第23話 お礼参り

「一体どんな和妻てじなを使ったんだい?」

 自宅の居間で、銀次は唸り声をあげた。治を取り返し、白ヒルを嵌める。半次の仕事の手際良さに心底驚いていた。

「特別な事はしていませんよぉ。海軍族議員さんが警察署に入って、鞄の中身を確認した頃合いに電話を入れただけです」

「それだけで、どうしてこんなに上手く話が回るんだい?」

「お願いを2つしただけですよぉ。治と機密書類の交換が一つ。もう一つは白ヒルを懲らしめる話です」

 半次は立てた二本の指を、閉じたり開いたりして微笑んだ。



 浅草七軒町署内の呼び出された電話の前で、大物海軍族議員は嫌な汗を手巾ハンカチで拭いていた。

「鞄を置き引きされた代議士せんせいですかぁ?」

「君は誰だね」

「書類の一部をお預かりしている者です。大変な機密ですねぇ。政友会にでも渡ったら、内乱クーデターが起きかねませんよ」

「そんなことは分かっている。 ……金が必要なのか?」

「お金はいただけません。大体、幾らの値段が付くか、想像も付きませんしねぇ。書類と捕まっている子供の交換をお願いできますかぁ」

「そんな卑怯なことが出来るか!」

 思った通り拒絶された。それでも半次は怯まない。

「まぁ、アタシの話を聞いてください」


 半次は白ヒルの悪辣さを伝えた。奴の悪事の百分の一でも話せば、代議士の正義感を刺激するのに十分だった。さらに治たちの境遇を話した。社会から弾き出された彼らが生き残るために、人様の物に手を懸けていたのは仕方ない事だったのだ。


「君の言い分は分かった。私からも要求がある」

「何ですかぁ」

「六名の子供たちを正業に付けなさい。働けない幼い子は私が引き取る」


 息を呑む半次。思わず持っていた受話器を見つめ、ため息をついた。


「……政治家にも大した御仁がいらっしゃるのですねぇ。確かに承りました。この後の段取りですが……」

 治と白ヒルを海軍省へ連れて行くこと。その後、白ヒルだけを返すこと。合図をしたら白ヒルを捕まえて、身体検査を行うことを指示した。事が全て終わった後、治を裏口から一人で返す事も依頼する。


「半次が私に頼んだことを、代議士も考えたのだね」

 子供達の里親を見つけ、その手配を終えた銀次は確認する様に独白する。もちろん件の孤児院のような所ではなく、全て養子先だ。今まで通えなかった学校にも行ける様になるだろう。

「昔の知り合いに、それとなく聴いたのだが、お前の思惑通り白ヒルは懲戒免職になったよ」


 厳しい取り調べの後、白ヒルの身柄は海軍省から麹町区にある警視庁へ移送された。海軍省と警視庁の上部組織である内務省との折衝の結果、置引事件全ての事が無かったことにされた。

 ただし、海軍族議員の強固な主張で、白ヒルの免職が決定した。その結果を聴いた瞬間、白ヒルは着の身着のままで東京市を脱出したらしい。

 通常このような人事は、機密という高い壁に阻まれて一般には知られない。しかし銀次の豊富な人脈は、その壁を楽々と乗り越えるのであった。


「今、奴が何処にいるかは分からない。しかし一生逃げ回れる人間など、いやしない」

 北は東北から南は東海地方まで、鉄道列車内を主な縄張りとしている銀次は、凄みのある笑いを浮かべた。この時代、歩いて移動するなら別だが、鉄道を利用せずに長距離を移動することなど叶わない。

「白ヒルは逃げ切れない。助けてくれる人なぞ一人もいない。持ち金が無くなり、泊まる場所すら無くなる。足音に怯えて、グッスリ眠ることもできない。すぐに殺された方が、きっと楽だろう」

「……碌な後生じゃないですねぇ」


 思わず半次は悪寒を覚え、身震いをした。

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