90:嫌だ
「今頃戴冠式でしょうか」
フィーベルはぼんやり口にする。
「そうだね。式自体は国内のみで行われるから正確な時間は分からないけど、夜会は他国の王族や貴族を招いている。今日の午前中にはするんじゃないかな」
珈琲の香りを楽しんでいるクライヴがそう答える。今日はアルトダストで戴冠式と夜会が開かれる重大な日。戴冠式自体は門を閉め、アルトダスト民だけが参加できる。夜会に招待されているクライヴはこちらの国に前日入りしていた。今はフィーベルと共にまったり過ごしている。
「泊まらせてくれてありがとう。後でフィオ陛下にもお礼を言わないと」
「客人用の部屋はたくさんありますし、『一生礼をするつもりだから気にするな』って言われてましたよ。それにしても、戴冠式は国内だけのお披露目なんですね」
夜会は他国の偉い人達を招待し、戴冠式だけは内部だけ。戴冠式も外部の者も呼んで行うことが多いイメージがあった。するとクライヴは自然に教えてくれる。
「長らく奪われていた国を奪還できたんだ。国民と共に盛大に分かち合いたいと思ったんじゃないかな。ほら、元々内部で色々あった国だから、改革をするためにも」
「なるほど。…………あの、クライヴ殿下」
「うん?」
「……ユナさんからは」
相手はにこっと笑う。
「あれから何の音沙汰もないね」
「そうですか……」
手紙が来なくなって一ヶ月。
それからさらに一ヶ月ほど経ったが、ユナから手紙は来ていないらしい。フィーベルも、あの時以来ユナと話していない。戴冠式に向け、ユナも準備に駆り出されるようになったからだ。結局あのままの状態が続いている。
「いいんだ。気長に待つと決めたから。それに、贈ったアクアマリンも返されてない」
「! そうなんですか」
「前にフィーが、『本当に嫌だったらはっきり言ってくれるはずだ』って言ってくれたよね。返されてないということは、まだ希望があると思ってる」
「私も、そう思います」
ユナはおそらくクライヴが好きだと思う。彼女自身からはっきり聞いたわけではないが、客観的に見るとそう感じた。一人になりたい、と言われた時は、何か考える素振りがあったが。
「フィーも夜会には招待されてるんだよね」
「はい。参加できるのが嬉しいです」
「僕もだよ。国王となったユギニス陛下に会えるのが楽しみだ。それに、ユナ殿にも会いたいと思ってる」
フィーベルは顔色を明るくする。
以前はユナのために会わないようにしていた(実は筒抜けだったが、クライヴ本人は知らない)。夜会という正式な場では、ちゃんと会うつもりのようだ。
クライヴは優しく微笑んだ。
「挨拶だけしようかなって。顔は見たいから」
「ユナさんのドレス姿、楽しみですね」
「うん。逃げられないといいけどね」
ははは、と笑われた。
「あはははは……」
フィーベルはぎこちなく笑い返す。
あり得ない話でもないと思ってしまった。
「久しぶりだな。その格好」
戴冠式が始まる一時間前。
ユナは側近時代に着用していた黒い制服に身を包んでいる。久しぶりに袖を通したが、着れば背筋が伸びた。正直、こちらの格好の方が落ち着く。制服が乱れていないか確認していると、リオが声をかけてきた。
リオはシュテイの婚約者らしく、小綺麗な格好をしている。貴族の作法も身についており、違和感がない。髪型もいつの間にか変えていた。髪を少し切り、前髪も斜めにしている。
指摘すると、相手はふん、と鼻を鳴らす。
「いつまでもあの王子と似た容姿は嫌だから」
「そういえばそうだな」
以前、イントリックスにクライヴの偽物として潜入させていた。腕前を買っていたのもあるが、容姿が似ていたからだ。性格や立場は全く違うので、その点ではあまり似ておらず、混ざることはない。だからこちらとしても気にしていなかったが、リオ自身は気にしていたのかもしれない。
すると何を思ったか、リオが近付く。
こそっと耳打ちされた。
「あの王子に口説かれてるんでしょ? 返事はしたの?」
ユナは顔をしかめる。
そういえばこの男は情報通だった。
「…………。断るつもりだ」
「なに今の間」
「なんでもない」
「断るならさっさと断ればいいのに。待たせてると相手は希望持つよ」
「……今は、戴冠式に集中したい」
ふうん、と納得される。
解放されたとほっとした。
と思っていると、はっきり言われた。
「あの王子なら永遠に待つだろうね。だから希望持たせない方が相手のためだよ」
胸に、刺さった。
「……分かっている」
「そんな顔しといて何言ってんだか……」
「……?」
言葉の意味が分からず相手の顔を見ると、リオは呆れている様子だった。肩をすくめた後、腰に手を置く。
「まぁいいよ、俺には関係ないし。……でも、シュテイが泣いたら俺も断れない。身内を泣かせるようなことはしないでね」
そう言った後、その場を歩き出す。
国王即位後、彼は挨拶することが決まっている。最初は渋々といった様子だったが、今ではすっかり身内としての距離感でいてくれる。変わらず口調はきついのだが、それがいかにも彼らしい。
ユナは一度、息を吐く。
忙しさを理由に、考えないようにしていた。
今日が終われば、正式に断らなければ。
分かっているのに、少し気が重い。
それがなぜかは、考えなかった。
戴冠式が始まる。
多くの民が王を一目見ようと、城の前で待機してくれている。最上階のバルコニーにて、王族達が揃っていた。代表してシュティがこの国の王冠を持ち、ユギニスに手渡す。
王冠を被ったユギニスは、国民の前に姿を見せる。
「アルトダストは今日また生まれ変わる。これからは俺が王となり、この国をより良くすると誓おう」
すると民は皆、大きな歓声を上げる。
喜びを大きく表現していた。
「ここで、俺の王妃を紹介する」
すっとユギニスの横に現れたのは、白の正装に身を包んだビクトリアだった。昔から王族に仕える侯爵家の令嬢である彼女が、この国の王妃となる。
彼女はいつものように焦げ茶の髪を一つにまとめている。切れ長の瞳と唇の横にある黒子が印象的で、清らかな白の格好に、落ち着きと、大人の女性らしさを感じさせた。元々は長年メイドとして仕えてくれていたが、ユギニスが王妃にと望んだ。了承してくれるまで時間がかかったのは、仲間内では有名な話だ。
「ビクトリア様ー!!!」
「万歳ー!」
「陛下! ビクトリア様を泣かせたら許しませんから~!」
国王となった瞬間より歓声がある。
ビクトリアの方が国民とも馴染みがあるからだろう。買い出しなども積極的に行ってくれていた。貴族ではあるが庶民派で、親しみやすさと礼儀正しさもある。黄色い声が響く民の様子に、ユギニスは微妙な顔をした。
「……俺より人気だな」
「日頃の信頼を勝ち取っているだけでございます」
彼女はしれっとそう言う。
「これからも苦労をかけると思うが、よろしく頼む」
「こちらこそ。誰からも尊敬される王でいて下さい」
「心に刻んでおく」
ビクトリアは頷く。
小声で「ユナはどうしたのです。元気がありませんが」と耳打ちされた。視線はユナにあり、ユギニスもちらっと盗み見る。確かに最近、妹は元気がない。戴冠式を楽しみにしてくれていたはずだが、今もどこか浮かない表情をしている。
ユギニスは返答に困った。
「……悩んでるみたいだ」
「余計なことを言ったのではありませんよね」
「余計なこととは何だ」
若干むっとしてしまう。
今は民に向かって手を振る時間。笑みを絶やさないようにしながら顔と手を向けるようにしている。ビクトリアはポーカーフェイスで美しく微笑んでいるままだが、ユギニスは若干顔に出てしまった。彼女に「民を不安にさせることはなさらないで」と脇腹を小突かれてしまった。こういうところが頼もしい。
「ユナは大人ですが、心は子供のままです。選択させるのはやめてあげて下さい」
「なにを言う。ユナ自身が選ばないと意味がないだろう」
「
断言するように言われ、ユギニスは口ごもってしまう。
今までずっと周りのことだけを考えてくれたから、今度は自分の幸せについて考えてほしかった。もっと我儘を言ってほしかった。だから自分で決めてほしかった。だがユナからすれば、急に砂漠に一人投げ出されたような気持ちになっていたのかもしれない。そう思うと、だいぶよくないことをしてしまっている。
「あの子はただ分からないだけです。今の私達にできることは見守ること。それに……もう一人適任がいるでしょう?」
ビクトリアは優しく微笑む。
察したユギニスは少し眉を寄せる。
なんだかんだ妹離れができないらしい。
「愛を与えられることで、人は愛を知るのですよ」
戴冠式が無事に終わり、一旦その場は解散となる。
ユギニスとビクトリアの挨拶だけでなく、シュティとリオの挨拶も無事に終わった。シュティにも婚約相手がいることに民は驚いていたようだが、仲間内からは何度も口笛が鳴り響いた。冷やかしなのか純粋なお祝いなのか分からないが、若干リオがぴりついていたような気もする。
「ユナ」
ビクトリアが一人、近付いてくる。
「王妃。この度は、おめでとうございます」
「ありがとう。あなたと本当の姉妹になれたこと、嬉しく思います」
「……私もです」
ユナとしても本心だった。
幼い頃、絶対的な味方でいてくれた侍女長のマリアは、ビクトリアの母だ。国を出る時に庇ってくれたことで今は亡き人となったが、ユナの中にマリアとの思い出はたくさんある。
娘のビクトリアにもたくさんお世話になっており、姉のように慕っていた。と同時に、娘である彼女よりマリアと過ごす時間が長くなってしまったことを、少しだけ申し訳なく思っていたりする。だがビクトリアはそんなことない、と笑ってくれた。王族を支えるのが私達の役割だからと。
「ユナ。何か悩みがあるのでは?」
急にそんな話をされてしまう。
何か言う前に彼女は、言葉を続けた。
「クライヴ殿下のことですか」
「その件は、お断りするつもりです」
「なぜ? 好意的に見ていると思っていましたが」
「人としては尊敬しておりますが、それだけです。それ以上はありません」
「……ユナ。もしかして別のことが気になっているのでは?」
目を見開く。
どうして分かるのだろう。
彼女ならあり得るか、と思い直す。
いつも人の言葉を、行動を、表情を、読み取ることができる。メイドとして相手の望むことを叶えるために、常に人のことを理解し、察し、先に動くことができる。それが身についているからこそ、そして、いつも見守ってくれているからこそ、分かることがあるのだろう。
だが、口が開かない。
言うことが、できない。
ビクトリアはじっとこちらを見つめてくる。
「言いにくいことであれば言わなくて大丈夫。ですが、クライヴ殿下には伝えた方がよいかと」
「……なぜ、伝える必要があるのですか」
言ったところで、意味がないのに。
どうせ何も、変わらないのに。
「聞いてどう判断するかは相手が決めることです。あなたが決めることではありませんよ」
「……伝えて、相手を困らせてしまうかもしれません」
「彼は困らないでしょう。きっと笑って、一緒に解決策を考えてくれるはずです」
「…………」
仮にそうであったとしても。
今のユナには、何も言えることがなかった。
いつまでも下を向いて黙り続けるユナに、ビクトリアはそっと近付く。そしてユナの手を取った。前にユギニスがしてくれたように。ビクトリアは優しく撫でるように手に触れる。
「ユナ、どうか忘れないで。『人は愛を知るために生まれてきたのです』」
マリアが生前よく言ってくれた言葉だ。
ユナはそっと、ビクトリアと目を合わせる。
慈しむように見つめる瞳。
それが、優しくて少し痛かった。
夜会が始まる時間になる。
ユナはラウラが選んでくれた濃い緑色のドレスに身を包んでいた。髪も横にして結い、紫色の花が飾られている。綺麗にしてもらった。メイド達も色めき立つような声を上げてくれた。今宵は一番ユナが美しいと、称賛してくれた。でもユナにはその言葉が、届いていなかった。
首元と耳元はどうするか、と聞かれたが、何もつけなかった。本来であれば何か飾った方がいい。宝石をつけた方がいいだろう。だがユナはつけたくなかった。それはクライヴにもらったアクアマリンの存在があったからだ。どうしてもあれを思い出す。彼を好きでないのならつけなくていいが、だからといって他のものをつける気になれなかった。
メイド達は少しだけ迷っている様子だったが、「これでいい」と伝え、ユナは自分の部屋を出た。
階段を下りたらすぐに会場だ。
ああこの時が来てしまった。
クライヴも招待されている。挨拶はおそらくするだろう。彼のことだ。この場ではきっと何も言わないと思う。だが、会うのが気が重い。会いたくない。会ったところで何を言えばいい。瞳が合ってしまえばおそらく、自分は何も言えず、その場を逃げたくなるかもしれない。
「え!? シェラルド様!?」
可憐な声が響く。
声の主はすぐに分かった。
フィーベルだ。
今回は膝より上のふんわりしたスカートの可愛らしい桃色のドレス姿で、髪も綺麗に巻いている。そんな彼女の目の前に、婚約者であるシェラルドがいた。本来ならこの場にいないはずなので、フィーベルは驚きつつも嬉しそうな顔になっている。
「どうして? どうしてここに?」
シェラルドは苦笑していた。
「ユギニス陛下が招待してくれたんだ。結婚祝いも兼ねてだって」
そう、ユギニスがこっそり招待していた。
フィーベルには内緒にしていたのだ。サプライズしたいと。色々と助けてくれたお礼も込めてだと。ユギニスは一度心を開くとすぐに甘やかす。フィーベルのみならず、シェラルドのことも気に入ったのだろう。
「両親も招待してもらった。フィオ殿下とベルガモット殿下とも挨拶しようと思ってる」
「わぁ! お二人もいらっしゃるんですか? 嬉しいです。すぐに探しますね」
「待て待て。そんなに焦らなくていい」
「だってなんだか、胸がいっぱいで」
「俺もだ」
久しぶりの再会だからだろう。
二人はじっと見つめ合っていた。
星が煌めくようなその空間に。
ユナは思わず、視線を逸らした。
思えば自分の周りには、隣に誰かいる。
フィーベルはシェラルド。
フィオはベルガモット。
ユギニスはビクトリア。
シュティはリオ。
隣に立ってくれる人がいる。
なら自分は?
と、思えば一人、浮かぶ人がいて。
すぐに頭から追い出す。
どうせ断るのに。
何を考えているのか。
階段を駆け足で降りる。
すると、見つけてしまう。
さらさらとした美しい金髪に、海よりも濃い青い瞳。今日は一段と王族に相応しい服に身を包んでおり、輝いている。いや、彼はいつも輝いて見える。だから目で追ってしまう。見つけてしまう。
そんな彼は微笑んで、一人の女性に手を差し出していた。女性は後ろ姿で、誰か分からない。だがクライヴの表情は、愛おしそうに。優しく。柔らかく。その人だけを見つめている。
自分以外の女性に、そんな顔を向けるのか。
それを見た瞬間ユナは、理解した。
自分が断れば、彼は別の女性の元へ行くのだと。
今まで自分に向けられた顔も、言葉も、手も、全て、別の人の物になる。今までもらった嬉しかったものは、全て自分の物ではなくなる。
それは――――嫌だ。
気付いてしまう。
ユナは道を引き返す。
悟られてはいけない。
このまま知らずに消えてしまえばいい。
「……ユナ殿?」
不意に顔を上げると、彼女がいたような気がした。
いや、確かにそこにいた。
見覚えのある緑色のドレスの裾が揺れながら上へと向かっていく。その違和感にクライヴは気付いた。手を取ろうとした女性に声をかける。
「フィオ殿下。僕、」
「ここまでエスコートありがとう。あの人はもうすぐ来ると思うから、大丈夫よ」
フィオはにっこり笑う。
道に迷っていたフィオを見つけ、ここまでクライヴが連れてきてあげた。ダンスがあればぜひ踊ろうという話をしていたのだ。なにより二人共、ユナに会えるの楽しみにしていた。互いにユナを見つけた同志であり、彼女が大好きだ。ユナの話になると、自然と顔も緩んでしまう。
「すみません。行ってきます」
「行ってらっしゃい」
フィオは手を振って見送る。しばらくすると、息を切らしたベルガモットがやってくる。必死で探してくれていたのだろう、顔が少し怖くなっている。
「フィオ。どこにいたんだ」
「ごめんなさい。迷っちゃって。クライヴが案内してくれてたの」
「そうか。……彼は?」
「自分のお姫様を、迎えに行ったわ」
フィオはふふふ、と楽しそうに微笑む。
そんな妻の様子に、ベルガモットは首を傾げた。
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