第10話 福山の過去
「うわっ」
豪華な寝台から、福山は半身を起こした。嫌な汗でビッショリと濡れた額に手をやる。
「何時まで経っても忘れられん」
荒い息を抑え手元をみる。指先は、まだ震えていた。
明治の末期、北国の山村は飢饉に喘いでいた。文明開化の光も、この山の中までは照らすことが出来ないらしい。貧困の影は家族の顔も、その表情も見えない程、暗い。
「さて、もう良いだろう」
福山は精一杯着飾った女の子の手を握った。茅葺の崩れた小屋の前に、彼女の家族が並ぶ。母親の胸には、まだ幼い妹が抱かれていた。ジーサン、バーサマはいない。ずっと前に山に帰った。口減らしだ。
今から売られていく女の子も、この家にいれば、来年の春を迎えられるかどうか分からない。福山は懐から飴玉を取り出した。
「さぁ。これでも舐めながら、行こう」
女の子は受け取った飴玉を、母親に渡した。それから後ろを振り返らず、里への道を歩き始める。枯れ果てた筈の母親の瞳から、また涙が流れる。
「どうして、飴をくれてやったんだ?」
「少しでもカッチャに乳を出して欲しくて」
ため息をついた福山は、もう一つ飴を取り出し、女の子に与えた。今度は自分の口に入れた彼女は、ニッコリと微笑んだ。
「甘い!」
自分は、こんなに優しい女の子を右から左に売り渡す女衒だ。最低の仕事であることは分かっている。しかし彼女を売り渡さなければ、あの山村の家族は冬を越せない。
「オジさん、お腹でも痛いの? 辛そうな顔してる」
「なぁ。このままどこかにトンズラしねぇか?」
「そんなの駄目だよ!」
少女は即答した。腰に手を当て、叱るように話す。
「お金は貰っちゃってるし、行く先も決まってる。これで逃げたら、お家とオジさんが大変なことになるよ」
本当にため息をつきたいのは、女の子の方であろうに。福山は、そっとため息をついた。
その後、福山は女の子を置屋に売り渡し、代金を受け取った。その金も次の子供を買う資金になった。翌春、件の山村を確認すると、彼女の家族は無事に冬を超せていた。しかし女の子の行く先は、まるで分からなくなっていた。
「酷い事してるねぇ。女・子供でも見境なしか。あれぇ。ちょっと待っとくれ」
半次は福山の資料を漁っていた。一般には出回らない、詐欺師業界の闇の紳士録である。福山の生涯前半は、人買いの歴史でもあった。女衒を生業にするような男に、まともな人間は少ない様で、何時の間にか福山は仲間内の顔役になっていった。
顔役になった福山は、地方役人との折衝を取りまとめる様になった。何時の世にも腐った役人や政治家はいるもので、どこにどうやって賄賂を渡せば、効率よく仕事ができるかを学んだのであろう。
そして行方知れずになった女の子の娘は、福山の会社で働いているという。大勢の人間を雇っているから、一社員のことなど構っていられない。
だから、彼はそのことを知らない。
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