い。
けれど虐待と言っていいほどの折檻とひどいストレスのせいで、クーナは痩せ細り、小さな小さな、まるでぼろきれのような女性になってしまったのだ。
逃げ出さないように、きついコルセットと高いヒールをはくことを強制したせいで、腰はひどく細くなり、足の形も若干歪になってしまった。
あのからだでは、自由に走り回ることもできないだろう。
継母は、ようやくそれで安心したようだった。
「でも意外なのは、旦那様が悲しんでいることよねぇ」
「そうそう! びっくりしちゃった。私、旦那様はクーナ様のことが好きじゃないもんだと思っていたわよ」
レイリア家は、正直なところ、羽振りが良くない。
アニエスが新しいドレスを買ってもらえなかったのも、そのせいだ。
領地には金になるものがたくさんあるはずなのに、それがないのは、クーナの父のレイリア伯爵が、心の病を患ってしまったからだ。
レイリア伯爵は、クーナがいなくなってからというもの、ふさぎこんでしまっていた。ろくに仕事もせず、部屋にこもってばかりいるそうだ。
「旦那様にも困ったものよねぇ」
「ま、一番の問題はアニエス様だけどね!」
アニエスは当たり散らす先がなくなったせいで、今度は使用人に当たるようになっていた。
ドレスを買えなかったせいもある。
けれど一番は、結局、アニエスが恋煩いをしていたロイも、クーナがいなくなったところで、アニエスに見向きもしなかったことだろう。
アニエスはクーナの婚約者のことが好きだったのだ。
本人は姉だから、という理由でクーナが婚約者に選ばれたと思ってずっと悔しがっていた。
けれどクーナがいなくなっても、婚約者にはなれなかった。
それどころか、レイリア伯爵は怒って、ロイのグラード伯爵との縁談自体、もうなかったことにしたようなのだ。
「ねえ、でも聞いた? クーナ様が生きてるかもって噂」
「え、本当?」
「それがね……」
メイドの一人が耳打ちしようとしたところで、年配のメイドが話を遮った。
「よしなさい。もしも生きていたとしたら、なんだというの? 一度殺した娘を、まさかまた取り戻したいというのではないでしょうね?」
「まさか、そんな……」
若いメイドたちは、首をぶんぶんと振った。
「なぜ、なんのために? もう一度召使としてこき使うため?」
「めっそうもない。私たちはただ、噂をしていただけで……」
「もうその話はおやめなさい。クーナ様を、もう、自由に……」
年配のメイドは、ぽつりとそこで言葉を止めた。
「メイド長?」
「……ねえ、気のせいかしら?」
「え?」
「今、アニエス様から、何か黒い靄が……」
年配のメイドは、目をこすった。
「いえ、私たちには何も……?」
「……そうね。今のは気のせいだったわ。それよりあなたたち、花瓶のお花を変えなさい。またいつもみたいに枯れているじゃないの」
「えっ? うそ」
若いメイドの一人が、驚いたように口元に手を当てた。
「さっき変えたばかりなんですよ」
「うそおっしゃい。枯れてるじゃないの。それともわざと枯れた花を飾ったのではないでしょうね!」
「いいえ!」
メイド長はしっかりしなさいと若いメイドたちを散らした。
「……まったく。でも確かに、最近お屋敷の花が、すぐに枯れてしまうのよね」
そう言って、ため息を吐く。
「……ずうっと濁っていた空気が、今になって影響したみたいだわ」
メイド長は、この家で唯一、クーナに優しくしていた人間だった。
だから、クーナが亡くなってから、もうこれ以上彼女の魂を汚すのはやめろと、よくこの屋敷でも注意していたのだ。
「……ごめんなさい、クーナ様」
メイド長はよく知っている。
──クーナは道具だった。
クーナより不幸な女の子はいない。
でもそれは彼女が亜人として生まれたからだ。
亜人だから悪いのだ。
亜人は劣っている。
亜人は悪いことを企むから、亜人が犯罪にあっても、それは冤罪だ。亜人はうそをつく。
でも亜人は綺麗だから、そばにおいておきたい。
亜人なら支配してもいい。
亜人は人間に従うべきだ。
それが持ってうまれた役割だ。
ひどく歪んで、濁りきったものが、この家に漂っている。
メイド長はそう思った。
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