カーバンクルが消えた国 ※SIDE:アルーダ国
「……あれで、本当によかったのだろうか」
アルーダ国。
昼下がりの貴族学院にて。
クーナの元婚約者であるロイ・グラードは、成績優秀者のみに与えられる特別研究室で、ぼうっと窓の向こうをながめていた。
クーナが『魔の森』へ追放されてから、もう十日以上がたっている。
あれから、クーナは消息を断った。
数日後にロイの従者が、クーナの放り出された場所を確認しにいったが、そこには誰もいなかったのだという。
「しかし、これは……」
ロイの机の上には、壊れた魔道具がのっていた。
手足を拘束するための、罪人用の魔道具だ。
従者が森で拾ってきたらしい。
これはクーナが身につけていたものではないのか?と。
彼女は非力だ。
こんな強力な呪いがかけられた魔道具を、一人ではずせるわけがない。
「クーナ……」
どうしてだろう。
あの日、騎士団長の息子ガルドに取り押さえられた時の、クーナの瞳が忘れられない。ロイを見たときの、あの失望したような目。ロイはあの目を思い出すたびに、心が傷つくような気がしていた。
ロイの婚約者、クーナ・レイリア。
真っ白な髪としっぽを持つ、獣人族の少女。
本当はただ、投獄して、反省させるだけのつもりだった。
ちゃんと反省できたなら、正妻にはせずとも、愛人として囲ってあげようと思っていたのに。
親がもちかけた縁談だったけれど、ロイはクーナのことが気に入っていた。レイリア家のもうひとりの娘アニエスは強欲で、癇癪持ちで、ロイとは気が合わなかった。けれどクーナは従順だったし、優しくて、文句も言わなかった。
なによりも、見たことがないほどその姿は愛らしく、美しかったのだ。
アルーダ国では、獣人は下位の生き物として蔑まれている。
けれど亜人の女性というのは、得てして人間の女にはない美しさを持っていることが多い。
だから貴族の男たちは、亜人を差別しつつ、亜人の女を征服し、自分のものにしたがった。
具体的に言えば、愛人などにして、囲っていたのだ。
ロイもその魅力に気づいた一人だった。
クーナは小さく、真っ白で、儚げで。幻想的な美しさを持っていた。
だから獣人でも、魔力値が0でも、婚約者にしてあげたのだ。
適当に娶って、子供は別の女に産ませるつもりだった。
けれど優しいクーナと接するうちに、やがてそれは、本当の恋に近づいていたのかもしれない。
……クーナがいなくなってから、ずっとクーナのことを考えて、思い悩んでいる。
どうしたものかと机の上にあった魔道具をいじっていると、突然部屋のドアが開いた。
「ロイ様っ」
ノックもせずに入ってきたのは、キャラメル色のふわふわとした髪の、愛らしい少女だった。
「もう、ロイ様ってば、約束を忘れてしまったんですか? 今日はみんなで、お茶会をしようって言ってたのに」
少女はぷくっと頬をふくらませる。
「ああ……すまない」
少女──ハイル男爵令嬢メルティアは、とても無邪気に、身分差など関係なく、ロイにも接してくる。
それを不快に思う人々もいるのだろうが、ロイにはその無邪気さが好ましく思えた。貴族の令嬢にはない、もちろんクーナにもない、そのありのままの少女のような態度は、眩しくて、尊いもののように感じる。
市井育ちだったせいもあるのだろうが、もともとの天真爛漫さもあるのだろう。
愛らしいメルティアは、今現在、この国唯一の聖女として、学院に席をおいている。
──聖女。
それは百年前、この国を救った救世主だ。
百年前、魔素が大量発生し、国が魔物に蹂躙されてしまう大災害に見舞われた。
けれど人々が絶望の中にあったとき、神殿に一匹の獣が現れた。
神が遣わした神獣"カーバンクル"。
カーバンクルはその選定眼を持ってして、一人の少女を選んだ。
不思議なことに、選ばれた少女には強い癒やしと浄化の力が備わっていた。
少女は国中の瘴気をその癒やしの力を持って浄化し、国を平和へと導いた。
……という話が、しっかりと歴史書に記されている。
そして現在、アルーダ国は、謎の瘴気の多発現象によって、魔物が発生する異常事態に見舞われていた。
国の上層部は、歴史書を紐解いて、"聖女"の存在とカーバンクルの存在を確認し、ずっとそれを求めていた。
事実、それらの存在は歴史書にきっちり記されているし、カーバンクルというのも、実際にこの世界に存在する生き物だ。
ただしそれは、ダンジョンの深い階層でのみ、確認されている生き物だ。
アルーダ国にダンジョンはない。
そのため、普通はカーバンクルなど、現れるはずがない。
──けれどその生き物は、本当に現れたのだ。一人の少女を伴って。
「ロイ様?」
「……ああ、すまない」
じっと考え込んでいたロイは、メルティアに顔を覗き込まれて、はっと我に返った。
「最近ぼうっとしてますね。もしかして……クーナさんのことですか?」
メルティアは少し、眉を寄せた。
「いや……」
否定できない。
「……私も、魔物の森へ捨てるのはやりすぎだと言ったんです。でも、魔憑きになるといけないからって、エルがきかないから……」
「……ああ、よく分かっているよ」
「それにクーナさんって、ロイ様のことを拘束していたでしょう?」
こてん、とメルティアは首をかしげた。
「ロイ様はクーナさんとの時間をとられて、かわいそうでした。常に私のそばにいてくれるわけじゃなくて……私、寂しかったです」
くい、と制服の裾を引っ張られる。
上目遣いのその愛らしい顔に、ロイはくらっとした。
……そうだった。クーナは、メルティアを虐めていたのだ。
だからクーナは罰を受けるべきだった。
階段からメルティアを落とすなど、下手をすれば命を落としていてもおかしくなかった。
メルティア。
この国唯一の聖女。
彼女が足の折れたカーバンクルを抱いて、神殿にやってきたのは、今からちょうど一年ほど前のことだった。
"あの……この子が私のもとへやってきたんです。これって、神獣ですよね?"
そこからはもう、大騒ぎだった。
平民の、それも市井で育てられていた貴族の私生児が、"聖女"として選ばれたのだ。
メルティアはそれから間もなく男爵家に迎え入れられ、十分な教養を身につける間なく、そのまま貴族学院へと通うことになった。一刻も早く、聖女としての力を覚醒させるためだ。
教養や貴族社会などの常識は学院でつければいいと、彼女をサポートするための人員も選ばれた。
それがロイたち三貴人だったのだ。
「……すまない、メル。今は君を気遣うほうが優先すべきことだったな。俺の役目は、貴女を守ることだ」
「……いいんです。ただ、そばにいてくれれば」
そう言って、メルティアは儚げに微笑んだ。
二人が見つめ合っていると、再び研究室の扉が開かれた。
「おい、なにを待たせているんだ?」
乱暴に扉を開いたのはガルド。
その後に優雅に続いたのが、エルメキウスだった。
「あっ、ごめんなさい。今行こうと思ってたんです!」
メルティアは二人を見て、笑って手を降った。
「二人とも、のんびりしてるからね。それにしてもロイ、その机にあるものは一体なに?」
エルメキウスはめざとく、机の上にあった破壊された魔道具に気づいた。
ロイは言葉を濁したものの、黙っていても仕方ないと思い、素直にクーナのものかもしれないことを報告する。
するとガルドが眉を潜めた。
「おいおい、それじゃあなんだよ。あいつ、生きてるってことか?」
代々武官が輩出される生粋の貴族家のガルドは、亜人嫌悪が激しい。
顔を歪めて、吐き捨てるようにそういった。
「……いや、どうだろうな。少なくとも、あの森の奥に放置されて、クーナが生きていけるなんてことはないと思うが」
「そうとも限らないよ」
エルメキウスがポツリと言った。
「メルの浄化の件もあるからね」
そう言って、愛おしげに、メルティアを見る。
メルティアは照れたようにはにかんだ。
──魔物の森。
クーナが捨てられた森は、瘴気に侵され、魔物がよく出現することから、そう呼ばれていた。
けれどそう言われるほど瘴気に侵されていたあの森は、たった一晩のうちに、なぜか瘴気が浄化されてしまったのだ。
「私、願っていたんですよね、あの森が浄化されますようにって。やっぱりクーナさんのことが、心の中では気になってたんだと思うんです」
「メルは本当にすごいな。その気遣いも、魔を払う力も」
ガルドが笑って言った。
「まだ自分の力が不安定で……よく分かってないんです、どうしてあんなことができたのか」
魔物の森がたった一晩で浄化されてしまった件については、メルティアが聖なる力を発動させて解決したことになっている。
魔物の森で狩猟をしていた人々は、再びあの森へ入ることができるのを、大変喜んでいた。
「いいよ、ゆっくりで。時間はまだあるし、メルも疲れてしまうだろうからね」
エルメキウスはメルティアの髪をすくい上げて、そっと口づけを落とした。
メルティアの頬がぱっと朱色に染まる。
「もう、エルったら!」
「メルはなにも気にすること無いよ。心配事なんて、ないでしょう?」
エルメキウスがそう尋ねると、メルティアは少しだけ、顔を曇らせた。
「あの、エル。カーバンクルは……」
「ああ、大丈夫だ。引き続き捜索させている。が、神獣はただ、聖女を見つけるのが役割だから、天に帰ってしまったのかもしれないという意見も神殿からあがっていてね」
メルティアは、足の折れたカーバンクルを伴って、神殿にやってきた。
けれどカーバンクルは逃げ出そうとするので、ずっと銀の小さな檻に入れて管理していたのだ。
それが先日、カーバンクルは檻の中からすっかり消えてしまった。
メルティアはそれを心配しているのだった。
「そう、なんですか」
「ああ、だからメルはなにも心配しなくていい。さあ、いこう」
エルメキウスがそう催促して、一行は研究室から出る。
メルティアを中心に、三貴人がまるで騎士のように、彼女を囲み、守る。
メルティアはまるで、お姫様のようだった。
◆
学院の中庭。
花の世話をしていた令嬢が、ふと、花壇の一角を見て、眉を潜めた。
「ねえ、見て」
「あら……」
「花が枯れているわ」
そう言って、如雨露を手にしたまま、ため息を吐く。
「なんだか最近、学院中のお花が、元気ないのよね」
「何かよくないことの前触れじゃなければいいのだけど……」
ぽつりとそうつぶやくと、枯れた花の一つがかしゃりと、地面に落ちて粉々になった。
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