思いがけぬ出会い


 翌日。

 冬の寒さが身を潜め、春の陽気が顔を出し始めたお昼過ぎ。

 俺は自転車をこぎながら、物思いにふけっていた。内容はもちろん、今日のホワイト・デーに関すること。


「あ~あ。結局、市販のクッキー買っちまったなー」


 昨日部活から帰ってきてすぐ、俺は慣れない手つきでクッキーを焼いてみた……のだが。不器用な俺は卵黄と卵白に分けるところから大苦戦。卵五個目でようやく成功したかと思いきや、予熱を忘れて上手く焼けず、リベンジ二回目は温度設定をミスって黒炭クッキーのできあがり。その後も、形は崩れるし、ひびは入るし、味はしないしで散々だった。やっとこさ八度目の正直くらいで食べられるものができたのだが、やっぱり自信はなく……。今日の午前中に近所のスーパーで、ホワイト・デー用のクッキーを買ってきたわけである。


「ほんと、家庭料理部で裁縫も料理もできるとか尊敬するわ」


 そしてもちろん、問題はまだある。


「あとは……どうやって渡すかな」


 今日は土曜日。今年はうるう年で二月の日にちが一日分増えるため、普通ならバレンタイン・デーと同じ金曜のはずなのに、一日ズレてしまっている。そのせいで学校はないし、当日に渡すには自分で機会を作るしかない。

 昨日、菊池は「約束してるんだろ」とか言っていたが、サプライズ的に渡したいと思っていたので、その手の話は全くしていなかった。チョコレートをもらっている友達のほとんどは学校がある昨日のうちに渡していたし、おそらく遠野……じゃなくて瑠香も、もらえるなら昨日のうちだと思っていたはずだ。

 なのに、もらえていない。おそらく、忘れてしまっているとか思っているはず。

 彼女を多少なりとも傷つけてしまうことにためらいはあったものの、普通以上に喜んでほしいのでこれくらいは仕方ない……と思うことにしていた。


「なんとか瑠香の部活が終わる前にミドルトレーニングを終わらせて……」


 信号待ちでそんな独り言を零しながら、渡す状況を脳内シミュレーションしていた時だった。


「あの、すみません。ちょっと道をお聞きしてもよろしいでしょうか?」


 声のした方を振り向くと、メガネをかけた温和そうな男性が立っていた。歳は、二十代後半から三十代前半くらい。土曜だが、スーツを着ていて、いかにも営業マンといった格好だった。


「はい。いいですよ」


 部活の集合時間まであまり時間はないのだが、道に迷っている人を放っておくわけにもいかない。俺は自転車から降りて、男性に向き合った。


「ありがとうございます。実は野々宮高校に行きたいのですが、迷ってしまいまして……」


「え、野々宮高校?」


 思わずオウム返しをしてしまった。というのも、野々宮高校は俺の通う高校だ。


「はい。私はそこの卒業生で、久しぶりに訪れてみようと思いまして。ただ、しばらく来ていない間にすっかり町の雰囲気も変わってしまい、スマホの電池も切れてこうして迷子に……」


 ただでさえ方向音痴なのに、と彼は苦笑した。その笑顔はどこか子どもっぽく、彼の陽気な印象をより際立たせていた。


「そうだったんですか。でも、自分野々高生でちょうど学校に行くので、案内しますよ!」


「あぁ、ありがとうございます。助かります」


 彼は深々とお辞儀をした。

 腰の低い人だな、と思った。同じ高校のOBにここまで畏まられると、体育会系のこっちとしても、なんだかむずがゆい。


「いえいえ。それより、同じ高校で自分は年下なんですし、敬語はいりませんよ」


「え、ああ。そうですか……じゃなくて、そうかい」


「ええ、そうです」


 そんなこんなで。俺は同じ高校のOB――長澤友樹ながさわともきさんと、肩を並べて歩き出した。


    ***


「僕が通ってたのは、もう十三年も前なんだ。部活が同じだった幼馴染と一緒に、君のように自転車で登校してたんだけど、すっかり街並みが変わっちゃっててびっくりしたよ」


 朗らかな笑みを浮かべつつ、長澤さんは辺りを見渡す。

 閑静な住宅街に、小さな公園。所々に雑木林があり、カラスやらスズメやらの鳴き声が静かに響いてくる。


「へぇー、そうなんですか。ちなみに俺は陸上部なんですけど、長澤さんは何の部活に入っていたんですか?」


「陸上かぁ、すごいなぁ。僕は完全にインドアでね。美術部に入っていたんだ。と言っても、デッサンが少しできるくらいであとはからっきしなんだけどね」


「いやでも、すごいですよ。俺は逆に絵とか、幼稚園児が書いた落書きみたいになっちゃうんで」


 この前の美術の時間。瑠香やその友達の藤宮たちとグループになり、描いた似顔絵で、大爆笑されたことを思い出す。藤宮には、「あんたの描画年齢は保育園児くらいだけど、愛が詰まってるね~」とか茶化されたっけな……あのやろ。


「まぁ、僕も最初はそんな感じだったよ。ただ、幼馴染に絵を褒められたことがあって、それから描くのが好きになったんだ」


 どこか昔を懐かしむような表情で、長澤さんは視線を青く広い空へと向けた。


「さっきから何度かお話に出てますけど、その幼馴染の方とは今でもよく会ってるんですか?」


 その視線が意味するところを汲み取れずに、俺は聞いた。


「いや……彼女は、亡くなったんだ。高校生の時に……。ちょうど、バレンタイン・デーの日だったな。高校の屋上から転落して、ね……」


    ***


 十五分ほど歩いて、俺たちはなんとか高校に到着した。


「じゃあ、ありがとうね。案内、助かったよ」


 会った時と寸分違わない微笑みを零して、長澤さんは来校者用の入り口に入っていった。あの話を聞いた後だからかもしれないが、おそらくあの笑顔はあの人の本当の笑顔じゃない。そんなことを思ったりもしたが、言えるはずもなく……。

 それからすぐ、俺は部活の集合場所へと走って向かい、顧問に事情を説明してからひとり遅れてウォーミングアップを始めた。


「よう、蔵本。遅かったな」


 ドリルトレーニングを終えた菊池が、俺の肩をこついてきた。


「ああ。ちょっと、人助けをしててな」


「へぇー相変わらず世話焼きだな……って、ん? どうした? なんかあったのか?」


 俺の態度の異変を感じたのか、心配そうな面持ちで、彼はそう聞いてきた。こいつはこういう時だけ、なぜかやたらと勘が鋭い。


「いや、なんでもねーよ」


 表情を取り繕い、俺はそれだけ言うと駆け出した。

 こんな時は、体を動かして忘れるのがいい。あの時も、そうやって紛らわせて、なんとか上手くいったんだし。


 腕を大きく、前へ、後ろへ。

 ……長澤さんの幼馴染は、バレンタイン・デーに事故で亡くなった野々宮高校の女子生徒で……。それなりに昔の出来事で、お菓子作りが、得意……。


 足首を意識し、ステップを小さく、大きく。

 ……どう考えても、下駄箱のカタワレチョコに出てくる女子生徒……だよな。特徴も、だいぶ似てるし。


「――おい、蔵本。体幹を戻せ」


 ……つか。そういや、菊池にあのチョコレート見られたんだよな。最後にカタワレチョコが見つかって、想いが伝わったから大丈夫だと思ってたけど……どうなんだろ。


「――おい、蔵本?」


 実際にそんな生徒がいたって聞くと、心配になってくるな……。てか、あの人はこの噂知ってんのかな……。聞いたらショックだろうな……大丈夫かな――


「――こらぁ、蔵本! 聞いてんのか⁉ 体幹が曲がってるぞ! やり直せ!」


 考え事の間に、顧問の怒号が割り込んできた。


「す、すみません!」


 いろんな懸念が、頭のあちこちで渦巻き始めていた。

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