第19話 偶然だねぇ

 孫三稲荷神社門前市は人通りが多い。ここは白ヒルのナワバリど真ん中、浅草七軒町である。銀次の忠告通り、半次は付け髭をつけるなど軽い変装をして、人混みを歩いていた。白ヒルを調べれば調べるほど、関わり合いになりたくない人物であることが分ったのである。

 片付けなければならない野暮用を済ませて、足早に退散しようとした時、ふと半次は足を止めた。

 

「何をするのですか! 離して下さい」


 カフェーの扉の前で、掏摸の美少女が白ヒルに右手を掴まれていた。

「未成年が女給をしていると通報があった。お前だな?」

 白ヒルは舐めるように少女の顔を眺めた。白い顔を歪める。どうやら笑ったらしい。

「なかなか可愛い顔をしているじゃないか。一寸署まで来て貰おう」


 半次は舌打ちして、二人に割って入った。

美子みこ。ここにいたのか。探したよ」

 キョトンとした少女。半次のウィンクで目を見開き、瞬時にホッとした表情を浮かべる。

「あぁ、お兄様。どちらにいらしたの。喫茶店で待ち合わせだというから、てっきりここだと」

「世間知らずも大概におし。ここは喫茶店ではないよ。どちらかと言えば、いかがわしい風俗店だ」

「……風俗店ってどんな所です?」


「茶番はいい加減にしてもらおう」

 白ヒルが会話の主導権を取り戻そうと声を上げた。半次の顔を見て目を細める。

「お前とは、どっかであった気がするな」

「そうですか? 良くある顔ですから」

 その時、通りの向こうから白ヒルを呼ぶ声が聞こえた。どうやら彼も待ち合わせをしていたらしい。忌々しそうに唾を吐いて、二人を開放する。



「アンタは一体何者よ」


 美少女は突然、蓮っ葉な口調になる。狭い範囲にしか通らない低い掠れ声だ。周りにいる人々には聞こえない、この会話法を通称「闇語り」という。そんなことまで出来るのかと、半次は仰天した。

「先日、下谷のヤサまでご一緒した者ですよぉ」

「あの時の! 全然見た目が違うじゃない」

「やっぱりバレていたんですねぇ。専門外の事はしない方がいい」

 半次も闇語りで答え、肩を竦める。上目遣いで彼を睨む美少女は、言葉を続けた。

「どうして、私の本名を知っているの」

「単なる偶然ですよぉ」


 半次は近くにある映画の看板を指差した。「新作映画『多情仏心』 主演 八雲恵美子」と書いてある。

「さすがに恵美子じゃ八雲さんとバレてしまいますからねぇ。下の2文字だけ拝借しました」

 ガックリと肩を落とす美子。鼻歌を歌いながら半次は煙草に火をつける。

「兎に角、ここは早くズラかりましょう。白ヒルの縄張りは危険すぎますよぉ」

「白ヒルって何よ」

「そんなことも知らないで、ここを歩いていたんですか。大した度胸ですねぇ」

「……逃げるにしても、新しい住処は近所なのよ」

 アングリと開けた半次の口元から、煙草が落ちた。


 葛飾北斎の墓がある誓教寺せんきょうじ。その近くの焼け残った家屋が、美子たちの新しい住処だった。九尺二間の長屋の一角である。建物の古さに比べて、綺麗に整頓された部屋だった。

 古びたちゃぶ台の上に、欠けた湯飲みが置かれている。中にはきちんと日本茶が淹れてあった。物珍しそうに部屋を見回す半次の前には、美子と3人の子供が座っていた。残りの二人は出かけているらしい。

「ミコネー。このあんちゃんは誰?」

 子供の一人が半次を見つめ、口を開いた。


「私が一番知りたいわよ。女に不自由しそうな感じじゃないのに、何で私をつけ回すの?」

「いや、知り合いに頼まれましてねぇ。随分と貴方たちの事を心配しているようでしたよぉ」

 半次の返答に、子供たちは鼻白む。暗い瞳をした美子が、吐き出すように言った。


「私たちの事を心配する大人なんて、何処にもいないわよ」


 見れば他の子供達も同じような表情を浮かべている。ここで暮らす前、彼らはどんな生活を送っていたのだろう。詐欺師である自分でさえ今、彼らに伝える言葉を持たなかった。


「そう言えば何故カフェーの前に居たんですかぁ」

「女給なら水揚げきゅうりょうが良いと思って」

「……貴方ならすぐ売れっ子になるとは思いますが、止めた方がいい。白ヒルに目を付けられたら最悪ですよぉ」

 余計なお世話を焼かないことを信条にしている半次が、なぜか調べた白ヒルの素性を話し始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る