第20話 子犬の意地
「……というわけで奴には、関わらない方が良いですねぇ」
浅草の犯罪者にとって白ヒルは鬼門だ。子供だけの集団など、あっという間に骨までしゃぶられてしまう。
「上納金を収めれば、お目こぼしもあるようですけど」
「白ヒルの名前さえ知らないのに、そんな仕組みに乗っている訳ないでしょ。それに余分なお金なんてないわよ。 ……私、女給をしようとしていたのよ?」
「それもそうですねぇ。少なくとも七軒町界隈で仕事をしない方がいい。見つかった時に逃げきれない」
「言われなくても、家の近くで仕事をしたことなんてないわ」
美子は鼻を鳴らす。更に余計なお世話を焼いてしまった。半次は腰を上げる。
「これは失礼しました。それじゃ私は、この辺りで……」
バタン!
長屋の引き戸が大きな音を立てる。良子と呼ばれていた少女が飛び込んで来た。タタキで半次に身体ごとぶつかる。しかし良子は、それどころでは無いらしい。乱れた息のまま、叫んだ。
「ミコネー。大変!
下谷のバラックの入り口前で、子犬のような少年が泣いている。その横に、背広姿の男が面倒臭そうに立っていた。近くにいる制服姿の巡査は、近所の聞き込みを行なっているようだ。
「警部。やはりこの子は、ここに住んでいる子の様です。ただ、子供たちは数日前に引っ越したようですが」
「悪ガキ供が屯して暮らしているって? 碌でもないな。大方このガキは、仲間から捨てられたのだろう」
ガザッ
美子たちしか知らない、バラックの隠し部屋である。隠し部屋は玄関から気づかれないように、裏口から出入りできるようになっていた。そこから飛び出そうとした彼女を、半次は慌てて抱き止めた。闇語りで話し始める。
「出て行って、どうするつもりです?」
「治には私たちしかいないの。助けなきゃ!」
「そうは行きませんねぇ。あの背広は白ヒルだぁ」
悔しそうに唇を噛む美子。白ヒルは火のついた煙草を弾き飛ばす。
「こんなガキが
「いきなり逮捕ですか。 ……この子、どうなりますかね?」
「俺の知った事か! 鞄のあり方も吐かせなきゃならない。手間の割に一銭にもならん」
半次の腕の中で、怒りのために美子は震えている。半次は闇語りを続ける。
「治の意地を尊重してあげましょう。小さいけれど良い根性してますねぇ」
「どういうことよ!」
「新しい住処に行かなかったでしょう。ここに白ヒルたちを連れて来たのは、貴方たちを巻き込こまない為じゃないですかぁ」
「!」
身体の力を抜いた美子から、手を離した半次は隙間から通りを覗いた。どうやら三人はバラックの前から移動したらしい。
「さて。どうしたものですかねぇ」
俯いて座り込んでいる美子を立ち上がらせながら、半次は顎を撫でた。
七軒町の長屋に戻ると、鞄を抱えた良子が二人を待っていた。
「その鞄は何ですかぁ?」
「治がパクった鞄よ」
良子が答える。面倒臭そうに美子が説明する。
「私たちは盗んだ品物を、そのまま家に持ち込まないの。お巡りに踏み込まれた時、現物があったらアウトでしょう? 2~3日置いておいて、問題が無さそうなら回収して売り飛ばすの。置き場は幾つもあって、そのうちの一つに放り込まれていたのでしょう」
半次は口笛を吹いた。
さっそく半次は鞄をかき回し始めた。高級な革鞄だ。現金などは入っていないが、書類が多い。幾つかの書類束の宛先を眺めて、半次は驚きの声を上げた。
「これは…… 大物海軍族議員の鞄ですよぉ。おぉ怖い。この書類束だけで、極秘や機密の判子が幾つ押してあるんですかねぇ」
「そんなに偉い人の鞄なの? これと引き換えに治が帰って来ないかな」
「この代議士は正義感の強い、頑固で有名な人ですからねぇ。まともにそんな提案をしたら、余計に抉れそうですよ。この書類を見て下さい」
「私は字が読めないの。必要な所を読んで頂戴」
美子は顔を顰める。半次は眉を上げて、目を細めた。
「大日本帝国における、新エネルギー政策についてと書いてありますよぉ。何々、原油を海上輸送するより、精製した揮発油を輸送した方が効率も高い。その為、産油国内に、帝国の精製施設を建設する必要がある。 ……はぁ、大したもんですねぇ」
「なに言ってるのか、全然分からないわよ! 治を取り返す方法は無いの?」
疲れ切った表情の美子が、半次の顔を覗き込む。化粧を落とすと、いきなり幼く見える。大人びて造っているが、本当の年齢は13、4才なのだろう。
「一寸考える時間を下さいな」
半次は書類束を熱心に読み込み始めた。
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