第2章 名誉の代金
第9話 おや? また会ったねぇ
鈴懸の木漏れ日が優しく揺れる。凌ぎ辛かった夏を何とか乗り越えた、秋の穏やかな午後。二重橋前には、お堀からの優しい風が吹いていた。そこに背が高く、彫りの深い双眸を持つ青年が、スーツ姿で颯爽と現れた。
中折れ帽を小粋に被り、二十代の割には落ち着いた雰囲気。宮内省正面玄関から出てきた佇まいは、帝大卒の高等文官試験通過者(エリート)に違いあるまい。
「おっと。これは失礼」
大通りで偶然ぶつかった深窓の令嬢は、顔を赤らめ呆然と彼を見送る。道ゆく男性すらも、彼を二度見してしまう。そんな好青年の名は高見半次、その人である。
残念な事に、半次の職業は高級官僚などではなく、ただの詐欺師である。だが彼に言わせると、巷に溢れるケチな詐欺師ではなく、『説教強盗』の名で世間を騒がせた松吉の一番弟子であるとのことだ。
詐欺師の身分に上下があるとは思えないが、軍縮で不景気な世相とは裏腹に、パリッとした半次の身なりは悪くなかった。
半次は麹町区の、とある大きなビルディング前で立ち止まった。金縁の回転扉や、威圧的な玄関を見上げて、舌打ちする。関東大震災から6年。東京府の庶民が日常を取り戻すのに必死な時期に、皇居付近の目抜通りに、こんなに豪勢な建物を立てるとは。
ビル持ち主は、新興財閥として悪名高い福山實廣(じつひろ)である。石油元売りで高名を博しているが、30年前まで女衒だった男だ。女衒で稼いだ小金を、若い政治家に投資した。政治家は軍事・産業部門で一廉の人物となり、幾つもの支援を福山にした。それを足がかりに福山は一代で立身出世した。
しかし、その道のりは激しく、彼の周りでは倒産、身売り、心中などの物騒な言葉が事欠かない。人非人と影で呼ばれている。
「さて。奴さんは、この話をお気に召すかねぇ」
半次は顎に手をやり呟いた。回転ドアを潜り、帽子を手に受付嬢に声を掛けた。
「一木先生のお使いでまいりました、宮内省のものです。福山社長と面会の約束をいただいているのですが」
受付嬢も顔を赤らめ、呆然と半次を見つめる。しばらくして慌てて、受話器を取る。
「社長にお客様です。えっ? はい。それは素敵な、男前で・・・ あ、いやいや」
全く要領を得ない説明を必死で繰り返す受付嬢。突然立ち上がると、半次の手を取って、前を歩き始めた。
「あの、受付は?」
「そんなの構いません。社長室に、ご案内いたします」
雲の上を歩くような足取りで、社長室の前まで歩く受付嬢。大仰な扉をノックをして、半次は部屋の中に入った。
「これはこれは。宮内省の方が、わざわざどうも」
福山は如才なく、半次にソファーを進めた。デップリと太った体に、大きな鼻が目立つ男である。一見すると恵比寿様のようにも見えるが、一箇所だけ異なる部分があった。それは目だ。ニコニコと笑ってはいるが、その奥の瞳は全く笑っていない。
対面した半次は軽く緊張した。こいつはヤバイ奴だ。恐らく、真の意味で人を信じることが無いタイプだ。詐欺師にとっての強敵が眉を顰め、受付嬢を睨みつける。
「君は何時まで、そこに立っているのかね?」
「あっ、いや。お茶でも……」
「いいから職場に戻りたまえ。受付はどうした? ああ、それからしばらくの間、誰も取り次がないように」
福山に邪険に追い払われた受付嬢は、がっくりと肩を落とし、名残惜しげに社長室を後にした。
「うちの社員が大変失礼致しました。さて本日は、どのようなご用でしょうか?」
「実は、我が省の一木先生に、初授爵を行う話が出ております」
「それはそれは。一木大臣は確か、文部大臣や内務大臣も歴任されていましたよね。それなのに無爵位だったのですか?」
「はい。今は国へのご奉公で様々な仕事を行なっておりますが、いずれは学者に戻りたいというのが、先生のお考えです」
福山は理解できないというように首を振った。
「学者に爵位は無用とのことで、男爵の授爵をお断りになられるようです」
「位人臣を極めた方のお考えは、私どもとは異なるようで。しかし、それが私に何の関わりがあるのでしょうか?」
半次はニコリと微笑んで、福山を見つめた。
「一枠空いた爵位を、福山社長にお譲りしたい。これが先生のご意向です」
カタン
福山はソファーから、ずり落ちた。
「先ほどから一木喜徳郎大臣を先生と御呼びですが、やはり学校関係の・・・」
「はい。出身教室の指導教官でした」
「帝大出で宮内省勤務とは…… あ。これは失礼しました」
福山は慌てて名刺を差し出す。しかし半次は片手を上げて、受け取らなかった。
「福山社長の御高名は存じております。また、今回の会談は非公式なものですから、私の氏素性は匿名としておいてください」
「しかしそれでは、これからの連絡などは……」
「今回、福山社長のご意向さえ伺えれば、後は私達が進行いたします。授爵を受けていただけますか?」
「それは勿論。光栄なことではありますが、それだけで宜しいので?」
「……どういうことでしょうか?」
「いやいや。下世話な話で申し訳ありませんが、ご紹介料やらお世話になったお礼などの……」
半次は背筋を伸ばして、福山を睨みつけた。
「一木先生は貴方を見込まれて、推薦されました。過去に何があったか分かりませんが、福山社長は日本国を運営されているお一人です。貴方は、先生のお気持ちをお分かりいただけないのでしょうか?」
「いやいや。あの、その」
「福山社長は、これまで燃料分野で数々の業績を上げて来られました。エネルギーの安定は国家の安定です。そのために社長がどれほどのご苦労をされてきたのか、先生は全てご存知です。決して表には出せませんが、社長はご立派です」
不覚にも福山の小さな瞳に、感動の涙が浮かぶ。これまでの苦労が、一瞬にして報われた気にさえなった。
玄関先まで、福山に丁重に送り出された半次は、銀座で用足しをした後、宮内省の正面玄関にたどり着いた。それを確認した鳥打ち帽の男が、福山のビルに向かって歩いて行く。
「やっぱり付けられてたねぇ。用心深いこった。」
感動の涙を浮かべた福山は、半次の話を完全に信用せず、密かに密偵を付けていたのである。こうでなければ一代で、あの大所帯は築けないのだろう。久々の強敵に半次は苦笑いを浮かべた。
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