第一章 冒険者ギルド『銀狼王の盾』

冒険者ギルドに保護されました。

 レイリア家のお屋敷。私がまだ、小さかった頃の話だ。



「お母様、またクーナがわたくしのバレッタを取ったの。わたくしが持っているものが綺麗に見えるから、よこせって」


 そう言って、義妹のアニエスがお義母様に泣きつく。


「まあ! これだから人間じゃない"犬混じり"は嫌なのよ。人間のものを取ってどうするつもり? さっさと返しなさい!」


 義妹は、自分で髪飾りを無くしたのに、それをわたしのせいにした。

 わたしは髪飾りなんて買ってもらえなかったし、もしもつけていたとしたら、きっと犬には似合わないとか言われて、義妹に取り上げられていただろう。

 だから絶対に髪飾りなんて、とってないのに……。


「わたし、なにも取ってません、お継母様……」


「嘘をついてはいけませんよ。人間のアニエスが嘘をつく訳ないでしょう?」


 お継母様は綺麗で、立派な女性だとみんなが口をそろえて言っていた。

 貴族の令嬢としてきちんとしつけられて育った、素晴らしい女性だと。

 人間主義を貫く貴婦人だと、周りはお継母様のことを、褒め称えていた。


「はぁ。髪も真っ白、犬の耳としっぽもある。人間からかけ離れたあなたを、こうして家に置いてあげるだけ、幸せなのよ。あなたは世間知らずだからわからないと思うけれど、私はとても優しいの」


 ……この国では、髪色は黒に近いほど、高貴で美しいと言われている。

 また、髪の色が濃いほど、魔力値も高いのだそうだ。

 黒や茶色が主流で、ときどき金色の人もいるけれど、わたしのように真っ白な髪を持つ女の子は、見たことがない。


 けれどわたしは"白狼族"と呼ばれる獣人種なので、生まれつき色素が薄くて、顔つきもうすぼんやりしている。

 そのかわり、足腰が丈夫で、誰よりも早く走り、瞬発力も高いと言われている。


 けれど貴族令嬢に体の丈夫さやすばやく動ける力なんか、必要ないらしい。

 だからわたしは苦しいコルセットや、高いヒールで動くことを強制されている。服はボロボロのものしか着せてもらえないのに、いつも走り回らないようにきつくコルセットを締められ、歩きにくい靴を履かされていた。


 こんなもの、どこかに捨てて、本当はのびのびと走り回りたかった。


 ……お母様が生きていた頃は、それが許されていたのに。


「はぁ。あなたは罰を受けるべきね。今日は一日、使用人たちを手伝いなさい」


「……」


 お継母様はそう言って、ため息を吐く。

 すると部屋にいたメイドたちが、わたしを見てクスクスと笑った。


「馬鹿よね、せっかく奥様が御慈悲をくださったのに」


「わたしたちだって、犬に使えるなんて嫌よねぇ。奥様がこの家に来てくださって本当によかった。前妻様はねぇ……」


「ああ、人間に生まれて本当によかった。獣人に生まれるなんて、前世はどんな罪をおかしたのかしらね……」


 わたしが、悪い子だから、そう言われるの?


 だけどわたし、うまれたときからずっと、髪は真っ白だったし、狼の耳としっぽがついていた。

 それに本当は走り回ることが大好きだった。それはどうしようもないことだ。


 最初から、わたしは悪い子だったの?


 ねえ、誰か教えて。



 わたしは、狼の耳としっぽがあるから、悪い子なの──?



 ◆



「る・る・る〜♪」


「あっ、だめよ顔の上で寝ようとしちゃ。この子、息ができなくなっちゃうわ」


「るう!」








 ……?


 なんだろう、な、なんか、顔にもふもふしたものがのっているような……。


「……?」


 なんだか悲しい夢を見ていた。

 けれど顔に何か重量を感じて、意識がふわっと覚醒した。

 目を開ければ、ピンクのもふもふが視界を埋めている。

 

 ……え? 

 なにこれ……。


 っていうか、息がしずらい……


「だめだったら……って、まあ!」


 もふもふがパッと離れた。

 かわりに目に写ったのは、見知らぬ白い天井。


 自分が一体何をしていたのか思い出せなくて、ぼんやりと瞬きをした。

 体の感覚もはっきりしない。

 なんだか、薄い膜を一枚通して、外の世界を見ているみたい。

 

 ここは……わたしは、いったい……?


 ぽやっとしていると、突如、視界に美しい女性の姿が現れた。


「目が覚めたのね!」


 軽やかな女性の声が、わたしの耳に届いた。

 見たこともないほど鮮やかな薄桃色の髪が眩しい。

 瞳も輝くような若葉色で、なんとなく人間ではなさそうだと感じた。

 耳が少し尖っているせいかな?

 

「よかった、本当によかった!」


 女性は涙ぐんでいた。

 よかったよかったと、何度も繰り返す。


「ギアがつれてきたときはもうだめかと思ったのよ。目を覚ましてくれて、本当に嬉しいわ」


 そう言って、女性はわたしの手を握ってくれた。

 ……この人は誰なんだろう? 私はどうしてここにいるの?


「るう!」

 

 さらにわたしをのぞきこむのは、フェネックのような生き物。

 あれ、確かルルって名前つけたんだっけ……。

 わたしは森に捨てられて、ルルに出会って、それで……。


「るうるう!」


 いたっ!

 ちょっと、顔を肉球で押さないで……。

 なんとか声をあげようと、乾いた感覚の鈍い唇を動かした。


「……あ、ぅ」


 けれど口を動かしても、かすれた声しか出てこない。

 ひどく喉が乾いていた。


「ん……」


 つ、辛い……!

 一度乾きを意識すると、たまらなく水が欲しくなる。


「どうしたの? 苦しい?」


 ベッドの横の小棚に、水差しがおいてあるのを発見した。

 どうしてもそれが欲しくて見ていると、桃色の髪の女性は察してくれたようだった。


「喉が乾いたの?」


 わたしはこくんと頷いた。


「ごめんね、もう少しだけ待ってね、今ギルドマスターを呼ぶから」


 女性は部屋にあった魔導通話機をとって、早口に話しかけた。


「シモン! シモン、早く来て! あの子の目が覚めたのっ!」


 その間にもルルは体をわたしの頬に押し付けてくる。

 るうるう鳴いて、ご機嫌そうだ。

 その声に、なんだかひどくホッとしてしまった。


 女性が通話機をおいてしばらくしてから、部屋に人が入ってきた。

 背の高い、穏やかな雰囲気を纏う男性だった。

 肩より少し長いくらいの真っ白な髪を一つにしばり、同じく真っ白なローブのようなものを着ている。

 片眼鏡の奥にある灰色の瞳は、理知的だった。

 人を導く立場にある人なのだと、なんとなく分かる。

 

「ああ、よかった。無事に目を覚ましたんですね」


 ギルドマスター、またはシモンと呼ばれた綺麗な男の人は嬉しそうに目を細めて、わたしを見た。


「水を飲みたがっているの。手伝ってくれる?」


「ええ」


 シモンはわたしの上半身をゆっくりと起こしてくれた。

 そして、唇にコップを当ててくれる

 ひんやりした硝子の感覚が心地よかった。

 わたしは弱々しく、水を口に含んだ。


「落ち着いて。ゆっくり飲むんだよ」


「ん……」


 乾ききった体に、水がじわじわと染み渡っていく。

 水って、こんなにおしかったんだ……。

 こくこくと必死で飲んでいるうちに、だんだんと意識がはっきりしてきた。

 感覚も戻ってきたような気がする。


「はぁ……生き返った……」


「よかったです。さあ、横になって」


 水を飲み終えると、再びベッドに横にしてもらう。

 すると今度は、ズキズキと全身に痛みを感じ始めた。


「うう……」


 身体中が痛い。

 なんでこんなに痛むんだろう?


「痛みますか?」


 シモンはわたしの痛みを察してくれたらしい。

 こくん、と素直にうなずいた。


「治癒魔術は被術者の体力を消耗させますから、もう少し回復してからでないと……申し訳ないですが、私の感覚阻害でごまかしましょう」


 かわいそうに、と呟いてから、シモンはわたしの額に手を乗せた。


「感覚を鈍らせます。ルーリーはあとで鎮痛剤を飲ませてあげてください」


「分かったわ」


 桃髪の女性はルーリーというらしい。

 ルーリーは固唾をのんで、わたしを見守ってくれた。


 シモンはなにか、わたしの額にあたたかな光のようなものを流し込んだ。

 それが心地よくて、目を細める。

 痛みがだんだん引いていく。

 それと同時に、意識も靄がかかったように、うすぼんやりとしてきた。

 けれどここで寝るわけにはいかないと必死で瞬きしていると、シモンが微笑んだ。


「大丈夫。もうあなたに危険が迫ることはないから、また眠ってもいいんですよ」


 優しく額を撫でられた。

 そんなことをされると、本当にまた眠ってしまいそうになる。


「あ、の……ここは? わたしは、いったい……」


 ぼんやりとした意識の中、必死で疑問を紡ぐ。

 わたしはルルに出会って、そしてルルの水晶に吸い込まれたと思った。

 てっきり、ルルに魂を食べられたのかと思ったけど……。

 だけどなんでか、わたしはまだ生きてるみたい。


「安心して。ここは冒険者ギルド『銀狼王の盾』よ。ここにいれば、なーんにも、あなたを脅かすものなんてないから」


 ルーリーが胸を張って言った。


 ……冒険者ギルド?

 聞き慣れない単語に、わたしは必死で頭を動かした。


 冒険者ギルドってなんだろう。

 アルーダ国にそんなのあったっけ。

 いや、でも聞いたことあるような、ないような……。


「冒険者ギルドっていうのは、ダンジョンに潜る冒険馬鹿たちのことよ。もしかしてあなた、この国の生まれではないの?」


「ダンジョン……?」


 ダンジョンって、なんだっけ。


「珍しい種族だから、てっきりグランタニアのどこかから旅でもしてきたのかと思ったけど、違うのかしら。カーバンクルも連れてるみたいだし……」


「わたし……」


 ぐらんたにあ……?


 かーばんくる?


 聞き慣れない単語に頭がぼうっとして、眠くなってきた。


「ルーリー、今はもう少し、眠らせてあげましょう。まずは体力を回復させてあげないと」


「そうね。ごめんなさいね、騒がしくしちゃって」


 ルルがわたしのほっぺをぺろ、と舐めた。

 くすぐったい。だけどやっぱり、安心する。


「今は眠るといい。起きてから、事情は詳しく話すことにしよう」


 シモンに再び額を撫でられて、わたしはあっさりと眠りに落ちてしまった。

 だからルーリーのつぶやく声は、聞こえなかった。




「ねえシモン。カーバンクルが人になつくことって、あるの?」


「……私も初めて見ましたねぇ」


「カーバンクルなんて伝説の生き物を連れて……この子、いったい何者なのかしら……? もしかして凄腕の冒険者? それとも…まさか、聖女様、だったりして」


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