第4話 さて。どうしようかねぇ
「衛生兵! 衛生兵はおらんか!」
「大西上等兵なら、先日戦死しております!」
山本軍曹のヒゲモジャな口元から、ニガ虫がはみ出した。少尉の太腿からは、大量の血液が流れ出している。山本は慣れない手付きで、止血を始めた。
「馬鹿野郎! なんだその止血帯の巻き方は! そんなに強いと、少尉さんの足が腐っちまうぞ。」
半次は一気に捲し立てた。当然のことながら、彼に医学知識はない。しかし、この場面で何もしなければ、それだけでバケの皮が剥がれてしまうではないか。
「止血帯はこう巻くんだ。それから清潔なシーツと大量の湯。一刻も早く準備しろ!」
数分後、少尉は半次が乗って来たトラックの荷台に、横たえられていた。半次は付き添いを全員追い払うと、幌のカーテンを閉めた。
「さて。どうしようかねぇ。」
半次はため息をつくと、借り物の黒鞄を引き寄せた。中には簡易手術用具一式と、医学書数冊が入っている。
耳鼻咽喉科の医師に、外科中心の従軍軍医は務まらない。この医学書は医者の虎の巻で、専門外の対処が簡単に記載されている。入れ替わった林田も小児科だったらしく、大切にしていた物らしい。
半次はパラパラと虎の巻を繰り始めた。銃創関連の外科部分に目を通す。
「……先ずは麻酔かねぇ。気絶しちまっているようだからいらないか」
アルコールランプの炎で、メスを炙る。
「消毒はこれで良いか。少尉さんよぉ。死んじまったら運が悪かったと、諦めてくださいねぇ」
半次は少尉の太ももに、メスを突き立てた。
数十分後、銃撃や爆発音が遠ざかり始めた。本格的な攻撃ではなく、遭遇戦だったのだろう。
「足の具合はどうかな?」
「ああ…… 先生、ありがとうございました」
「今はまだ、興奮してアドレナリンが出ているから感じないかもしれないが、これから痛みが激しくなるだろう。頓服を渡しておくが動きが鈍くなるから、できるだけ飲まない方がいい。」
「助かります。では私は部隊に戻ります」
「まぁ、待ちなさい。ここには輸血の用意もない。無理して動いて、血を失うことはない」
本当の所は、骨の近くにあった弾をメスで穿り返し、傷口を裁縫の要領で縫い合わせただけだった。動脈に傷がないのが、少尉の運の良さだった。
「それにしても山本…… 軍曹だったか。良く身を呈して君を助けたもんだ」
「……山本さんだったんですね。同郷の先輩で、いつもご迷惑をかけているんです」
「?」
「僕は大学生召集だったので、階級は高いですが、運動はからっきしで。専攻が理数系でなく美術なので、部下の人たちから馬鹿にされる将校なんです」
「戦局は厳しくなっているんだな。嫌なご時世だ」
「そんな時、山本さんが、中隊のみんなの似顔絵を書けって。書いた似顔絵を皆に見せてくれて、やっと皆の輪に入る事ができました。故郷、金沢の話をしているときに、
『俺は尋常小学校しか出ていないが、お前は戦争が終わったらどうするんだ?』
『教員になりたいと思います』
『そいつはいい。お前の絵の力で、子供を幸せにしてやれ。それから戦争なんて馬鹿な事を起こさないような、立派な学生を育ててくれ』
と言って、笑ってくれたんです」
俯く少尉を見て、半次は何も言わず、トラックの荷台を降りた。煙草に火を点けようとした時、トラックの側をウロウロする、熊のような巨漢に気付く。
「軍曹。どうかしたかね?」
その場で小さく飛び跳ねる山本。バツが悪そうに口を開いた。
「あの少尉は、どうなりましたか」
「大丈夫だ。処置が早かったから、感染症もないだろう」
山本は安堵のため息を、大きく吐いた。その後でワザとらしい、しかめ面を作る。
「あんなウラナリの青瓢箪でも、死ねば目覚めが悪いですからな! ガハハッ」
肩を竦めて、豪傑笑いをする山本に煙草を勧める。
「これは恐縮です。何ですか。私の顔に、何か付いとりますか?」
半次は、マジマジと彼の顔を見て言った。
「私は色々あって、警察や軍人は大嫌いなんだよ。でもいい兵隊もいるんだね」
山本は、火の点いた煙草を呑み込んだような顔をして、慌ててトラックから逃げ出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます