もふもふ生物あらわる!


「きゅるぅ」


「……?」


「るーるるぅ!」


 る、るぅ?

 一体、このかわいい鳴き声はなに……?

 

「ほえ……?」


 いつまで待っても、痛みとか、衝撃とかはやってこない。

 それどころか、やってきたのはかわいい鳴き声。

 わたしはぎゅっとつぶっていた目を、ゆっくりと開けてみた。


「……?」


「る?」


 えっ、な、なにこれ……?


「るぅ!」


 わたしは目の前にいた生き物を見た瞬間、体から力が抜けてしまった。

 相手も小首をかしげて、こちらを見ている。


「これはいったい……」


 茂みから飛び出してきた生き物。

 それは、ウサギのように耳が大きくて……それでいてキツネのような体としっぽを持つ、小さなふわふわとした生物だった。


 うーん、なんだろう。

 昔図鑑でみた、確かフェネック? だっけ、あんな感じの見た目をしていた。

 目が零れ落ちそうなほどに大きくて、うるうるしてる。

 けれど普通の生き物と違って、体毛はふわふわとした淡桃色。

 そして額には、大きな真紅の宝石のようなものがひっついていた。

 その宝石の中では、炎のようなものがゆらゆらと揺らめいている。

 どうしてか分からないけれど、体はキラキラとした光を纏っていた。


「る?」


 ふわふわは、こちらを見て首をかしげる。

 そして鼻をひくひくさせると、ゆっくりと近づいてきた。


 あれ……なんだか四足歩行なのに、歩き方が変だ。

 怪我してるのかな。


「きゅるるぅ」


「……もしかして、あなたは魔物? 怪我してるの?」


 こんな状況なのに、のんきにそんなことを聞いてしまう。


「きゅう」


 驚いた。

 もふもふはこくん、と頷いたのだ。

 まるでわたしの言葉が理解できるみたい……。

 

「……わたしと一緒だね。わたしも足、怪我しちゃって」


 よく見たら、もふもふの右前足は、変な方向に曲がっていた。

 きっと折れてしまったのだろう。

 親とはそのせいで、はぐれてしまったのかもしれない。


「きゅるぅ?」


「何かしてあげられたらいいんだけど……でもごめんね。こんなだから、ダメだ」


 手が拘束具のせいで、自由にならない。

 強力な魔術がかかっているとかで、外せそうもなかった。


「る!」

 

 もふもふは、足を引きずって、こちらへやってきた。

 どうやら警戒心が低いらしい。

 それからちょこんと、黒い鼻をわたしの手錠へとひっつけた。


 ──ガシャン。


 ……んん?

 今なんか、金属音が……


「って、ええ!? うそ、外れてる!?」


 なにこれ! 

 驚いたことに、ふわふわ生物が触れた途端、手錠ががしゃりと音を立てて地面に落ちた。もちろん、手は自由になる。

 さらにふわふわは、足の枷にも鼻をちょこんとつける。

 そして同じように、足枷も外れる。


「な、え、なにこれ?」


「るん!」


 ふわふわはわたしのもとへスリスリとすり寄ってきた、

 やわらかな体毛がくすぐったい。

 特に胸毛?なんかはもっふもふだ。


「壊れてたのかな……」


 でも、牢屋にいたときは何回引っ張っても、壊れなかった。

 それに手と足の枷が同時に外れるなんてこと、ある……?


「やっぱり、あなたのおかげ……?」


「るぅ!」


 ふわふわは、足が痛むだろうに、嬉しそうにしっぽを振った。


「あ、そうだ……」


 わたしはボロボロの服を破いて、そのへんに転がっている頑丈そうな木の枝を探した。まっすぐで、太い感じの、いい長さのやつ。


「ちょっとごめんね」


「きゅる?」


 足、折れちゃってるのかな。

 こんなのでよくなるかはわからないけど、やらないよりは、きっとマシだろう。


 わたしはもふもふの小さな前足をゆっくりと手にとった。

 それから枝をあてて、布を巻き、添え木にしてやる。 


 それにしても、クリームパンみたいな足……。

 こんなときに言ってる場合じゃないんだけど、おててとかあんよって表現したいような前足だ……。


「こんなことしかできないけど、きっとないよりマシだよ」


「るぅ!」


「うんうん」


 なんとなくありがとう、って言われてるような気がして、わたしは笑った。

 あれ……そういえばわたし、いつぶりに笑ったんだろう。

 なんだか久しぶりに、表情筋を動かしたような気がする。 


 ふわふわは、足をひきずって、わたしの膝の上に座った。


「……ふふ。かわいいふわふわ……」


 うーん、ふわふわって呼ぶのも、なんか変だな。


「そうだ、ルルって呼んでもいい?」


 るぅるぅ鳴くからという単純な理由だったけど、ふわふわよりいいだろう。


「!」


 ルルはぱっと目を見開いた。

 それからこくりと一つ頷く。


「じゃあ、ルルって呼ぶね。わたしを助けてくれてありがとう、ルル」


「るぅ!」


 ルルは甲高く鳴いた。

 ルルの毛を撫でていると、少しずつ、気持ちが落ち着いてくる。

 森は暗いけれど、ルルの額の宝石のおかげで、わたしたちのまわりだけは焚き火を燃やしたように、明るかった。それになんだろう。本当にぽかぽかとあたたかいのだ。凍死する心配はなさそう。


 木にもたれかかって、空を見上げる。

 わずかに見える空は、意外なことに、満点の星空だった。

 魔物の森って呼ばれてるけど、空はどこでも綺麗なんだね……。 


「……今すぐは無理だけど……わたし、なんとかこの森から、脱出したいの」


 気づいたら、ぽつりとそう呟いていた。

 もう何もかも諦めてたはずだったのに、明るさと暖かさを取り戻すと、少しずつ胸に希望のようなものが湧いてきたような気がした。


「る?」


「ほんとは……もうレイリアのお屋敷になんて戻りたくない」


 毎日お父様には無視され、義母と義妹にはひどいことをされる。

 学校に行けば少しはマシになるけれど、獣人だと蔑まれて、とても息苦しかった。

 優しかったお母さまとの思い出だけを支えに生きていた。

 だけどあの事件がなくたって、それだけが支えじゃ、きっといつか潰れていただろう。今がその時だっただけだ。


「わたし、あの場所でもない、ここでもない、どこか遠くへ行きたい。獣人のわたしでも、自由に暮らせるような……」


 ふいに、涙がこぼれた。

 この一週間、いろんなことがあった。

 牢屋でも泣いて涙は枯れたと思ったけど、やっぱりショックはまだまだ癒えていないようだった。


「るぅ」


「……ふふ、ありがと」


 ルルが、わたしのほっぺを舐めた。

 涙を拭ってくれたようだ。


「る」


「ん?」


 ぴょこん、とルルはわたしの膝を飛び降りる。


「どうし……」


 その瞬間、ぱあっと額の水晶が眩く光った。


「えっ!?」


 こ、今度はなに!?


「るうううううー!!!」


 ルルは力強く空に向かって咆哮を上げる。

 水晶の光はとどまるところを知らない。

 おまけに水晶はどんどん膨れ上がっていくではないか!


「きゃっ!?」


 驚く間もなく、わたしは突然、その宝石にぐいっと引き寄せられた気がした。

 思わず目をつぶる。

 すると次の瞬間には、どこまでも落ちていくような感覚に襲われた。


「なっ、きゃああああああ!?」


 いや、事実落ちているみたいだ。

 だって、キラキラ光る夜空の星が、どんどん遠ざかっていくんだもん。


 ──空だ。


 奈落の底へ吸い込まれるように、体はどこまでも落ちていく。

 

 ──空って、こんなに綺麗だったんだ。


 場違いにも、そんなことを思う。


 そして次の瞬間には、今度はわたしは水面に叩きつけられ、深くまで沈んでいた。

 感覚は死に、痛みをすでに感じない領域にまで体は達していた。


 ──苦しい。


 ただただ、そんな想いが胸を満たす。


 口を開けると、こぽりとあぶくが水面へ登っていった。

 水面はキラキラと、陽の光を受けて輝いている。

 あれ、さっきまで夜だったのに……。

 なんて、そんなことどうでもいっか。

 もうわけわかんないや。


 ──わたし、ここで死ぬんだ。


 ふいに、そんな想いがよぎった。

 やっぱりルルは、魔物だったのだろう。

 魔物は人を惑わして、魂を食べるっていうから。

 けれどルルを嫌いにはなれなかった。

 なんだか、初めて自分の心を打ち明けた相手だったように思えたから。

 こんなわたしの魂でいいのなら、ルルにあげる。


 最後に吐いた息は泡となり、水面にあがっていく。


 ──だけど。

 せめて……せめてあの家から開放されたなら、自分の好きなように、生きてみたかったな。

 おいしいごはんとか、甘いスイーツとか。食べてみたかった。

 窮屈なコルセットなんて捨てて、身軽な服で走り回りたかった。

 獣人とか、人間とか。

 そうじゃなくて。


 わたしは、わたしを見てほしかったんだ、きっと。

 

 ゆっくり、ゆっくりと水の底へ沈んでいく。

 最後に、自ら吐き出した泡がぱちりと弾けるのを見て、わたしは意識を手放した。


 ◆



 ──その願い、叶えてあげる。


 

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