91:嬉しい

 ユナはへたり込んでいた。

 足元を見れば履いていたはずの靴がない。


 高めのヒールを履いていたが、走っている途中で脱げたのだろう。むき出しになっている足は、土で汚れている。小さい切り傷のようにもなっていた。痛みは感じない。だから気付かなかった。ヒールが脱げたことさえ気付いていなかったのだ。今のユナは、別のことばかりが頭にあった。


 瞳からは涙がとめど無く流れている。

 泣きすぎて目が腫れていた。


 ユナは今まで、泣いたことがない。


 母が亡くなった時も、国を奪われた時も、国を奪還できた時も、泣いたことがなかった。胸が痛む場面はたくさんあっても、泣くまでには至らなかったのだ。これからも自分が泣くことはないだろう。そんな風に思ったこともある。それなのに今、泣いている。胸が苦しく、それを表すように涙が流れている。


 首元と耳には、クライヴからもらったアクアマリンの宝石をつけていた。あの後一度部屋に戻ったのだ。衝動的にこれをつけた。鏡で見てみたが、美しかった。今の服装のユナにも似合うほどに、優しい光を放っていた。それが涙を誘った。


 しばらく鏡を見ていると、メイド達も「わぁ……!」と感動している様子だった。「よくお似合いです」「さすがクライヴ殿下ですわ」賞賛の声が、逆に虚しくなった。だから部屋を飛び出した。夢中で走り、この場所に着いた。


 過去、幽閉されていた場所に。


 薄暗く、だが丁寧に手入れされた庭園。昔はそこに、大きい黒い檻があった。今はない。撤去されており、今はただ色とりどりの花が咲く空間だ。そこにユナは座っていた。座って、ただ静かに泣いている。


「――ユナ殿」


 声が聞こえ、目を見開く。

 だが後ろは振り返らなかった。


「ここにいたんだね」


 少しだけ息が切れている。

 走り回ったのだろう。


 だがユナは、何も言わない。


「探したよ。みんなで探してたんだ」


 戻らなければいけないのに、戻りたくない。

 そんな話が聞きたいわけじゃない。


「――あの女性の元に行かなくていいんですか」


 言ってからはっとする。

 余計なことを言ってしまったことに。


「女性? ああ、フィオ殿下?」

「……フィオ、殿下?」


 予想外の名前に、ユナは思わず振り返ってしまった。辺りは少し薄暗いが、相手の姿が見えないわけではない。それに夜でも花畑が見えるよう、元々光が用意されている。だから相手の顔がよく見えた。


 クライヴと、目が合ってしまう。

 彼はいつもと変わらぬ笑みを浮かべていた。


「フィオ殿下と一緒に来たんだよ。ユナ殿に会えるのをとても楽しみにしていた。ドレスもきっと綺麗なんでしょうね、って。男性のパートも踊れるなら、一緒に踊りたいって言ってたよ」

「…………」

「僕らはユナ殿の話しかしていないよ」


 なぜそのような言い方をしたのだろう。分からない。分からないが、それを聞いてどこか少しだけ、心が軽くなっている自分がいた。


「ねぇユナ殿」


 クライヴはほんの少しだけ距離を詰める。

 決して近すぎない距離で。


 目線を、一緒にしてくれる。


「どうして泣いているの?」

「……!」


 はっとして、自分の目元に両手を持っていく。


 そうだった。今の自分は泣いていた。今まで泣いたことなんてなかったのに。泣いた姿を人に見せたこともなかったのに。


 ユナは慌てて顔を隠す。


「ねぇ。教えて」

「…………」

「言わないと抱きしめに行っちゃうよ」

「! 私のことなど、放っておいて下さい」


 咎めるような言い方になる。

 彼の冗談に付き合うつもりはないからだ。


「無理だよ。僕はユナ殿のことが好きだもん。放っておくことなんてできない」

「……今ここで返事をします。お断りします。だからもう私に構わないでくれ」

「じゃあせめて泣いている理由を教えて」

「だから、」

「それを聞くまではここを離れない」

「…………」


 言いたくなかった。


 でもクライヴに、口で敵うはずもない。

 今までも勝てたためしがない。


 言わないと、前には進まない。


 なら、言うしかない。

 自分のためにも。相手のためにも。


 ユナはわざと、笑顔を作るようにした。両手で顔は隠したままだが、口元は微笑む。ああ、これなら言えそうだ。案外覚悟を決めると、人はすぐにでも行動に移そうと思えるらしい。


「私は、この国を離れたくありません」

「うん」


 肯定するように頷いてくれる。


「国のことが大切で、兄と妹のことが大切です」

「うん」


 聞いてくれる。


「私は国のために、王族のためにできることをしたいのです。側近ではなくなりましたが、王族として、私にしかできないこともあると思っています。それをしたいと思っています。それが私の、今の望みです」

「うん」

「…………ですが……」


 言葉に詰まってしまう。


 いつの間にか、止まっていたはずの涙がまた溢れていた。次の言葉を、拒むように。ああ、認めたくない。言いたくない。一生言わずに済んだならどれだけ良かっただろう。だけど今は、そう思っている場合ではない。気付いてしまったなら。言わないといけないなら。言った方が、きっと楽になる。


「……私は、あなたが好きです」


 息を呑むような音が聞こえた。


 驚いたのだろう。

 急にそんなことを言ったのだから。


「あなたのことが好きですが、国を離れたくありません。だから、あなたと一緒になることはできない。……そう、分かったのに、あなたが別の女性と一緒にいる姿を見て、もう一緒にいられないのだと、その事実に悲しくなった。……泣いてしまった」


 淡々と言うだけなら、傷は浅い。やはり、言ってよかった。ずっと自分の中に溜め込んでいる方が、やっぱり苦しかったのだ。


「……だから、もう私には、構わないで下さい」


 ユナはゆっくり両手を離し、下を向く。相手の方を一切見なかった。泣いた理由は伝えたので、顔を隠す必要はない。だから泣き腫らした顔のままでいた。


 後は彼から「分かった」と言ってもらうだけだ。

 その一言だけで、自分は納得できる。前に進める。


 それなのに、一向に何も言われない。


 何かは、言われると思っていたのに。いや、そもそも。断るということは相手の顔に泥を塗るようなものだ。そんな失礼なことをしているのに、何か言ってくれると思っていたのか。自分の浅はかさを、呪いたくなる。ユナはぎゅっと、目を瞑った。そしてそのまま、彼がその場を去る音を聞こうと思った。


 と、足音が聞こえてくる。


 ああ、彼はきっと行ってしまう。

 何も言わずに、去るつもりなんだ。


 そう思い、その音が消えるのを待つ。

 すると、手を握られた。


 顔を上げれば、目の前に彼がいた。

 優しく、嬉しそうに、微笑んでいる。


「――待つよ」

「……は」


 一瞬何を言われたのか分からなかった。


「ユナ殿がこの国にいたい気持ちは分かるんだ。だから待つ。僕のところに来たいと思ったら来てほしい」

「何を言って……人の話を聞いていましたか?」

「うん。ユナ殿、僕のこと好きなんだね。嬉しい」

「! そこじゃない。私はこの国にいたいのです。離れたくないのです。あなたと結婚はできません」

「僕のことが好きなのに?」

「す、好きだとしてもです」

「嫉妬で泣いていたのに?」

「そんなの関係ありませんっ!」


 クライヴはふっと、笑う。


「だから待つよ。僕ならずっと待てる」


 驚きを通り越して呆れてしまう。


「あなたはイントリックス王国の第一王子ですよ。そんなことは許されません。他の方と幸せになって下さい」


 クライヴの年齢からして、王家からも結婚の話をされているだろう。例え王子に想い人がいれど、結婚をしないことには、国としても不安になるはずだ。


「大丈夫だよ。僕は一度決めたことは絶対にやり遂げる。一度好きになったものに対して気持ちは揺るがない。ユナ殿しか好きにならないよ」

「そんなことはありません。きっと素敵な方がいます。私よりも素敵な方はたくさんいます」

「仮にいたとしても、僕はユナ殿のことしか好きにならないし、結婚したくない」


 ああ言えばこう言う。

 ユナは頭が痛くなる。


 クライヴは言葉を続ける。


「僕はユナ殿の気持ちが知りたい。僕と、どうなりたい?」


 ユナは思わず眉を寄せる。


 なんと意地が悪い質問なのだろう。

 いや、ずるいと言えばいいのか。


 叶えられるかどうかも分からないのに。

 彼は普通に聞いてくる。


「教えて。僕と、どうなりたい?」


 真摯な瞳に見つめられる。


 そんな目をされると、自分を誤魔化すのは難しい。ここできっぱりと断ればいいのに。そうできないのは、想いを打ち明けてしまった後だからか。


 ユナは根負けする。


「…………できれば、離れたくない」


 気になっているのは距離だけだ。

 それ以外は特にない。


 大事にしたいものが増えてしまって、どうしたらいいかと迷っている。結局クライヴとも離れたくないのだ。離れてしまえば、彼が他の女性と結婚してしまえば、納得はするが悲しくてまた泣くかもしれない。また胸を抉られるような気持ちになるかもしれない。


 それを分かって、クライヴは聞いてきたのだろう。


 どういう関係になりたいのかと。

 本当はどう思っているのかと。


 クライヴはにこっとする。


「じゃあ待つよ」

「……でも」

「説得できる。それに僕は、自分の欲しいものを手に入れるためにどんな努力も惜しまない。今までも仕事で成果を出してきた。人に対して誠実さを示してきた。みんな、分かってくれると思うんだ。僕がどれだけ、ユナ殿を好きなのか。大切にしたいのか。だからユナ殿は気にしなくていい。もし国を出る覚悟ができたら、教えて」


 彼が周りから見られている印象というのは、おそらく彼自身も、意識していたのだろう。積み上げてきたのだろう。信頼を得るために。自分の欲しいもの手に入れるよりまず、周りのことを優先してきたのだろう。だから皆が彼を信頼し、彼のことを好きになる。誰からも評判がいいわけだ。


 同時に、彼はかなり人に好かれる。

 女性からも、男性からも。


 自分の兄がいい例だ。

 あっという間に懐柔された。


 皮肉混じりにそれを伝えると「女性から言い寄られた経験はまぁまぁあるけど、全部やんわりと断ってるよ。だって僕が好きなのはユナ殿だけだから」と言われた。やっぱりかなり好かれるのだ。それを聞いて少し落ち込んだ。


「それを言うならユナ殿だって、モテるでしょう」

「……そんな経験、私にあるとでも?」

「見合いの話がかなり来てるってユギニス陛下に聞いたよ。それに、最初の交流会でも君を狙っている男はごまんといた。この夜会だって、きっと君にアプローチを仕掛ける人はいるだろうね」

「……王に何を聞いたか知りませんが、どうせ容姿でしょう」


 目立つ容姿なのは知っている。母もかなり綺麗な人だった。踊り子としても、魔法使いとしても才がある人だった。


 自分は別に、何もない。

 あるのはこの見た目くらいだ。


「それだけじゃないよ。果敢に挑む姿勢や決断力。正確な判断力に信用を得るほどの実行力。国王を支える右腕としての技量も高く評価されていると思うよ。僕もね。ただもう少し、自分を大切にしてほしいとは思うけど」

「…………」


 よく、見てくれている。側近としての能力を評価してもらえるのは、嬉しい。


 と、はっとした。

 自分も懐柔されてどうする。


 アルトダストとイントリックスでは、国同士かなりの距離がある。クライヴの提案を受け入れてしまうと、遠距離の関係が続く。そして、しばらくは手紙のみのやり取りとなる。自分の我儘を通してもらうのは気が引ける。そう伝えるが、「僕は君のことが好きだから。君の願いは全て叶えたい」と笑ってのけるのだ。なんだか呑気だ。こっちは必死で考えているのに。


 クライヴの言葉は嬉しい。

 嬉しいが、申し訳なさが募る。


「……それでは、公平ではありません」

「公平?」

「私ばかりいい思いをしていると思います」


 待ってもらえること。

 結婚が確約していること。


 自分の願いしか叶っていない。


「僕は君と結婚できる」

「いつになるか分かりません」

「じゃあ僕が他のことを願ったら、ユナ殿は叶えてくれる?」

「! 何か、ありますか」


 できることがあるならしたい。

 それならばクライヴにとってもいいだろう。


 国同士の結びつきを強くするために、新たな制度を考えるのはどうだろうか。アルトダストは今後他の国との交流にも力を入れるが、最初から支援してくれていたイントリックスには大きな借りがある。それを返せるチャンスでもあると思った。


「じゃあ、会うたびに好きって言ってもいい?」


 思わず瞬きをしてしまう。


「会うたびにキスもしていい?」

「…………願いというのはそういう……?」

「うん」


 あっさり頷かれる。

 清々しいほどに正直だ。


 てっきり政治的なことかと思ったのに。


「僕は君が嫌がることはしたくない。でも言いたいししたい。先に伝えておこうと思って」

「……私が何かするのではなく、クライヴ殿下がするだけでいいんですか?」


 普通こちらに要求するものではないだろうか。

 すると目をぱちくりさせる。


「僕から言いたいし僕からしたい。ユナ殿に対してお願いしたいのは、それを拒否しないかだけだよ」

「……拒否って…………人の話を聞いていますか」

「? 無理強いはしたくないから」

「…………」


 本当にこの人は。

 強引なのか、謙虚なのか分からない。


 いや違う。


 自分が手紙の返事をしないからこうなったのだ。

 だからずれてしまった。


 先程想いを告げたように、手紙にしても、思ったことをただ書けばよかったのだ。もっと目の前の彼を、信じればよかった。伝えること。会話をすること。それができれば、こんなにもややこしいことにはなっていなかったかもしれない。


 ユナは溜息混じりに言う。


「好きだからいいに決まっているでしょう」


 本心だった。


 彼のことが好きだから。

 彼に何をされても、きっと嬉しい。


 慣れなくて緊張してしまうかもしれないけど。

 結婚の意味も理解している。


 子供ではないのだ。

 求められていることも分かっている。


 そういう意味も込めて言ったのだが、しばらくその場が静かになる。ユナはまじまじとクライヴを見た。てっきり納得するだろうと思っていれば、彼が固まっている。


「……あの、クライヴ殿下?」

「あ……いや……」


 相手はなんだか、そわそわしだす。

 少しだけ顔を背けて、小さく笑った。


「……本当に、好きになってもらえたんだなって、思って」


 どうやら照れているらしい。

 珍しい表情に凝視してしまう。


「あ、あんまり見ないでほしいな」


 今度はユナの顔が熱くなる番だった。

 まさか、あれだけでこんなに喜んでもらえるなんて。


「「…………」」


 しばらく二人とも照れる時間になる。

 目の前にいるのに、顔が見れなかった。


 クライヴがくすっと笑う。


「安心した。本当にユナ殿、僕のこと好きなんだね」

「先程から、そう言ってますが」

「うん。今じわじわと実感してる。嬉しい」


 そんな幸せそうな顔で言われたら。


 こちらも嬉しくなってしまう。

 素直に、なんでも伝えたくなる。


「あなたが、私を肯定してくれたからです」

「?」

「私がしてきた全てを……肯定してくれた。フィーベルのことも。……たくさん迷惑をかけてしまったのに」

「それはフィオ殿下への恩返しのためだったんでしょ」

「そうだとしても、決してやってはいけないことだった。…………今こうして、フィーベルやフィオ様と変わらず関係を築けるのは、クライヴ殿下のおかげです。本当に、ありがとうございます」

「いいんだよ。僕は君を、檻の中から救いたかっただけだから」


 ごく自然とそう言われる。

 胸に、温かいものが広がる。


(……本当にこの人は、『昔』も『今』も私を救ってくれる)


 ユナはクライヴに、笑って見せた。


「私を救ってくれて、ありがとう」


 クライヴは目を丸くする。

 小声で「笑顔、初めて見た」と呟かれる。


 ユナの耳には聞こえなかったので首を傾げていると、急にクライヴから抱きしめられた。思わず「わっ」と声を上げてしまうが、ぎゅっと、ほどよい強さで抱きしめられる。クライヴに魔力を渡して助けた頃以来だ。懐かしい感じがしながらも、あの時とは違う、愛しい思いが込み上げる。


「……ユナ殿。好きだよ」


 耳元で呟かれる。


 抱きしめられた状態なので、耳と口が近い。

 それがなんだか、くすぐったい。


「……はい」


 どう答えていいか分からず、返事をした。


 すると手が緩み、額に彼の唇が触れる。

 これもあの時以来だ。


 クライヴは真っ直ぐユナを見つめる。

 真剣なその瞳に、どきっとしてしまう。


「……あの、」


 何か言った方がいいのだろうかと思っていると、彼の唇が降ってくる。目元に、鼻の上に、頬に、順番にやってきたその唇を、ユナはぎゅっと目を閉じて受け入れていた。そして、唇同士も重なる。


 触れるだけの簡単なものだったが、それだけで十分想いが溢れた。二人はしばし見つめ合う。クライヴは、ユナの耳元で揺れるアクアマリンに触れる。


「つけてくれてる。嬉しい」

「……返却すべきだと思っていたので、一度はつけようと」

「好きって自覚してからつけてくれた?」

「それは、そうですが」

「早く言いたくて堪らなかった。でも君のことだから、もったいないからつけただけ、って言われるかなと思って。だから言わないようにしてたんだ」


 確かに自分ならそう言い訳する可能性がある。クライヴはそこまで分かっていて、アクアマリンのことは一切話題に出さなかったのか。


 ユナは気恥ずかしくなる。


「もういいでしょうこの話は」

「知ってる? 男性が女性にアクセサリーを贈るのは、独占欲があるからなんだよ。これでユナ殿は僕のものだ」


 ぎゅっとまた抱きしめられてしまう。嬉しそうな声色に、ユナはより顔を赤くしてしまった。わざわざそんなことを言わなくてもいいのに。悪趣味だ。


「そろそろ戻りましょう。心配をかけるわけには」

「側近に連絡するように伝えてる。このまま二人きりでも僕はいいんだけど」

「陛下の評判を落とすようなことはしたくありません」

「それもそうだね。でもその顔で戻れる?」


 そういえば泣き腫らした顔だった。


 ヒールもどこかに落としてしまったし、このまま戻る方がユギニスの評判を落としてしまうかもしれない。ユナは青ざめる。自分の行動で人の迷惑をかけてしまうことに。


 だがクライヴは落ち着いていた。


「大丈夫。僕のせいにしよう」

「は?」

「僕と結ばれたことを言えばいい。ユナ殿は嬉しくて泣いてしまったってことにすれば」

「それにしては泣きすぎでしょう……」


 嬉しいだけでこんなに目は腫れないだろう。


 ユナが滅多に泣かないことも、仲間達は皆知っている。本当のことを言ってしまえば納得してくれそうだが、ユギニスがクライヴに対して鬼のような姿になってしまうのが想像できる。それは避けたい。


「じゃあ他の方法も使おうか」

「? どうやって……。っ!」


 首の後ろにクライヴの手が回り、引き寄せられる。唇を塞がれた。もう片方の手は腰にあり、密着したままの形になる。何度も口を合わせられ、ユナは驚きながらも、どうにか受け入れる。呼吸をするタイミングで「待っ、て」と声をかけると、クライヴはユナの顎に手を添える。じっと観察された。


「紅、あんまり取れないな……」

「! わざわざそんなことしなくても」

「僕がしたいだけだから」


 そう言いながら何度も唇を重ねる。


 したいというのはキスのことなのか、それともこの状況のことなのか。真面目に考えたユナだったが、そんなことさえも忘れそうになるくらい、深い口付けに変わる。ここまでされるのは聞いていない。


 薄っすらと開く目で相手を見れば、普段のにこやかな笑みではなく、自分を愛おしそうに求める彼の姿だった。誰にでも優しいことは知っているが、この顔はおそらく、自分しか見せないのだろう。そのことに、ユナは胸を打たれる。


 だが想像よりも求められた。何分か経った頃には意識が遠のき、腰が抜けて動けなくなる。するとクライヴがすっとユナを横抱きにし、そのまま会場に向かって歩き出した。


 そうしている間にも、ユナはぐったりしたままだ。

 ぼんやりしながら目が潤んでいる。




 会場に戻れば、当然ながら注目された。


 横抱きにされているユナの様子。耳と首にあるアクアマリン。クライヴは誇らしそうな、嬉しそうな表情になっている。参加者は最初ユナの様子を心配そうに見つめていたが、あまりにクライヴの表情がいいので、なんとなく察した。


 ちなみにユギニスは二人の様子に、正確にはクライヴに一瞬怒鳴りそうになる。それを王妃であるビクトリアが、扇子で上手く制していた。

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