迷宮の国グランタニア

「クーちゃん、はい、あーんして」


 柔らかく煮込まれた、たまごの良い香りがする粥を口に運んでもらう。

 恥ずかしいけれど、自分でやろうにもうまく体が動かない。

 わたしは給餌を待つ鳥の雛のように、口を開けた。


「おいしい? 熱くないかしら」


 温かなたまご粥は、ふんわりと優しい味がした。

 飲み込むと、体がぽかぽかと温かくなる。

 こくん、とうなずいて、ちょろりとしっぽをふれば、ルーリーは嬉しそうに微笑んで脱力した。


「あああ……かわいい……かわいすぎるわ……」


 ここ数日、ルーリーはずっとこんな調子だった。

 どうやら彼女は、白狼族の女の子を、見たことがなかったらしい。

 確かにアルーダの国でも、亜人は絶滅の一途をたどっていたと聞いていたけど、それにしても褒め過ぎだと思う……。


「……ルーリーさん、ありがとうございます」


「だからルーリーでいいのよ。みんなそう呼ぶから」


「……ルーリー?」


「そうそう、それでいいの」


 ルーリーは満足げにうなずいた。


「クーちゃんはけが人なんだから、そんなに気を使わなくていいのよ」


「でも……」


「それにクーちゃんの世話をするのは、とっても楽しいもの」


 ルーリーはにこっと微笑んだ。

 彼女はお姉さん気質で、見ず知らずの他人であるわたしにもとても優しかった。

 ベッドで眠っていたルルが、くわっとあくびをする。

 ……すごく平和な光景だ。


 わたしがここで目覚めてからはや数日。

 ルーリーはまだ体調が整わないわたしのために、こうやって毎日お世話しに来てくれる。

 なんだかまるで別世界へ来てしまったようん、そんな感じがする。

 いや、実際、それに近い状態にはなっているんだよね、実は。


「ちょっと換気しようか。窓、あけるけど、大丈夫?」


 わたしはこくりと頷いた。

 ここ数日、窓の外を見るのが楽しみになっていた。

 ルーリーはカーテンをタッセルで留めると、窓を開け放つ。


 ふわりと涼しい風がわたしの頬に触れた。

 窓の外には、自由な世界が広がっていた。


「はぁ。今日も迷宮馬鹿たちがうるさくしてるわね!」


 ルーリーは腰に手を当てて、ふうと息を吐いた。


 ──グランタニア。


 ルルの不思議な力によって、わたしが転移してきたこの国の名をそう呼ぶ。


 グランタニアはアルーダ国の西方、大陸の半分ほどを占める、人間も亜人も混じり合って発展してきた大国だ。

 国中に点在する迷宮ダンジョンと呼ばれる不思議な洞窟から採掘される遺物によって国は非常に繁栄している。


 迷宮はまるでそれ自体が生き物のように、魔物や宝物を洞窟内で生み出し続ける。

 ほうっておけば魔物が溢れ、大変なことになってしまうけど、一方で魔物は様々な品に加工することができるし、迷宮の中では宝物が常に生み出されている。

 この国の人たちはそんな迷宮を利用して、商売をしているのだ……と、貴族学院で習ったことがある。


 窓の外は、すごい活気だった。

 わたしが今いる建物──冒険者ギルド『銀狼王の盾』は少し小高い場所に位置している。

 だからここからだと、賑わう街がよく見えるのだ。


 そうそう、ルーリーに教えてもらったんだけど、冒険者ギルドっていうのは、迷宮へ挑み稼ぎを得る「冒険者」たちが、相互補助するための組合のことなんだって。


 銀狼王の盾は、最高ランクの魔導師シモン・リグがギルドマスターを務める、国内有数の巨大ギルド施設……であるらしい。


「る〜」


 窓の外を眺めていると、ルルが起き上がって、ぴょこんと窓枠に前足をかけた。器用に縁を越えて、外へ出ようとする。


「ルル、気をつけてね」


「るん」


 その後ろ姿に声をかけると、ルルはしっぽを振って肯定してから、ぴょんと外へ飛び出していった。

 心配しなくても、ルルは夜になったら帰ってくる。

 どこから持ってきたのか、小さな果物とか、お花とかをくわえて。

 ルルなりのお土産みたい。


「それにしても、珍しいわね。カーバンクルが人間に懐くなんて」


「そうなんですか?」


「ええ、そうよ。わたしもね、ずっと冒険者やってたけど、カーバンクルなんて生き物、見たことがなかったもの」


 ルルの正体。

 わたしは全然知らなかったんだけど、実はカーバンクルっていう珍しい生き物なんだって。

 普段は迷宮の奥深くにいて、その姿をめったに見せないらしい。


「だけどカーバンクルって姿が一つじゃなくって、いろんな姿をしているのよ」


「一つじゃない?」


「ええ。一説によると、大人になったら、竜のような姿になるとも言われているわ。多分ルルはまだ幼体だから、"進化"すれば、さらに姿が変わるんじゃないかしら」


 すごいなぁ。

 ルルってば、やっぱり普通の生き物じゃなかったんだ。


「それにカーバンクルは、自分が気に入った人の願いをなんでも叶えてくれるって言うし。本当にすごいことなのよ、カーバンクルがなつくって」


 イマイチぴんときていないわたしを見て、ルーリーは苦笑した。


 だけどわたし、ルルとは森で出会っただけだ。

 それに名前をつけたけど、別にルルはわたしのものじゃない。

 なぜか一緒にいてくれるけど、勝手に出かけたり、戻ってきたりする。

 なんというか……気まぐれな同居人って感じなのかな。


「だって、そうでしょう。クーナちゃんがここへ来たのは……」


 そこまで言って、ルーリーははたと言葉をとめた。

 それから心配そうに、わたしを見る。


「ごめんなさい、嫌なこと言っちゃったわね」


「……いえ、大丈夫です。わたし、ここへ転移してくることができて、本当によかったです」


 カーバンクルは、どうやら強い魔力を持っていて、気に入った人の願いを叶えてくれるらしい。

 わたしがルルに願ったこと。

 それは、あの場所ではない、どこかへいきたいということ。

 ルルはそれをきっと、叶えてくれたのだろう。


 わたしは気絶してしまったあと、どうやらアルーダ国内から、隣国のグランタニアに転移させられたらしい。

 銀狼王の盾があるこの街フィーナルダットの、なんと川辺で発見されたんだって。

 たまたま通りかかった冒険者ギルドの職員さんがわたしを発見して、ここまで連れてきてくれたそうだ。


 お世話になっているのに、わたしはまだ、ルーリーたちに自分の事情を話せないでいる。

 どうやらあの婚約破棄事件は、自分の中で思っていたよりも、傷になってしまっているようだった。


 わたしを蔑むロイ様の顔も、聖女様の顔も、忘れられそうにない。

 今も思い出すだけで、指先が冷たくなる。

 だからわたしはまだ、自分の事情をみんなに話せないでいた。

 それでもルーリーは気を使って、深く事情を訪ねてはこなかった。


 ルルが願いを叶えてくれたことは、奇跡みたいなことだ。

 けれどそれ以上の奇跡は、獣人の、それも見ず知らずのわたしを、このギルドの人が受け入れてくれたということだろう。


 ルーリーもシモンも、医者のおじいさんも、とっても優しい。

 どうして獣人のわたしにそんなに優しくしてくれるのか、不思議でならない。

 彼らはわたしに、事情を深くきかない。

 得体もしれない獣人の女を匿うだけなく、気まで使ってくれているのだ。


 どうしてそこまでしてくれるのかな。

 怪我もひどくて、一人でどうすることもできず、結局ギルドの好意に甘え、この部屋で看病してもらっているのが、申し訳ない。


「クーちゃん、ほら、デザートもあるのよ」


 ルーリーはニコニコ笑って、わたしにスプーンをさしだす。

 初めて触れたその優しさに、わたしは申し訳なさと、それでいて、心地よさを感じていたのだった。

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